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第13章「不動・愛染感見記」

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これが国の重要文化財?

太郎 それでは、二郎がよこしたもう一つの宿題に入ろう。「不動・愛染感見記」だ。千葉県保田にある妙本寺所蔵のこの文書も、日蓮宗総本山久遠寺より発行された『昭和定本 日蓮聖人遺文』に載せられている。編年体で編纂された第一巻の三番目だ。
 この「御書」とやらは、日蓮大聖人が不動明王を見たという一紙と、愛染明王を見たという一紙に分かれている。書かれている内容は以下のとおりだ。
「生身愛染明王拜見
 正月一日日蝕之時         (梵字略)
    (絵)
 自大日如來至日蓮廿三代嫡々相承
   建長六年六月廿五日
            日蓮授新佛」

「生身不動明王拜見
 自十五日至十七日
        (梵字略)
    (絵)
 自大日如來至于日蓮廿三代嫡々相承
   建長六年六月廿五日
            日蓮授新佛」
 これを見ると、二紙いずれも、「建長六年六月廿五日」(一二五四年)に記されたものとされていることがわかる。そして、この二紙とも「日蓮」から「新佛」に授けたと末尾に書かれている。(写真参照)
二郎 平成十五年一月十五日から二月二十三日まで東京国立博物館で「大日蓮展」が開かれたが、そのとき現物を見た。
太郎 そのとき、どう思った?
二郎 なんか変な「御書」もあるものだと思った。
太郎 変だと思ったのは当然だ。これは偽書なんだ。
二郎 やっぱり! 立宗後に日蓮大聖人がこのような文章を書くはずがない。ところが驚いたことに、これが国の重要文化財になっているんだ。

