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第12章「戒體即身成佛義」

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立正大学歴代の最高権威の誤り

太郎 日蓮大聖人の悟り、修学、立宗について、いままで二人で話し合ってきた。これでやっと二郎が電話で聞いてきた学者≠フ「法華真言未分化」という「学説」の検証に入れる(序章参照)。その「学説」の根拠になっていたのは、二つあったね。
二郎 そう「戒體即身成佛義」と「不動・愛染感見記」だよ。
太郎 ではまず先に、「戒體即身成佛義」について検討してみよう。ちょっと面倒だよ。
二郎 僕から頼んだことだから、難しくても根気よく聞くよ。
太郎 この「戒體即身成佛義」は、『昭和定本日蓮聖人遺文』(以下、『昭和定本』と記す)の第一巻に載っているよ。
二郎 この本は、なに?
太郎 『昭和定本』は、昭和二十七(一九五二)年の開宗七百年を記念して、当時の日蓮宗総本山身延山久遠寺の法主・深見日圓などが発願主となり、立正大学教授・影山堯雄、同・鈴木一成、同大学助教授・安永弁哲、同・執行海秀、同・宮崎英修、同大学講師・茂田井教亨、同大学助手・高木豊などの学者十三名が編纂にあたり、立正大学教授で宗学研究所長の望月歓厚が監修したものだよ。
二郎 昭和二十七年の発刊以降、この本は改訂されることはなかったの?
太郎 いや、昭和六十三年、平成三年、平成十二年と三回も改訂されているよ。今の立正大学の最高権威の人たち、いわば日蓮宗を代表する学者たちが、その改訂にあたったんだ。
二郎 その日蓮宗総本山久遠寺から発行され、立正大学の最高権威をもって作った『昭和定本』に、「戒體即身成佛義」は載っている。
太郎 それも、第一巻の一番最初に。
二郎 たしかに、最初に載っている。
太郎 そもそも、この「戒體即身成佛義」を仁治三(一二四二)年、すなわち日蓮大聖人が二十一歳の時、清澄寺で書かれたとすること自体に疑問があるんだ。
二郎 だけど、『昭和定本』に掲載されている「戒體即身成佛義」には、そう書いてあるよ。
太郎 確かに、その御書の一番最後には「仁治三年壬寅」という活字が打たれている。ところが、だ。この本の目次を見ると「系年」として「仁治三年壬寅(或文永三)」と書かれている。また「著作地」は「清澄寺」とされている。
二郎 仁治三年なら、日蓮大聖人が二十一歳、文永三(一二六六)年なら、日蓮大聖人が四十五歳の時の御述作ということだね。
太郎 仁治三年に日蓮大聖人が修学先より戻られ清澄寺におられたと言うこともできる。また、文永三年に清澄寺に戻られていることは確かなことだ。この年に、日蓮大聖人は「法華経題目抄」を清澄寺で書かれていることは御真蹟により明らかだ。
二郎 では、この「戒體即身成佛義」は、仁治三年か文永三年のいずれかに、清澄寺で書かれたということになるね。だから『昭和定本』には「著作地」が「清澄寺」となっているんだ。
太郎 だけど、『昭和定本』に掲載されている「戒體即身成佛義」は、文末に「仁治三年」とあるだけでなく、文頭にも「安房國澄山住人 蓮長撰」と書かれている。日蓮大聖人は立宗の時、当然のことながら「日蓮」を名乗られた。それは先に紹介した御書に、「日蓮となのる事自解仏乗とも云いつべし」(寂日房御書)とあることからも、諸宗への批判を始められた建長五(一二五三)年の立宗の段階で、「日蓮」と名乗られていたことは間違いない。現存する御真蹟では、建長五年に書かれたとされている十二月九日付の「富木殿御返事」が、「日蓮」の文字の初見となる。
 文応元(一二六〇)年、三十九歳の時に、国諫の書である「立正安国論」を幕府に提出された時にも、「日蓮」の名で出されている。
二郎 ちょっと待って。『昭和定本』の「戒體即身成佛義」の冒頭には、「日蓮」ではなく「蓮長」と書かれているんだよ。「蓮長」というのは、日蓮大聖人の立宗前の名前だとしているんでしょう。だったら、目次の「系年」に「(或文永三)」と書いても、なんの意味もない。自分たちの研究の成果として、編年体として編纂した第一巻の一番最初に載せ、書かれた日蓮大聖人の年齢「祖壽」を「21」として目次に書いている。

