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第16章「聖愚問答抄」の対告衆

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ずいぶんと凝った構成になっている御書

太郎 ここに注目すべき御書がある。
二郎 その御書はなんという御書?
太郎 「聖愚問答抄」だ。主人公は愚人で、この御書は、生を受けた者のはかなさを説くところから始まる。愚人がそのはかなさを嘆いていると、律宗の者が来て法を説く。その話を聞いて愚人は喜ぶ。ところが、そこにまた別の者が来て、律宗はダメだと言い、念仏こそが正しいと言う。愚人は今度はその話に乗る。そうすると今度は、その愚人が尊んだ念仏を、真言の者が来て破す。愚人が真言の教えに喜びを抱いていると、今度は禅の者が来てそれを下す。
二郎 ずいぶんと凝った構成になっているんだ。
太郎 そこで愚人は、諸寺を回って、本当の正法を得たいと願う。
二郎 愚人は正法に会えるのだろうか。
太郎 二郎の思いは、この御書を読む者が誰しも抱く思いだ。御書は次のように展開する。
「足に任せて一つの巌窟に至るに後には青山峨峨として松風・常楽我浄を奏し前には碧水湯湯として岸うつ波・四徳波羅蜜を響かす深谷に開敷せる花も中道実相の色を顕し広野に綻ぶる梅も界如三千の薫を添ふ言語道断・心行所滅せり謂つ可し商山の四皓の所居とも又知らず古仏経行の迹なるか、景雲朝に立ち霊光夕に現ず嗚呼心を以て計るべからず詞を以て宣ぶべからず、予此の砌に沈吟とさまよひ彷徨とたちもとをり徙倚とたたずむ、此処に忽然として一の聖人坐す其の行儀を拝すれば法華読誦の声深く心肝に染みて閑窻の戸ほそを伺へば玄義の牀に臂をくだす、爰に聖人予が求法の志を酌知て詞を和げ予に問うて云く汝なにに依つて此の深山の窟に至れるや、予答えて云く生をかろくして法をおもくする者なり」
二郎 愚人は聖人に会えたんだ。
太郎 そこで聖人は愚人に対して、釈迦一代聖教が、どのように説かれていったかを述べ、法華最勝を結論する。そして聖人は、念仏、真言、禅、律を正直に捨てよと話し、それぞれの教えが仏教の経文に照らして間違っているものであると述べる。
二郎 愚人は、その聖人の法門に納得したのだろうか。

真の報恩が明示される

太郎 納得はした。しかし、聖人の言うとおりにすれば、今まで生きてきた中で受けた恩に背くことになるとして、さらに次のように言う。
「主師親のいまだ信ぜざる法理を我始めて信ぜん事・既に違背の過に沈みなん法門の道理は経文・明白なれば疑網都て尽きぬ後生を願はずば来世・苦に沈むべし進退惟谷れり我如何がせんや」
二郎 今日においても、よく聞く言い分だ。聖人はどのように愚人を諭すのだろう。
太郎 聖人は、次のように話す。
「先ず汝目をふさぎ心を静めて道理を思へ我は善道を知りながら親と主との悪道にかからんを諫めざらんや、又愚心の狂ひ酔つて毒を服せんを我知りながら是をいましめざらんや、其の如く法門の道理を存じて火・血・刀の苦を知りながら争か恩を蒙る人の悪道におちん事を歎かざらんや、身をもなげ命をも捨つべし諫めても・あきたらず歎きても限りなし、今世に眼を合する苦み猶是を悲む況や悠悠たる冥途の悲み豈に痛まざらんや恐れても恐るべきは後世・慎みても慎むべきは来世なり、而るを是非を論ぜず親の命に随ひ邪正を簡ばず主の仰せに順はんと云う事愚癡の前には忠孝に似たれども賢人の意には不忠不孝・是に過ぐべからず」