義によって判ずる

太郎 今まで、日蓮大聖人の悟りと修学、そして「法華開会戒体抄」(「戒體即身成佛義」改め)について話し合ってきた。立宗後の建長六(一二五四)年に、日蓮大聖人が「大日如来より日蓮に至る廿三代嫡々相承」と書かれるはずがない。
二郎 もうそれは充分わかった。そもそも、このような偽書について、兄さんに電話までかけて聞いたことを恥じている。
太郎 いや、それは別にいいんだ。ここで話し合っておかなければ、後代の人が誤りを踏襲する。では、この文書について、先に法義に基づいて真偽を論じ、後に古文書としてこれを判定しよう。
二郎 わかった。
太郎 涅槃経に、「法に依つて人に依らざれ、義に依つて語に依らざれ、智に依つて識に依らざれ、了義経に依つて不了義経に依らざれ」とある。
二郎 つまらぬ学者や邪師の論に惑わされるなということだね。
太郎 日蓮大聖人は建長五年に立宗され、南無妙法蓮華経を唱えられた。
二郎 そのとおり。
太郎 だったら、もうそれで結論は出た。この「不動・愛染感見記」は偽物だよ。
二郎 ……。
太郎 日蓮大聖人は建長五年四月二十八日に、安房国清澄寺において、南無妙法蓮華経をもって立宗されたんだよ。
二郎 それはわかっている。
太郎 だったら、立宗後の建長六年六月に日蓮大聖人が書かれたとされるこの「不動・愛染感見記」が本物であるわけがない。
二郎 その点はよくわかる。しかし、それが義において、この「御書」が偽書だという根拠にどう結びつくのかわからない。
太郎 二郎は唱題してるだろう。その時なんと唱えているのかな。
二郎 南無妙法蓮華経に決まってる。
太郎 では、南無妙法蓮華経とどんな思いで唱えている?
二郎 懸命にだ。
太郎 「南無」とはどういう意味だ?
二郎 「南無」とは梵語の音写で、意訳すれば帰命だ。
太郎 それでは、帰命する対象の妙法蓮華経とは?
二郎 それは法華経寿量品の文底に秘沈された妙法蓮華経だ。
太郎 法華経と、それ以前に説かれた小乗経や権大乗経などの経の勝劣について、法華経の開経である無量義経には「四十余年 未顕真実」と説かれている。
二郎 知っているよ。
太郎 方便品には「正直捨方便 但説無上道」と説かれ、法華一仏乗のみ真実とされ、法華以前の経を方便の経と下され正直に捨てるようにと書かれている。
二郎 そのとおり。
太郎 すると、大日如来について説かれている大日経、金剛頂経、蘇悉地経などは法華以前の経だ。真言のそれらの経は権大乗経であり、華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃の五時に立て分ければ、方等部に属する。大日如来は権仏にしか過ぎない。「未顕真実」「正直捨方便」の権教に説かれた如来から、日蓮大聖人が相承を受けるということは、日蓮大聖人の法義のどこからも出てこない。
二郎 もちろんだ。
太郎 大日如来は、法華経以前に説かれた権の教えの中に登場する如来だ。日蓮大聖人は、法華経によってすべての人々を救おうとして、南無妙法蓮華経と唱えることをみずからも行ない他にも勧めていらっしゃるんだ。それは建長五年だよ。その立宗は、大難が起こることを覚悟されてのことなんだ。その日蓮大聖人が、「未顕真実」の経に説かれた大日如来から、さらには「正直捨方便」に該当する権経のその如来から、どうして相承を受けたという論理が成り立つんだ。
二郎 妙法蓮華経に帰命することを建長五年に教えられた日蓮大聖人が、その後、建長六年に大日如来から相承を受けることは、法義に照らしてありえない。
太郎 このような簡単な道理もわからずに、日蓮大聖人の名前を冠した宗派を名乗って日蓮宗学を極めているような顔をしていること自体、慢≠ニしか言いようがないね。『摩訶止観』巻第五には次のように書かれているよ。
「未だ得ざるを得たりと謂ふ。増上慢の人なり」
 慢じているがゆえに根本義に迷惑している。
二郎 日蓮宗は権実雑乱なんだ。
太郎 そもそも、このような「不動・愛染感見記」に騙されるのは、日蓮大聖人が立宗された時についての認識がないからだ。
二郎 日蓮大聖人の悟り、修学についても、まったく研鑽していない。
太郎 だから偽書に騙されるんだ。日蓮大聖人は、立宗はおろか修学の時においてすら、法華経を御一生のうちに身読されようと一大決心をされていた。それがなければ、南無妙法蓮華経をみずからも唱え他の人々に勧められることなど、ありはしない。
二郎 宗学とかいって、日蓮大聖人を研究している者たちの見識を疑う。
太郎 身延の日蓮宗総本山久遠寺には、鬼子母神やキツネなどを祀っている。南無妙法蓮華経に照らされ仏性を顕した鬼子母神やキツネを勧請していると言っている。
二郎 そんな本尊雑乱ぶりでは、真書と偽書の判別がつかないのも当然だ。
太郎 すべての有情非情に仏性があるというのは、一往の義。再往は、南無妙法蓮華経日蓮を首題とする御本尊のみが、尊崇の対象だとの根本義を失っている。一往再往、与奪の法門、相待妙と絶待妙、総別の二義に迷っている。
二郎 だから雑信仰に陥り、迷信にも追従して本質に迷う。
太郎 学者もそうだ。「本覚思想」などといった学術用語を使い、一層、迷走に拍車をかけている。「本覚思想」という言葉は、便利で奇怪な定規なんだよ。使う人によって伸び縮みする。それで日蓮大聖人の教法を計り、それぞれの学者が長いだの短いだのと言っている。
二郎 学術用語が日蓮大聖人の仏法を縛っているんだね。用語が真実を隠し、逆規定している。
太郎 「日本の中古天台が本覚思想だ」とか言っているが、法華経譬喩品第三の「今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子」という経文をどう考えているんだろう。華厳経の「心仏及衆生 是三無差別」はどう考えているんだろう。
二郎 成仏がないなら仏法じゃない。
太郎 では、元に話を戻そう。さて、日蓮大聖人は大日如来について「有名無実」の如来だとし、建長七(一二五五)年、三十四歳の時に書かれたとされる「諸宗問答抄」で、次のように言われている。
「大日如来の説法と云はば大日如来の父母と生ぜし所と死せし所を委く沙汰し問うべし、一句一偈も大日の父母なし説所なし生死の所なし有名無実の大日如来なり」
 同様の表現は、文永九(一二七二)年、五十一歳の時に書かれたとされる「祈禱抄」にもある。
「大日如来は何なる人を父母として何なる国に出で大日経を説き給けるやらん」