『刊本録内御書』に照合する

太郎 そうなんだよ。ここに、寛文九(一六六九)年正月に、法華宗門書堂というところで発刊した木版刷の『刊本録内御書』(以下、『刊本録内』と記す)がある。
二郎 ずいぶん古い、木版刷だね。僕が見たのは、『昭和定本』の書き下しのコピーだったんだ。友人が見せてくれた。だがこの木版刷の『刊本録内』を見ると感動するよ。このような昔に日蓮大聖人の御書を編集し、広く世の人に知らしめようとしていた人々がいたんだね。
太郎 これは全部で四十冊あるんだけど、この「三十九」冊の「御書六通」の中に「戒體即身成佛義」が採録されているんだ。ここを見てごらん。冒頭に「安房国清澄山住人 日蓮撰」と書いてあるよ。
二郎 えっ? 「蓮長」ではなく「日蓮」となっているの? これはどういうことなんだろう。この「戒體即身成佛義」が日蓮大聖人二十一歳の時のものだというのは、嘘じゃないのかな。
太郎 二郎の言うとおり。これは仁治三年に書かれた御書じゃないんだよ。この寛文九年の『刊本録内』に収められた、「戒體即身成佛義」の文末に明記されている「文永三年丙寅」のほうが正しいんだよ。
二郎 だけど兄さん、文永三年ということになると大変なことになってしまうよ。この『昭和定本』の「戒體即身成佛義」の書き下し文を読むと、この御書の最後は、
「人ヲシテ顯教ヨリ密教ノ勝ルヽヲ知ラ令ンカ為也」
 となっているんだよ。それで僕は悩んで、兄さんに電話したんだから。日蓮大聖人が文永三年の時点で「顕教」より「密教」のほうが勝れているとされているとなれば、もっと事態は深刻だよ。ここにある「顕教」は法華経のことを指し、「密教」は大日経などを依経とする真言宗の教えを意味しているんだから。
太郎 そうだ。二郎が読んだとおりなら、仁治三年であろうが文永三年であろうが、いずれにしても深刻だ。文永三年のほうがより深刻とも言える。これは、日蓮大聖人の仏法にとって一大問題だ。
二郎 この「戒體即身成佛義」が、文永三年でなく仁治三年であったとしても、大変なことになる。日蓮大聖人が、十六歳で悟ったという事実が覆されてしまう。
太郎 そういうことになる。
二郎 どう解釈したらいいんだろう。

小乗の戒はまったくダメ

太郎 二郎が悩むのも、もっともだ。もう一度、二郎が指摘した「戒體即身成佛義」の文末の解釈をしてみよう。「顕教」は法華経、「密教」は大日経などの真言宗の教えだ。
二郎 そうだよ。だから悟りの御境界にある日蓮大聖人が、「顯教ヨリ密教ノ勝ル丶」と書かれるはずがない。
太郎 当然そうだ。
二郎 でも、日蓮宗の『昭和定本』に採録されている「戒體即身成佛義」には、「人ヲシテ顯教ヨリ密教ノ勝ル丶ヲ知ラ令ンカ為也」となっている。これは、どう見てもまずい。
太郎 二郎、心配するな。書き下し方などが間違っているのだ。早計な判断はしないほうがいい。日蓮宗の坊主や立正大学の教授たちは、そのようにしか読めないから、この「戒體即身成佛義」の系年を仁治三年に持っていき、日蓮大聖人が未熟だと思われる二十一歳の作としたんだよ。未熟なのは自分たちだということに気づいてもらいたいね。真摯に御書を読んでもらいたい。御書のその前の部分も、まったくそんなことは書かれていないんだ。
二郎 じゃあ、この「人ヲシテ顯教ヨリ密教ノ勝ルヽヲ知ラ令ンカ為也」の前の部分も、『昭和定本』を作った人たちは間違って読んでいるっていうこと?
太郎 そうだよ。そのとおりだ。だが以下、御書だということを前提にせず、客観的に真偽判を進めるよ。この「戒體即身成佛義」は、まず最初に、小乗の戒体について述べられている。「戒體」とは、戒を持っている本体そのものを指す。小乗戒の場合の戒体は、その戒を持っている人間の身体そのものを指す。戒にはいろいろあるが、基本は五戒であることが、この「戒體即身成佛義」には示されている。
二郎 五戒ってなに?
太郎 五戒とは、「一ニハ不殺生戒。二ニハは不偸盗戒。三ニハ不邪婬戒。四ニハ不妄語戒。五ニハ不飲酒戒」だよ。
二郎 殺すな、盗むな、犯すな、嘘つくな、酒飲むな、ということだね。
太郎 その五戒を示した上で、この「戒體即身成佛義」では、当時、蔓延っていた小乗教の律宗を批判している。律宗は、出家した男が二百五十戒、出家した女が五百戒を持つことになっている。しかし「戒體即身成佛義」には、それらの戒を持ったとしても、それは、「只一生にて其戒體は失ヒぬる也」と書かれている。
二郎 一生かかって、そんな苦しい思いをしても、今生で戒を持った身体を失ってしまうんだ。だけど、二百五十戒とか五百戒とか、本当に守る人がいるのかな。なんだか僕には偽善者の集団のように思える。もし、真面目にそんなものを守ったら、息が詰まってしまう。
太郎 さらに、「戒體即身成佛義」では、そのように戒を持した声聞・縁覚の者にしてすら、
「灰身滅智の者、永不成佛と嫌ハ被レシ也」
 との妙楽の釈を引いている。
二郎 要するに、小乗の戒はまったくダメだっていうことが書かれているんだ。