二郎 聖人は、不惜身命の思いで正しいことを言うのが真の賢人の選ぶ道だと述べている。
太郎 聖人は、釈迦の父である浄飯大王の制止を振り切って出家し、かえって父母を助けたことをもって、真の孝行の道を教えた。さらに主君の恩に報いることについて、次のように言う。
「又主君の恩の深き事・汝よりも能くしれり汝若し知恩の望あらば深く諫め強いて奏せよ非道にも主命に随はんと云う事・佞臣の至り不忠の極りなり、殷の紂王は悪王・比干は忠臣なり政事理に違いしを見て強て諫めしかば即比干は胸を割かる紂王は比干死して後・周の王に打たれぬ、今の世までも比干は忠臣といはれ紂王は悪王といはる、夏の桀王を諫めし竜蓬は頭をきられぬ・されども桀王は悪王・竜蓬は忠臣とぞ云う主君を三度・諫むるに用ゐずば山林に交れとこそ教へたれ何ぞ其の非を見ながら黙せんと云うや、古の賢人・世を遁れて山林に交りし先蹤を集めて聊か汝が愚耳に聞かしめん、殷の代の太公望は渓と云う谷に隠る、周の代の伯夷・叔斉は首陽山と云う山に籠る、秦の綺里季は商洛山に入り漢の厳光は孤亭に居し、晋の介子綏は緜上山に隠れぬ、此等をば不忠と云うべきか愚かなり汝忠を存ぜば諫むべし孝を思はば言うべきなり」
二郎 日蓮大聖人はこの御書を通して、真の忠、真の孝のありようを示されている。そして、主君の恩を感ずるのであるならば強く諫奏せよ、とおっしゃっているんだ。そうでなければ、侫臣不忠の極みだと言われている。厳しいご指摘だ。
太郎 このあと、この「聖愚問答抄」は、聖人と愚人は相和して、次のように展開する。
「愚人云く日本・六十余州・人替り法異りといへども或は念仏者・或は真言師・或は禅・或は律・誠に一人として謗法ならざる人はなし、然りと雖も人の上沙汰してなにかせん只我が心中に深く信受して人の誤りをば余所の事にせんと思ふ、聖人示して云く汝言う所実にしかなり我も其の義を存ぜし処に経文には或は不惜身命とも或は寧喪身命とも説く、何故にかやうには説かるるやと存ずるに只人をはばからず経文のままに法理を弘通せば謗法の者多からん世には必ず三類の敵人有つて命にも及ぶべしと見えたり、其の仏法の違目を見ながら我もせめず国主にも訴へずば教へに背いて仏弟子にはあらずと説かれたり」
二郎 聖人、愚人ともに仏法の邪正を知って国主に訴えないのは、仏弟子ではないという結論になったんだ。
太郎 ところが、聖人が南無妙法蓮華経と唱えるべしと言うと、愚人はたくさんの経を唱えるのと、法華経の題目を唱える功徳が一緒だというのがわからないと疑問を呈する。
二郎 それに対して聖人はなんと答えるのだろう。
太郎 「一切衆生の備うる所の仏性を妙法蓮華経とは名くるなり、されば一遍此の首題を唱へ奉れば一切衆生の仏性が皆よばれて爰に集まる時我が身の法性の法報応の三身ともに・ひかれて顕れ出ずる是を成仏とは申すなり、例せば籠の内にある鳥の鳴く時・空を飛ぶ衆鳥の同時に集まる是を見て籠の内の鳥も出でんとするが如し」
二郎 これで、愚人も納得しただろう。
太郎 いや、まだ納得しない。南無妙法蓮華経の功徳、妙法の法義について、仏法上の根拠を求める。これに対して聖人がつまびらかに説明していき、次のように結論する。
「法華一部の功徳は只妙法等の五字の内に籠れり」
二郎 もう納得したんじゃないかな?