大日如来から何者が嫡々相承してきたのか

二郎 日蓮大聖人は、大日如来の実体はないと明言されているんだ。
太郎 実体のない如来から、日蓮大聖人が相承の受けようがない。
二郎 まったくそのとおり。
太郎 大日如来のことを「有名無実」とおっしゃっている日蓮大聖人が、「大日如来より日蓮に至る廿三代嫡々相承」などと書かれるはずがない。この点でも「不動・愛染感見記」は偽書と言うことができる。
二郎 実体のない者から、なにを受けるというんだろう。
太郎 この「不動・愛染感見記」を真書だと言う人に聞きたい。日蓮大聖人が大日如来より相承を受けたと主張する人は、二十二代目は誰で、二十一代目は誰だと教義的に説明する必要がある。
二郎 だぁーれも説明できないと思う。
太郎 日蓮大聖人は、大日如来より何代目などと言っている真言宗の開祖たちについて、「盗人の根本なり」とおっしゃっている。建治元(一二七五)年、五十四歳の時に書かれた「神国王御書」に次のようにある。
「善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等の三三蔵は一切の真言師の申すは大日如来より五代・六代の人人・即身成仏の根本なり等云云、日蓮勘えて云く法偸の元祖なり・盗人の根本なり」
二郎 「五代・六代」を名乗る人物に対して、日蓮大聖人は「盗人の根本」だとおっしゃっているのに、自分が二十三代目と仰せになるわけがない。
太郎 日蓮大聖人は、修学時代に真言の邪義の根を洗うのに、数年かかったとおっしゃっていた。真言に対する徹底した研鑽は、立宗の時に完璧に終えられている。その事実経過を無視して、「不動・愛染感見記」を御真蹟だと信じている者の心理がわからない。
二郎 御書をながめているだけで、御書を読んでいないんだ。
太郎 大日如来は法報応の三身から見れば、法身にしか過ぎない。真言宗の三部経は、法身のみを述べた経なんだ。法華経以前においては、法身・報身・応身が別々に説かれ隔歴している。三身が円融円満に相具するのは、法華経に入ってからだ。像法時代の法華経の正師である天台が、理論的に完結した。一身即三身を説かれ、三身総即の円教の立場に立たれている日蓮大聖人が、どうして権仏、虚仏の法身仏から「嫡々相承」を受けなきゃいけないんだ。
二郎 「不動愛染感見記」を真蹟だと主張することは、それがそのまま日蓮大聖人を蔑如するものだ。貶めるにもほどがある。
太郎 このように、「不動・愛染感見記」が法義においてありえないと立証しても、学者の中には、まだこの「不動・愛染感見記」の文字面をながめて、真蹟かもしれないなんて考える者もいるんだ。
二郎 御本尊に、不動明王と愛染明王を示現した梵字で書かれているから、それと結びつけてる人もいるみたいだよ。
太郎 逆だよ、それは。御本尊に不動と愛染とが認められているから、それから発想してこのような偽書を作ったんだ。
二郎 このような偽書を真書と信じ込ませるためには、そのような能書きも必要だったのかもしれない。
太郎 今の学者は、天台宗の大本である比叡山が真言宗に乗っ取られているような当時の状況下にあっては、こんな馬鹿げた文書でも、日蓮大聖人が書かれたのではないか、という思いを拭いきれないんだ。
二郎 それにしても日蓮大聖人を貶めすぎだ。
太郎 日蓮大聖人は、次のように仰せになっている。
「非学匠は理につまらずと云つて他人の道理をも自身の道理をも聞き知らざる間暗証の者とは云うなり、都て理におれざるなり譬えば行く水にかずかくが如し」(諸宗問答抄)
二郎 では、義という論理性で、この「不動愛染感見記」が偽書だと言っても、「非学匠」は納得しないと思うよ。
太郎 古美術を見るような目で、二紙の「不動愛染感見記」を見て、本物かもしれないぞと舐めるように眺めているかな。
二郎 そんなものかもしれない。

ところで日蝕はあったのか?