権大乗にも歴劫修行がある

太郎 簡単に言えばそうなる。この第一の「小乗戒體」に続いて、第二として「權大乗戒體」が書かれている。この権大乗の戒体は、一往の義として、身体ではなく心にあるとされている。
 権大乗の戒体について述べている経典として、梵網経、瓔珞経の二つの経典があげられている。
二郎 梵網経、瓔珞経ってなんだい、兄さん?
太郎 梵網経は「華嚴經の結經」、瓔珞経は「方等部、淨土の三部經等の結經」と、「戒體即身成佛義」には書かれている。
 そして、
「されば法華已前の戒體をば此二經ヲ以テ知ル可シ」
 と記されている。その上で梵網経の題目(表題)に、「梵網經盧舍那佛説菩薩心地戒品」と書かれていることを問題にしている。つまり、この梵網経は題目の中に「菩薩」とあることから、
「此題目ヲ以テ人天二乘ヲ嫌ヒ佛因佛果ノ戒體ヲ説カ不ト知ル可キ也」
 と、「戒體即身成佛義」には記されている。したがって、この梵網経は、人、天、声聞、縁覚のために説かれたものではなく、菩薩のためのものだとの主張がなされている。
二郎 やはり、経の最初に書かれている表題は注視しなければいけない。僕なんか「菩薩」という文字を見逃してしまう。
太郎 「戒體即身成佛義」には、この梵網経の戒について、
「法華ノ意ヲ以テ嫌はん時は、宣説菩薩歴劫修行と下ス可キ也」
 と書かれている。
二郎 この菩薩は歴劫修行をする菩薩なんだね。地涌の菩薩とは違うんだ。
太郎 瓔珞経の戒についても同じように、その表題に「菩薩瓔珞本業經」と「菩薩」の文字があるから、瓔珞経の戒も、その菩薩のためだけに説かれた戒だということになる。つまり華厳部の戒も方等部の戒も、表題の「菩薩」の表記からして、歴劫修行の菩薩のためだけの戒だと記されているんだ。
二郎 何回も生まれ変わって修行をし、その上でやっと仏になれるということなんだ。大変なことだ。僕は今生で即身成仏する法華経を選ぶ。だけど「戒體即身成佛義」は、どうしてことさらに梵網経や瓔珞経を取り上げるんだろうか。
太郎 それは先にも言ったように、梵網経は「華嚴經の結經」、瓔珞経は「方等部、淨土の三部經等の結經」ということから、両経が華厳部、方等部を代表する菩薩界について書かれたものだから、それを法華経の立場から下していると見ることができる。同時に、この両経が当時、比叡山における授戒で使われていたから、そのこともあってこの両経に言及したと言えるね。
二郎 当時、坊さんになるにあたって、授戒でこの両経が使われた事情があったんだ。
太郎 「戒體即身成佛義」は、さらに涅槃経の「具足根本業淨戒」について触れ、これも五戒のことだとしている。続いて「戒體即身成佛義」は、法華開会の戒体に言及している。

