戸田城聖創価学会第二代会長は、常々、「信なき言論、煙のごとし」と言われていた。言うまでもなく、信念のない言論はさほどの実体もなく、移ろい、漂い、消えていくとの至言である。
日蓮大聖人の教法を信ずる者として、日蓮大聖人にまつわる軽佻浮薄な先説に阿諛追従する「学説」が、長年にわたり横行してきたことについて嘆息せざるを得ない。先人の汚泥のような「学説」の堆積の上にさらに妄説が重ねられている。それはまるで、真実の日蓮大聖人の教えを失わそうとしているかのようにさえ見える。
たとえば、日蓮大聖人が建長五年四月二十八日に立宗された時点で、法華最勝の思いに至られておらず「法華真言未分化」であったなどという「学説」である。この「学説」を破せば、私の述べる自説に真実があることとなる。ここにおいて求める真実は、宗派間の論争の域を超えるものであると言える。
このような意図から、まず「法華真言未分化」の「学説」を論破する。その上で自説を展開したい。日蓮大聖人がいつどのようにして悟達されたのか、あるいは一期の弘法においてどのような布教戦略をもたれていたか等々にわたり、信念のある言論を開陳したい。さらには、日蓮大聖人の末流を名乗る諸派の者たちならびに高名な「宗学者」たちが、解明しえなかった竜の口の「ひかりたる物」に言及する。加えて、七〇〇有余年にわたって謎であった佐渡流罪期の弟子・最蓮房とは誰かということを解明していく。
なお、このような説を展開するにあたって、会話形式をとることにより、自説をわかりやすく伝え、論を明晰に表現することを試みた。会話は、「太郎」「二郎」という兄弟によって進められる。「二郎」については「華子」にしようかとも考えたが、筆力の及ばないが故にそれをあきらめた。その点、あらかじめ女性の読者に対しお詫び申し上げるものである。
北林芳典