太郎 じゃあ、この「不動・愛染感見記」という古文書を「拝見」しようか。
二郎 それがいい。(写真参照)
太郎 「愛染感見記」には「正月一日 日蝕之時」と書かれている。建長六年の正月一日に日食があり、その時に日蓮大聖人が愛染を「拝見」したというんだ。
二郎 日食が過去においていつにあったかなんて、天文学的に検証すれば、はっきりする。そうすれば、この御書の真偽を判定することは容易だね。
太郎 そうだ。『日本・朝鮮・中国 日食月食宝典』(雄山閣)に、日食の記録は明確に出ている。天文学的に計算すれば、遡って日食の起きた日を算出できるんだ。それによると、「愛染感見記」が「拝見」の日付としている建長六年正月一日には日食など起こっていない。またその前後を調べてみても、日食があったのは建長五年二月一日、正嘉元年五月一日だ。しかも建長のものは記録になく、正嘉のものは『吾妻鏡』に「卯の刻に日蝕正見せず」と記されている。両方とも、天候の関係でまったく観測できない日食だったようだ。
二郎 そうすると、この「不動・愛染感見記」を真蹟だという人は、日蓮大聖人がウソつきだと言っているのと同じだね。
太郎 まったく、そのとおりだ。日蓮大聖人が御書の中に書かれている地震の記録などは、真実を伝えるものとして、中世の第一級史料に位置づけられている。これは学界で評価が一定している。
二郎 それなのに、この日食の件だけは違うというのは変だね。やはり偽書なんだ。
太郎 これで、この文書は、現証に基づかないものだということがはっきりした。
二郎 そうなると、この文書は理証にも現証にも基づかないものだということになるね。
太郎 そういうことになる。偽書の偽書たる所以だ。
二郎 もっともだ。