十界が互具するゆえに妙法

二郎 ああ、よかった。やっと法華経に入るんだね。
太郎 「戒體即身成佛義」は、法華開会の戒体について述べる前に、
「近來唐土の人師、梵網・法華の戒體の不同を辨ヘ不。雜亂して天台の戒體を談じ失へり」
 と嘆いているよ。天台大師が説かれた戒体について、中国の学僧たちが権大乗の戒と法華経の戒は本来違うのに、同じだと聞き違えて雑乱していた様子がわかる。
二郎 先ほど話し合った三三蔵たちによって、仏法はメチャクチャにされていた。
太郎 「戒體即身成佛義」は、
「第三ニ法華開會の戒體トハ、佛因佛果の戒體也」
 とし、その上で、
「此等の衆生の身は皆戒體也」
 と断言している。また、
「九界の衆生の身ヲ佛因と習へば五戒即佛因也。法華已前の經には此ノ如キ説無キ故に、凡夫・聖人の得道は名ノミ有テ實無キ也」
 と、法華経によってのみ成仏が可能であるとする。
 またさらに、
「十界互具する故に妙法也」
「十界ニ亙テ二乘菩薩凡夫を具足せり。故に二乘を成佛セ不ト云はば、凡夫・菩薩も成佛セ不ト云フ事也。法華の意は、一界の成佛は十界の成佛也」
 と、二乗不作仏であれば、十界が互具する生命体である人間は、誰も成仏しないという論理が展開されている。その上で、法華経によらなければ成仏しないと書かれている。
二郎 我々人間の生命においては、十界に十界を具足しているんだから、その中の二乗、すなわち声聞・縁覚が成仏しないというのであれば、人間それ自体の成仏がないというのは当たり前だよね。一人の人間の生命の一部が成仏し、ほかの一部が成仏しないというのならば、人間総体としては成仏してないことになる。
太郎 「戒體即身成佛義」には、
「然に法華の意は、凡夫も實には佛也。十界具足の凡夫なる故に」
 と書かれている。
二郎 日蓮大聖人も、この「戒體即身成佛義」のように、凡夫が仏だと常々、言われているね。華厳経の「心仏及衆生是三無差別」という経文も、たびたび御書の中で引かれている。
太郎 この後、「戒體即身成佛義」は浄土宗を批判する。つまり、法華経を難行とし、念仏を易行とする法然の義が間違っているとする。法然が『選択集』で、
「天台眞言は我カ機ニ協ハ不」
 と主張して法華経を下していることからしても、
「只天魔の人にそひて生れて思はする也」
 と書いてある。
二郎 「戒體即身成佛義」には、先ほど瓔珞経は方等部と浄土三部経の結経だと書かれていた。したがって瓔珞経は法華已前の経だよ。法華已前の経ならば、二乗作仏が説かれていない。二乗作仏が説かれていないということは、成仏がありえないということになるね。
太郎 さっき二郎が言っていたとおりだ。
二郎 ここまで読んだ範囲では、この「戒體即身成佛義」は、日蓮大聖人の教義に相違ないようだ。不完全な浄土三部経を依経とする念仏宗の者たちが、円経である法華経を指して、成仏するのは難行だとするのはとんでもないことだ。
太郎 子供が翁を笑うようなものだ。
二郎 法華経と真言を、ともに難行として下していることは注目される。法華経と真言とをセットにして難行だと言われたのでは、法華経を修行する僕たちにとっては甚だ迷惑なことだ。
太郎 法然が比叡山で学んだ頃には、延暦寺は天台宗でありながら、実際には真言が入り込み、叡山を乗っ取ってしまっていたような状況だった。叡山の三代目の座主・慈覚が叡山を真言密教化したのが一番の原因だ。そのような状況を法然が見れば、法華と真言は一体のものとして映ったんだろう。だから法然は、大衆から遊離した延暦寺の様子を見て、法華と真言を難行とし、念仏を易行とし、それをもって民衆救済の法とした。
二郎 本当に天台宗の慈覚は仕方のない奴だ。慈覚が天台宗を真言密教化し、法華経の正義を隠した。そのため天台宗は、民衆救済からほど遠い存在となった。いったい慈覚は、開祖である伝教の教えをどのように学んだのだろう。唐まで行って真言にかぶれてくるなんて、法華経を依経とする天台宗の者じゃないよ。真言流の加持祈禱に凝って、天皇や公家たちのためだけに祈り、民衆を啓発しないのであれば、法華と真言は一部の上層階級のための宗教ということになる。
太郎 だから、当時の一般の人々も法然のように、法華と真言をひとくくりに見ていたきらいがある。また比叡山においては、止観業と遮那業の年分得度者二名が置かれ、止観業では法華経、金光明経、仁王経などを学び、遮那業では遮那経、孔雀経、不空経、仏頂経など、護国の真言を学んでいた。そのことも混乱の原因となったのだろう。
二郎 そういう事情もあったんだ。

成仏は情・非情にわたる

太郎 それでは、いよいよ法華開会の戒体の最後の部分に入るよ。日蓮宗や立正大学や最近の若手の学者が、平然と間違いを犯しているんだ。「戒體即身成佛義」では、法華経の戒について、『摩訶止観』を引いている。引用されている文は次のとおりだ。
「中道之戒ハ 戒トシテ備ラザルコト無シ 是ヲ具足ト名ク。中道戒ヲ持ツナリ云云。中道ノ戒トハ、法華の戒體也」
二郎 法華経の戒体には、すべてが備わっているということが書かれている。
太郎 そういうことだ。「戒體即身成佛義」には、さらに、
「我カ身ニ十界ヲ具足ス。我カ身ニ十界ヲ具スト意得シ時 欲令衆生佛之知見と説て、自身に一分の行無クして即身成佛する也。盡形壽の五戒の身を改メ不シテ佛身ト成ル時は、依報の國土も又押へて寂光土也」
 と書かれており、正報である衆生が仏身となる時は、依報の国土も常寂光土となるとされている。
 さらに、この論点からは、
「法華已前の經に説ケル十方の淨穢土は、只假設ノ事ニ成ヌ」
 と書かれている。
 加えて、
「法華の覺を得る時、我等が色心生滅の身即不生不滅也。國土も爾ノ如シ。此國土ノ牛馬六畜モ皆佛也。草木日月モ皆聖衆也」
 とも書かれている。「自身」も、住んでいる「国土」も、国土の有情非情のすべてもが「聖衆」だと書かれているんだ。
二郎 ここまで読んできても、日蓮大聖人の法義に違背したところはない。
太郎 「戒體即身成佛義」には、
「法華經の悟と申は、此國土と我等が身と釋迦如來の御舍利と一ツと知ル也」
 とも書かれている。
二郎 国土(常寂光土)と僕たち人間と釈迦如来の舎利とがまったく一つだと知ることは、日蓮大聖人の悟りの御境界につながる。「戒體即身成佛義」は、ここまでは僕でもしっかりと読める。でも、そのあとがわからなくなるんだ。

真言宗でなければわからない?