太郎 いや、まだだ。愚人は功徳はどのくらいあるのかと聞く。
「我は弓箭に携り兵杖をむねとして未だ仏法の真味を知らず若し然れば得る所の功徳何ぞ其れ深からんや」
二郎 どうもこの愚人は武士のようだね。
太郎 たしかにそうだ。この御書には、愚人の身分を暗喩する表現がいくつかある。
「我は日来外典を学し風月に心をよせて・いまだ仏教と云う事を委細にしらず」
「年来の知音・或所に隠居せる居士一人あり」
 愚人は信心をしていないが、外典や詩歌の道に明らかで、隠居しているような人物を友人に持っている者と言える。ともあれ聖人は、妙法蓮華経の功徳について、天台の『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』を引いて次のように述べる。
「玄義には名体宗用教の五重玄を建立して妙法蓮華経の五字の功能を判釈す、五重玄を釈する中の宗の釈に云く『綱維を提ぐるに目として動かざること無く衣の一角を牽くに縷として来らざる無きが如し』と、意は此の妙法蓮華経を信仰し奉る一行に功徳として来らざる事なく善根として動かざる事なし、譬ば網の目・無量なれども一つの大綱を引くに動かざる目もなく衣の糸筋巨多なれども一角を取るに糸筋として来らざることなきが如しと云う義なり、さて文句には如是我聞より作礼而去まで文文・句句に因縁・約教・本迹・観心の四種の釈を設けたり、次に止観には妙解の上に立てる所の観不思議境の一念三千・是れ本覚の立行・本具の理心なり、今爰に委しくせず、悦ばしいかな生を五濁悪世に受くといへども一乗の真文を見聞する事を得たり、熈連恒沙の善根を致せる者・此の経にあい奉つて信を取ると見えたり、汝今一念随喜の信を致す函蓋相応感応道交疑い無し」
二郎 結論はどうなるのだろう。
太郎 結論は次のようになる。
「愚人頭を低れ手を挙げて云く我れ今よりは一実の経王を受持し三界の独尊を本師として今身自り仏身に至るまで此の信心敢て退転無けん、設ひ五逆の雲厚くとも乞ふ提婆達多が成仏を続ぎ十悪の波あらくとも願くは王子・覆講の結縁に同じからん、聖人云く人の心は水の器にしたがふが如く物の性は月の波に動くに似たり、故に汝当座は信ずといふとも後日は必ず翻へさん魔来り鬼来るとも騒乱する事なかれ、夫れ天魔は仏法をにくむ外道は内道をきらふ、されば猪の金山を摺り衆流の海に入り薪の火を盛んになし風の求羅をますが如くせば豈好き事にあらずや」
二郎 この御書全体の構成や法門の展開を見ると、日蓮大聖人が渾身の思いを込められて書かれていることがわかる。
太郎 ところが、この御書の対告衆は、今日まで明らかにされていない。しかしながら、主君である時宗に諫奏しろということを述べられている御書であることは明々白々だ。そうすると、文永五年の状況を考えると……。
二郎 宿屋入道に宛てたものであるとしか考えられない。
太郎 そうだろう。この御書には、蒙古の牒状も出てこなければ、三災七難についての言及もない。宿屋入道であるならば、「立正安国論」の内容は熟知している。「立正安国論」の予言が的中していることも、身にしみてわかっている。その事実を踏まえて、この御書は、ただ諫奏することを促していると言える。したがって、この御書の対告衆は宿屋入道だと思われる。
二郎 日蓮大聖人は、文永五年夏ごろから宿屋入道に対し、たびたび諫奏するように書状をもって伝え、会おうとも言われていた。しかし、宿屋入道は日蓮大聖人に対し、返書をよこすこともなかった。
太郎 おそらくこの「聖愚問答抄」は、そのような状況下で内奏しようとしない宿屋入道に対し、日蓮大聖人が威儀を正して内奏を促された御書だと思われる。
二郎 「種種御振舞御書」に、「或は返事もなし」と書かれているのは宿屋入道のことであり、「或は返事をなせども上へも申さず」とされているのは、北条弥源太のことかもしれない。
太郎 そうだろうな。