文字より判ずる

太郎 ではさらに、この文書の文字を点検してみよう。
二郎 文字から見ても、これが偽書だって立証されてしまうんだ。
太郎 この「不動感見記」「愛染感見記」の二紙全体を見ても、日蓮大聖人の筆でないことは、ある程度、日蓮大聖人の真蹟を見ている者なら、それが違うものであることはわかる。だが、そのようなことを言っていても仕方ないから、それぞれの冒頭の一行を比べてみることにする。すると、二紙とも同じ人物によって書かれたことがよくわかる。この中で特徴的なのは「身」という文字だ。
「不動感見記」の「身」(A)も、「愛染感見記」の「身」(A´)も、非常に特徴的な文字だ。「身」という文字の三画目の、上から下に引いた線が、A、A´ともに、右に大きく反ってから跳ねている。日蓮大聖人はこんな「身」という字を書かれないよ。(写真参照)
二郎 このようなことは、この文書が重要文化財に指定される時に、当然、鑑定するべきだった。
太郎 そういうことだ。日蓮大聖人が「身」という字を書かれる時、三画目の上から下に引く線を、右に反って跳ねられることはない。日蓮大聖人が「身」という文字を書かれる時、三画目の上から下に引く線は、ほとんどの場合はやや左に曲がっている。ほぼまっすぐになる時もあるが、それは限られる。そして、下まで引かれたその筆は、多くの場合、左上に回るように跳ねる。
二郎 日蓮大聖人には、そのような一貫した筆の運びがあるんだ。
太郎 日蓮大聖人の真蹟集が法蔵館から出版されている。二郎のために、今回、大変な作業をしたよ。この真蹟集から「身」という字を選び出した。一部が欠損したものを除いて、七百八字を抽出し、「不動感見記」「愛染感見記」の文字と比較したよ。
二郎 うおー、すごいね。兄さん、ありがとう。たしかに、兄さんの言うとおりだ。「身」という文字の三画目の上から下に引く線が、二つの「感見記」のように右に跳ね上がるものは一つもないね。
太郎 一目瞭然だろ。
二郎 誰だってわかるよ。
太郎 この「身」という一字をもってしても、「不動感見記」「愛染感見記」の二紙が偽物であることがよくわかる。
二郎 「身」という文字で偽書だってバレちゃうなんて、これは本当に「身から出た錆」だね。
太郎 それでも一部の学者は、まだなんだかんだと言うかもしれないから、今度は「拝見」の「拝」という文字を見てみよう。この「不動感見記」の「拝」(B)、「愛染感見記」の「拝」(B´)ともに、まったく酷似しているから、同一人物の筆によるものだね。「拝」という字も法蔵館の真蹟集であたってみたよ。全部で二十七字を抽出し、「不動感見記」「愛染感見記」の文字と比較したよ。
二郎 この「拝」という字も全然、違うね。
太郎 やや似たような文字が一つあるけど、その御消息文は富木殿に与えられたもので、すごく速い筆運びで書かれたものなんだ。この「不動感見記」「愛染感見記」のようにゆっくりと書かれた文字で、「拝」の文字をこのように崩されるものはない。また似ているようなその一字も、筆の入り方や出方を見ると、「不動感見記」「愛染感見記」の「拝」とは、まったく違うことがわかる。しかも、この運筆の速い文字は、「拝」という文字と「見」という文字がくっついてる。(写真参照)
二郎 本当に、「拝」という文字を見ても、「不動感見記」「愛染感見記」が偽物であることが、よくわかる。
太郎 じゃあ、「不動感見記」の「見」(C)と「愛染感見記」の「見」(C´)を比べてみよう。これもよく似た文字で、CとC´を書いた人物が同一であることを示している。この「見」という字を見ると、上に「目」、下に「人」という字を書いたように見える。
 日蓮大聖人の「見」という文字は、運筆の遅い場合、例外なく「目」の下の左右に分かれる二画の筆――、そのいずれも筆の始まりの部分が「目」の下の一点に、直接しっかりと接しているんだ。二つの「感見記」のように「目」の下の一筆目中央に二筆目の始まりがくっつき「人」に似たような書き方になることはない。(写真参照)
二郎 本当だ。「目」とその下の二つの筆の始まりが「目」の下の一箇所で、しっかりとくっついているし、伸び伸びとしているね。兄さん、これ、すごい数があるけれども、全部で何文字あるの?
太郎 全部で四百七十四字だよ。
二郎 すごい数だね。それだけ調べても、「不動感見記」「愛染感見記」に見られるような「見」という字はないんだ。
太郎 そうなんだ。「見」あたらない。
二郎 「感見記」の最初の一行の、特徴的な文字を拾い比べただけで、こんなに違うんじゃ、この「不動感見記」「愛染感見記」が本物だなんて説は、成り立たないね。
太郎 こんなものが、国の重要指定文化財になっているんだから呆れてしまうよ。
二郎 本当にそうだ。