太郎 そういうことなんだ。このあとの部分が難しい。「戒體即身成佛義」には、法華開会の戒体よりも真言宗の戒体のほうが上だと勘違いする叙述がある。譬喩品第三の、
「今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子」
 の経文が引用されている。そして、このあとが大問題。
「法華經ヲ知ルト申スは、此文を知ル可キ也。我有と申す有は其レ眞言宗ニ非レハ知リ難シ」
 と展開する。
二郎 どうして、この法華経の「今此三界 皆是我有」云云の文を引いた上で、真言宗でなければわからないと書かれているのか、まったく不可解だ。
太郎 そのことについては、あとで説明しよう。
 この「我有と申す有は其レ眞言宗ニ非レハ知リ難シ」の直後には、
「但シ天台は眞性軌と釋し給へり」
 と綴られている。「眞性軌」というのは、「三軌」の一つだよ。天台がすべての事理を判釈するために、修行と悟りに設けた三種の規範だよ。この「三軌」の一つが「眞性軌」なんだ。「眞性軌」は、法報応の三身のうちの法身を表している。この「眞性軌」について、
「偽らざるを真と名づけ、改めざるを性と名づく」
 と、天台大師は『法華玄義』で述べている。
 この文意からすれば、真言宗でなければ知りがたいのは、「法身」であることがわかる。ここでは、それだけを頭に入れておいてよ。
二郎 真言宗が法身中心であると理解しておけばいいね。
太郎 「天台宗」では、大日如来と釈迦如来は同一の仏で、大日が法身、釈迦が応身を表しているともいう。
二郎 そういう考え方もするんだ。
太郎 次に、「戒體即身成佛義」には、
「舍利と申は天竺の語、此土には身と云フ。我等衆生も則釋迦如來の御舍利也」
 と書かれている。これによると、釈迦の舎利、即ち身が、我々の身と同じだとの文意となる。
二郎 国土と私たち衆生と釈迦如来の身とが、まったく同じだと知ることが本当に大事だということになれば、これも日蓮大聖人の教えと同じだ。日蓮大聖人は、この娑婆世界と衆生と仏とが一つと知ることが悟りだと教えられている。
太郎 次に、
「されば多寶ノ塔と申は我等が身。二佛と申は自身の法身也」
 と書かれている。私たち衆生が、見宝塔品第十一で涌出する多宝の塔そのものであると明示している。その宝塔の中に並座する「二佛」、即ち釈迦如来と多宝如来は私たち衆生の法身だ、と書かれているんだ。
二郎 なんだか僕は、
「阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房」(阿仏房御書)
 という御書の一節を思い出すよ。どうもこの「戒體即身成佛義」の主旨は、日蓮大聖人の教えと相違がないように思える。
太郎 「戒體即身成佛義」には、続いて、
「眞實には人天の善根を佛因と申は、人天の身が釋迦如來の舍利なるが故也」
 と書かれている。実はこの文は、この少し前に出てくる文と関係している。それは、
「此三千大千世界は、皆釋迦如來の菩薩にておはしまし候ける時の御舍利也。我等モ此世界の五味をなめて設ケたる身なれば、又我等も釋迦菩薩の舍利也」
 という文だ。
二郎 三千大千世界が、釈迦が菩薩だった時の舎利ということになれば、今、僕たちが生きているこの世界も「釋迦菩薩の舍利」、すなわち「身」だと書かれているんだね。その「舍利」から僕たちの身体ができている。それが仏因になると記されている。どう考えても、日蓮大聖人が仰せになっていることと同じだ。

法華経は「真言の初門」なのか?

太郎 ところが、このあとが大変だ。これは『昭和定本』の書き下し文を読んでいるとまったくわからなくなってしまう。手もとにある『刊本録内』にあたってみよう。この『刊本録内』に掲載された「戒體即身成佛義」には、次のように書かれている。
「法華經是體得意則真言初門也」
 よく見てごらん。文章の中ほどに「則」という字が見えるだろう。「則」は「すなわち」「そく」と読むんだ。だから、「法華經を是體に意得る」ということは、すなわち「真言初門也」ということになる。
二郎 たしかに「法華經を是體に意得る」ということが、すなわち「真言初門也」と書かれている。
太郎 これを日蓮宗の出している『昭和定本』は、「眞言の初門也」と読み下している。
 これまで読んできた文意からすれば、これは明らかに間違いで、法華経から見れば「眞言は初門なり」と読むべきだ。
二郎 そうだよね。仏と衆生と娑婆世界を差別のないものとする法華経の立場ならば、真言の主張するところは初門にすぎない、としか読めない。
太郎 二郎の言うとおりだ。文脈は無視しちゃいけないんだ。『刊本録内』は「眞言ハ初門也」と「眞言」と「初門」のあいだに「ハ」を送っている。『刊本録内』は正しく読んでいるんだ。
二郎 法華経が「眞言の初門なり」だというのと、「眞言は初門なり」というのでは、大変な違いだね。意味がまるで逆になってしまうね。