信ずる者は提婆達多だ

太郎 もっと傑作なのは、「不動感見記」「愛染感見記」の最後に書かれた、「日蓮授新佛」という最後の一行だ。
二郎 「新佛」ってなんだろう。この文によると、日蓮大聖人が「新佛」に、この文書あるいは血脈を授けたともとれる。こうなると「新佛」も問題だ。
太郎 日蓮大聖人に、「新佛」などという名前の弟子がいたと思うかい?
二郎 教義的にも、そのような名前を日蓮大聖人が弟子につけられるとは、ちょっと考えられない。
太郎 日蓮大聖人の御書の中で、「新佛」が出てくるのは二カ所だけだよ。そのうちの一カ所は、正嘉二(一二五八)年二月十四日、日蓮大聖人が三十七歳の時に書かれた「一代聖教大意」だ。
「今の法華経は自力も定めて自力にあらず十界の一切衆生を具する自なる故に我が身に本より自の仏界・一切衆生の他の仏界・我が身に具せり、されば今仏に成るに新仏にあらず又他力も定めて他力に非ず他仏も我等凡夫の自具なるが故に又他仏が我等が如く自に現同するなり」
 日蓮大聖人が御書で仰せになっているように、法華経の考えからすれば、「新佛」はありえない。
二郎 「新佛」という発想は、法華経に違背するんだ。弟子につけられることは、絶対ないんだ。
太郎 また、もう一カ所は、文永三(一二六六)年正月六日、四十五歳の時に書かれた「法華経題目抄」だ。
「提婆達多は斛飯王の第一の太子・浄飯王にはをひ・阿難尊者がこのかみ・教主釈尊にはいとこに当る・南閻浮提にかろからざる・人なり、須陀比丘を師として出家し阿難尊者に十八変をならひ外道の六万蔵・仏の八万蔵を胸にうかべ五法を行じて殆ど仏よりも尊きけしきなり、両頭をたてて破僧罪を犯さんために象頭山に戒壇を築き仏弟子を招き取り、阿闍世太子をかたらいて云く我は仏を殺して新仏となるべし太子は父の王を殺して新王となり給へ」
二郎 えっ、「新佛」は提婆達多だったの? しかも、仏たる釈迦を殺して、「新佛」になろうとしたんだ。提婆達多の「新佛」宣言は、殺人の犯意のうえに成り立っていたんだ。となると、この「日蓮授新佛」という最後の文は、すさまじいブラックジョークだね。
太郎 ジョークじゃないよ、これは。これを真書と見る者は、提婆達多の末流として認知されたことになる。
二郎 いったい誰がこんな悪さをしたのか。妙本寺は日興門流で、郷門派と呼ばれている。同じ日興門流である大石寺の東坊の土地を日道と争った。妙本寺には、万年救護本尊という日蓮大聖人の直筆曼荼羅もあるが、それらのものと一緒に「不動・愛染感見記」が伝わってきたとは、考えられない。
太郎 そうだ。この文書が、建長六年、日蓮大聖人が三十三歳の時に書かれ、綿々として伝わってきたというなら、日蓮大聖人の数々の法難の時、どこにあったというのだろう。
二郎 妙本寺がダマされて、どこかから買わされたんだろうか。
太郎 偽作者の特定と、その意図をはかることはむずかしい。まして何百年も経っている。ただ、いつの世にも、金のためならなんでもする人間はいる。だが、金儲けのためだけにしたとも思えない。この「日蓮授新佛」という文からすると、日興門流の郷門派である妙本寺を貶めようとする、偽作者の意図を感じざるをえない。
二郎 兄さん、それが国の重要文化財になっているということは、ショックだね。
太郎 本当に情けない。
二郎 これがまた、日蓮宗と立正大学の権威の象徴である『昭和定本』に載っているというのも、なんとも象徴的だね。
太郎 提婆達多の末流だ。「毒気深入 失本心故」だ。
二郎 そういうことになる。『昭和定本』を作った人たちや、この偽書をもとに、日蓮大聖人が立宗時において、「法華真言未分化」などという「学説」を立てる者は、提婆達多の末流だと公に認定されたことになる。
太郎 この「不動・愛染感見記」は、『昭和定本』だけじゃない。日蓮大聖人の真蹟を集大成した、法蔵館発行の『日蓮聖人真蹟集成』の第四巻にも掲載されている。この『日蓮聖人真蹟集成』も、いまや日蓮学の最高権威の中の最高権威となってしまった。
二郎 このような素人目にもわかるような間違った文書を入れられては困る。
太郎 この『日蓮聖人真蹟集成』には、百二十三体の本尊が真蹟として掲載されている。この百二十三体には、偽物が混じっている。はっきり言わせてもらえば、この『日蓮聖人真蹟集成』の『本尊集』のうち、九番(佐渡・妙宣寺蔵)、十八番(平賀・本土寺蔵)、六十七番(新曾・妙顕寺蔵)、百十四番(高知・要法寺蔵)、百十五番(京都・本能寺蔵)については疑義を持っている。その他、十体前後、おかしいものがある。
二郎 そうなんだ。変なことが多いもんだね。「不動・愛染感見記」も、国の重要文化財になっている。
太郎 この「不動・愛染感見記」が国の重要文化財になったのは、昭和四十三年。この「不動・愛染感見記」を所有している千葉県の保田妙本寺は、その頃は日蓮正宗の大本山だった。今は離脱している。
 この当時、日蓮正宗は創価学会の発展によって支えられていた。昭和三十九年に公明党が結党された後に、その支援団体である創価学会に対し、政治的圧力が強まった。創価学会本体も猛然と折伏を展開しており、それに反発する既成仏教や既存勢力は、数多あった。そのため、創価学会を潰そうとする勢力が、あらゆるところで暗躍していた時代だ。このような時に、日蓮正宗の大本山の妙本寺にある古文書が、国の重要文化財に指定されたということは、どういう意味を持つと思う?
二郎 源義経も、後白河法皇より殿上を許された。これが、兄・頼朝との離間工作であったことは、歴史上、明らかだよね。この偽書が国の重要文化財に指定されたのは、同様の政治的思惑があったと思う。
太郎 そう見るべきだ。
二郎 ところで、この「不動・愛染感見記」が、国の重要文化財に指定された昭和四十三年の文化庁長官は、誰だろう。
太郎 今日出海だよ。彼の兄は今東光だ。兄弟ともに文筆活動をしていたけれども、今東光は天台宗の僧で、のち岩手県の古刹・平泉の中尊寺で住職になる。そのようなことが、この「不動・愛染感見記」の国の重要文化財指定にどのように絡んでくるのかはわからない。だが政界用語で大臣案件≠ニいう言葉がある。トップダウンの案件で、ほぼ無条件に成立する。なお、この重文指定の数年後、妙本寺が日蓮正宗から離脱の動きを始めたことは事実だ。
二郎 納得。

不動と愛染の絵としての評価は?

太郎 この「不動感見記」と「愛染感見記」のそれぞれ中央に大きく書かれた絵についてどう思う?
二郎 どうもこうもないよ。スタンプみたいな絵だよ。
太郎 本来、この絵を見て変だと思うべきなんだ。こんなものが国の重要文化財であるというのは日本国の恥だ。
二郎 世界の七不思議だ。
太郎 子供の絵でも、もっとなにか訴えてくる。華厳経に「心は工みなる画師の如く、種々の五陰を描く」という言葉がある。巧みな絵をもって心に「種々の五陰」が作られる様を説明しようとした経だ。この不動と愛染の無感動な絵をもっては、心に色受想行識があることを説明することはまったく無理だ。仏説の譬話にも使えない。
二郎 仏法的に見て不動・愛染はどういう意味があるんだろう。
太郎 不動明王と愛染明王を表徴する梵字が、御本尊の左右の中ほどに認められている。御本尊に向かって左が愛染、右が不動だ。
二郎 どうして認められてあるんだろう。
太郎 日蓮大聖人は「上野殿母御前御返事」において、次のように仰せになっている。
「此の法華経の始に無量義経と申す経おはします、譬えば大王の行幸の御時・将軍前陣して狼籍をしづむるが如し、其の無量義経に云く『四十余年には未だ真実を顕さず』等云云、此れは将軍が大王に敵する者を大弓を以て射はらひ・又太刀を以て切りすつるが如し、華厳経を読む華厳宗・阿含経の律僧等・観経の念仏者等・大日経の真言師等の者共が法華経にしたがはぬを・せめなびかす利剣の勅宣なり、譬えば貞任を義家が責め清盛を頼朝の打ち失せしが如し、無量義経の四十余年の文は不動明王の剣索・愛染明王の弓箭なり」
二郎 不動明王と愛染明王は、権実雑乱を破するために、御本尊に認められているんだ。
太郎 不動明王の剣と愛染明王の弓矢は、法華最勝を下す者や権実雑乱をする者、「法華真言未分化」などといった妄説を立てる者を退治するためのものなんだ。
二郎 この「不動・愛染感見記」を御真蹟としたり、それをもとに妄論を述べる者たちは、御本尊に認められた不動明王の剣に斬られ、愛染明王の弓矢に射られることになる。
太郎 同意。