毘盧舎那仏は部分身

太郎 このあたりで、久遠寺発行の『昭和定本』を離れ、『刊本録内』に沿って読んでいこう。『昭和定本』は、このように「眞言初門也」という文の書き下しすらも誤っているから、読めば読むほど混乱を増すだけだ。では、『刊本録内』の「戒體即身成佛義」を読もう。「戒體即身成佛義」は、次のように続くんだ。
「此國土ハ我等カ身也釋迦菩薩ノ成佛ノ時其菩薩ノ身ヲ替不シテ成佛シ給ヘリ此國土我等カ身ヲ捨不シテ寂光淨土毘盧遮那佛ニテ有也 十界具足ノ釋迦如來ノ御舎利ト知可シ 此ヲコソ大日經ノ入漫陀羅具縁品ニハ慥ニ説レタル也 眞言ノ戒體ハ人之見テ師ニ依不シテ相承ヲ失フ可」
二郎 「毘盧遮那佛」ってなに?
太郎 「毘盧遮那佛」は法身を表し、「盧舎那佛」は報身を表し、「釋迦文」が応身を表すんだ。これは天台の『法華文句』巻九に出ている。
二郎 ちょっと難しいね。
太郎 じゃあ、ここに出てくる毘盧遮那仏が法身を表すということだけ覚えておいてよ。
二郎 わかった。
太郎 この「戒體即身成佛義」に出てくる毘盧遮那仏は、法報応の三身のうちの一身である法身如来に過ぎない。その三身の中の法身として、常寂光土に含まれるものとして、ここに記されているんだ。だから、文脈からしてここの箇所は、真言を法華経の初門であると位置づけていることがわかる。
二郎 法身は部分身なんだ。それを中心に説いた真言は、法華経の初門ということになる。
太郎 この「戒體即身成佛義」の文意を最初からしっかり読んでいけば、こんなところで間違わないんだけどね。「戒體即身成佛義」に法華経が「眞言の初門」だと書かれていると読み間違うのは、真言宗の本尊である毘盧遮那仏、つまり大日如来に触れて文が運ばれているのに加え、「眞言宗ニ非レハ知リ難シ」と書かれているからなんだ。しかしながら実際には、「寂光淨土」とは書かれているが、法報応の三身の法身仏という部分身としてのそれなんだ。その意味において、「寂光淨土毘盧遮那佛」と表記されているにすぎないんだよ、ここは。
二郎 その表記についてもう少し教えてよ。
太郎 じゃあ、もう一回おさらいするよ。この「戒體即身成佛義」には、
「法華經ノ悟ト申ハ此國土ト我等カ身ト釋迦如來ノ御舎利ト一ト知也」
 と書かれている。法華経の悟りとは、先にも言ったように「國土」と私たちの「身」と釈迦の「舎利」が一つだと知ることなんだ。さらに、
「我等衆生モ則釋迦如來ノ御舎利也。サレハ多寶塔ト申ハ我等カ身二佛ト申ハ自身ノ法身也」
 と書かれている。人々の「身」の中に「法身」があるんだ。加えて、「此國土ハ我等カ身也」と念押すように記されている。これは「國土」と私たちの「身」と釈迦の「舎利」が一つだという、先に述べた法華経の悟りの再確認だ。そして釈迦は、「成佛ノ時其菩薩ノ身ヲ替不シテ」成仏したことが書かれている。このような考えに基づくと、この私たちの住む「國土」すなわち娑婆世界もそのままで「寂光淨土」となる。
 その文の流れの中で、「寂光淨土毘盧遮那佛ニテ有也」との文が出る。先に多宝塔が私たちの「身」であり、その中に釈迦多宝の二仏という「法身」があることが示された。その文の末尾は「自身ノ法身也」となっている。「ノ」が送り仮名として入れられている。だから「寂光淨土毘盧遮那佛ニテ有也」の文の「寂光淨土毘盧遮那佛」という記述は、「寂光淨土ノ毘盧遮那佛」と「ノ」という送り仮名が入ったほうがいいと思う。