慈覚の恐るべき現証

二郎 余談になるけれど、日蓮大聖人は「法華真言勝劣事」に、次のように書かれているけど、どういう意味なんだろう。
「慈覚・智証等の 親り此の宗義を承けたる者法華経は大日経より劣の義存す可し、若し其の義ならば此の人人の『舌爛口中苦流長劫』は如何、答えて云く此の義は最上の難の義なり口伝に存り云云」
太郎 これについても、真言に乗っ取られ密教化した天台宗の「口伝」を、日蓮大聖人が信じていたと曲解する者がいる。
二郎 そうなんだ。
太郎 その答えは次の御書にある。
「慈覚大師の御はかは・いづれのところに有りと申す事きこへず候、世間に云う御頭は出羽の国・立石寺に有り云云、いかにも此の事は頭と身とは別の所に有るか」(慈覚大師事)
二郎 慈覚の頭と身体は、別々のところにあるということが、先の「法華真言勝劣事」でいう「口伝」なんだ。
太郎 かなり不気味な話なんだけれども、今の天台宗ではいろいろ美化し、慈覚が死んだ後に、棺中より飛び出し紫雲に乗って出羽の国に行ったと言っている。この伝承は古くからあるようだ。ところが『おくのほそ道』の注釈書である『奥細道菅菰抄』には、次のように書かれている。
「山寺ノ里民相ヒ伝フ、慈覚大師ノ手ニ、悪理アリ。〈俗ニ弓箭筋ト云〉世人云フ、是ノ脈理アル者ハ、必ズ刃傷ノ難ニ遭ト。故ヲ以テ大師常ニコレヲ畏レ、慎ミ玉フ。果シテ立石寺ニ入定ノ後チ、叡山ト葬処ノ争ヒ起リ、叡山ヨリ衆徒ドモ来リ、終ヰニ大師ノ頸ヲ斬テ、叡山ヘ持チ帰ルト云」
二郎 なんだって! 叡山の者が死んだ慈覚の頸を斬り、持ち帰っただと! 争って頸を奪い合う者は、三世の生命を知らない者であり、外道だ。叡山あたりには、慈覚の頸についての「口伝」があった。出羽の国の里は里人のほうで、江戸時代まで伝承された「口伝」があったんだ。
太郎 そういうことになるなぁ。松尾芭蕉は、この立石寺で『おくのほそ道』に載せられている有名な俳句を詠んでいるよ。
「閑さや 岩にしみ入 蝉の声」
二郎 なんだか頸筋が寒くなってきた。
太郎 実は昭和二十三年八月、山形県に「史跡名勝天然記念物調査委員会」が設置され、翌二十四年に立石寺の慈覚大師入定窟を調査した。中には金棺が一つ安置されていた。この金棺には火葬骨二体、土葬骨三体が入れられていた。火葬されていない土葬骨のうち、もっとも古いものには頭部がなかった。頸から下の骨に、木造の頭部がつけられていた。木造の頭部を鑑定すると、それは京都あたりのれっきとした仏師によって作られたものだと判断された。
二郎 どうも慈覚のようだ。
太郎 この発掘にあたった学者が、そう言っている。しかし確定ではない。だが学問的に結論は出ていないとはいえ、里人の「口伝」からすると間違いあるまい。なお日蓮大聖人が、この「口伝」を聞かれたのは、修学中、延暦寺や園城寺などを訪れられた時だろう。
二郎 日蓮大聖人も大変な「口伝」を聞かれ、仏法に照らし納得されたことだろう。