身延『昭和定本』のデタラメ

二郎 よくわかったよ。それじゃあ、いま紹介してもらった所の下の句の、
「眞言ノ戒體ハ人之見テ師ニ依不シテ相承ヲ失フ可」
 は、どういう意味なの?
太郎 うん。それはね、さっきの「我有と申す有は其レ眞言宗ニ非レハ知リ難シ」に通じることなんだよ。
二郎 それはどういうことなの?
太郎 「戒體即身成佛義」には、
「故に別に記して一具に載セ不」
 と書かれている。すなわち、真言宗ですら失ってしまった相承だから、ここで一緒に記さないと述べているんだ。
二郎 一緒に記さないと言われても困る。
太郎 だから、この「戒體即身成佛義」を正しく読むことができない。この文末には、「人ヲシテ顯教ハ密教ニ勝ル丶ヲ知ラ令ンカ為也」(『刊本録内』)と書いてあるだけだ。
二郎 一番最初に話題にしたこの末尾だね。
太郎 実はこの「人ヲシテ顯教ハ密教ニ勝ル丶ヲ知ラ令ンカ為也」の前には、「但標章ニ載スル事ハ」と書かれている。つまり顕教が密教に勝れることについて「標章」に書くにとどめるとなっている。
二郎 そうなると「標章」を見なければいけないということになるけれども、「標章」ってなに?
太郎 「標章」とは、この「戒體即身成佛義」の最初に書かれた章立てのことだ。
二郎 読んだけれどあまり気にならなかった。
太郎 「但標章ニ載スル事ハ」と書かれているのは、「標章」すなわち「戒體即身成佛義」の最初に、「四」として掲げられた「眞言宗戒體」と記すにとどめると書いてある。ここの部分も、『昭和定本』では勝手な書き下しをしている。
『昭和定本』と『刊本録内』の書き下しを比べるために、まず『刊本録内』に載せられた漢字の原文を見てみよう。
 再び『刊本録内』の末尾を見る。そこには「為令人知顕教勝密教也」となっている。「為令人知」は、次下に書かれていることを「人をして知らしめんが為」と読むべきだ。ここで念を押しておくけれども、これは「戒體即身成佛義」の最後の一文だよ。つまり、結論部分なんだ。
二郎 「知らしめん」とする内容は「顕教勝密教也」ということなんだね。顕教は密教に勝れるということなんだ。
太郎 そうなんだよ。この「顕教勝密教」の部分を、『昭和定本』は「顯教密教勝」と「勝」の字の位置を変えている。しかも、どういうわけか「顯教密教勝」が「顕教ヨリ密教ノ勝ルヽ」と書き下されている。どうも信用できない書き下しだ。
二郎 自分たちが理解できないと御書を書き換えてしまい、勝手な書き下しをすることは許されない。「顕教勝密教」ならば、書き下しはどう読んでも、「顕教は密教に勝る」としか読めない。
太郎 だから、ここまでの御書の文意から見ても、『刊本録内』の「顕教勝密教」が正しいんだよ。この「戒體即身成佛義」という御書を読んできて、どうして、密教が顕教に勝れているという結論が出てくるんだ。そのような要素はカケラもない。顕教である法華経が、密教である真言宗の教えより勝れている≠ニ読むのが当たり前だよ。

「今此三界」の文に迷う

二郎 どうして日蓮宗の高僧≠笳ァ正大学の学者たちは、そのような読み方をしたんだろう。
太郎 御書の文意がわからないんだよ。国土と衆生と仏とが同じだと感得することが悟りだということが、彼らにとって、あまり好きな考え方じゃないのかもしれないけどね。
 けれども、間違いやすいのはやはり、さっき指摘した二カ所だよ。
 まずその第一は、譬喩品の「今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子」の経文を引いて、「我有と申す有は其レ眞言宗ニ非レハ知リ難シ」と書かれていること。
 そして第二は、「眞言ノ戒體ハ人之見テ師ニ依不シテ相承ヲ失フ可」というところだ。この二カ所に迷っているんだよ。
二郎 そうだね。僕もそこのところがさっぱりわからない。
太郎 この御書は、寛文九(一六六九)年の『刊本録内』に明記されているとおり、文永三年に書かれた御書なんだよ。
二郎 兄さんに、七百年間の闇を破るような結論を出してもらいたい。
太郎 実は、この御書は江戸時代にひと揉めしているんだ。密教が顕教に勝れるという元和の刊本を読んだ者が、寛永の刊本には顕教が密教より勝れているように改竄しているとして批判した。批判したのは舜統院真迢という人物で、日蓮宗から天台宗へ移った人物だった。以来この問題はくすぶり続けてきた。
二郎 この「戒體即身成佛義」は、そのような曰く因縁のあるものだったんだ。
太郎 曰く因縁なんて言わないでくれよ。まさしく日蓮大聖人の教法が明かされた御書なんだから。いつの頃からかわからないけれども、「真言宗」の「相承」というのが理解できなくて、法華より真言が勝れていると混乱し、この御書の系年を、文永三年(四十五歳)から仁治三年(二十一歳)に変えたと思われるんだよ。
二郎 要するに、日蓮大聖人が二十一歳の頃であるなら、真言の相承を神秘的に感じて傾倒していたかもしれないと思ったんだね。
太郎 馬鹿げたことだよ。日蓮大聖人の十六歳の悟達がわからないんだよ。
二郎 だけど、「戒體即身成佛義」が書かれた年が文永三年だとすると、どういうことになるの? 真言の相伝とは、どういうものなんだろう?
太郎 この御書の最後に「別に記して一具に載せず」と書かれているんだから、文永三年以降の御書にそのことが明確に書かれていることがわかる。
二郎 どの御書に書かれているの。
太郎 代表的なものとしては、文永七(一二七〇)年に書かれた「善無畏三蔵抄」。これは清澄寺のかつての兄弟子でありながら、後に日蓮大聖人を師と仰いだ浄顕房と義浄房に出されているものだ。
二郎 これまでの二人の話の中で、何度も出てきた御書だね。
太郎 そうだよ。あとは「善無畏抄」。これは鎌倉・本覚寺などに御真蹟もあり、日興上人の写本が京都・本圀寺にある。ただし、系年は文永三年、同七年、建治三年といった諸説があるようだ。
二郎 それらの御書に、真言宗の失われた相承のことが書かれているの?
太郎 そうだよ。この二つの御書とも、ほぼ同じ内容が書かれている。御真蹟のある「善無畏抄」を引いてみよう。そこには真言宗の開祖・善無畏が頓死したことが書かれている。
「此の如くいみじき人なれども一時に頓死して有りき、蘇生りて語つて云く我死つる時獄卒来りて鉄の縄七筋付け鉄の杖を以て散散にさいなみ閻魔宮に到りにき、八万聖教一字一句も覚えず唯法華経の題名許り忘れざりき題名を思いしに鉄の縄少し許ぬ息続いて高声に唱えて云く今此三界皆是我有・其中衆生悉是吾子・而今此処多諸患難・唯我一人能為救護等云云、七つの鉄の縄切れ砕け十方に散す閻魔冠を傾けて南庭に下り向い給いき、今度は命尽きずとて帰されたるなりと語り給いき」
 善無畏は妙法蓮華経という法華経の題目を思い、そのあと譬喩品の偈を唱えて、頓死を免れ生き返ったんだ。
二郎 すごい体験談だね。ちょっと待ってよ。この体験談、聞いたことがあるよ。
太郎 そうだよ。日蓮大聖人の修学について話し合い、「報恩抄」に基づいて三三蔵を論じた時に出てきた。
二郎 そうだった。
太郎 では、もう一つの、文永七年に書かれたとされる「善無畏三蔵抄」を見ていこう。日蓮大聖人は善無畏の二つの罪をあげ、その後、譬喩品第三の「今此三界・皆是我有・其中衆生・悉是吾子・而今此処・多諸患難・唯我一人・能為救護」の文を唱え助かったことを、次のように述べられている。
「一つには大日経は法華経に劣るのみに非ず、涅槃経・華厳経・般若経等にも及ばざる経にて候を法華経に勝れたりとする謗法の失なり、二つには大日如来は釈尊の分身なり而るを大日如来は教主釈尊に勝れたりと思ひし僻見なり、此の謗法の罪は無量劫の間・千二百余尊の法を行ずとも悪道を免るべからず、此の三蔵此の失免れ難き故に諸尊の印真言を作せども叶はざりしかば法華経第二・譬喩品の今此三界・皆是我有・其中衆生・悉是吾子・而今此処・多諸患難・唯我一人・能為救護の文を唱へて鉄の縄を免れさせ給いき」
 法身は煩悩に蔽われると、その輝きを出すことができないんだ。その法身には煩悩が七つの鉄縄となってまとわりついている。法身がその本来の輝きを出だすには、法華経を信解することによってのみできるんだ。法華経によって煩悩即菩提となるんだ。
二郎 真言の祖である善無畏が譬喩品の「我有」の文で頓死から蘇った相伝は衝撃的だね。「我有」が真言宗でなければわからないというのはこれなんだ。
太郎 だから、善無畏の頓死の現証と引き合わせて、この「戒體即身成佛義」は読まなければいけないんだ。
二郎 たしかに。真言宗が失ったこの頓死の相伝と合わせて、この「戒體即身成佛義」を読むと良くわかるね。だけど、日蓮大聖人はどうして、文永三年の「戒體即身成佛義」で明確に語られなかったんだろう。

布教戦略に基づく真言破折

太郎 そこに、日蓮大聖人の布教戦略があるんだ。まず禅宗と念仏を攻め、最後に真言を攻めるという一大布教戦略があったんだ。
二郎 そういうことがあるんだ。
太郎 これについては、後でより詳しく話すことになる。
二郎 わかった。それだけ真言破折は日蓮大聖人にとって大事なことだったんだ。
太郎 これについては、文永六(一二六九)年に三位房日行に対して書かれた「法門申さるべき様の事」に述べられていることが、すごく参考になる。
「真言宗大に分れて二流あり所謂東寺・天台なるべし、法相・三論・華厳・東寺の真言等は大乗宗・設い定慧は大乗なれども東大寺の小乗戒を持つゆへに戒は小乗なるべし、退大取小の者・小乗宗なるべし、叡山の真言宗は天台円頓の戒をうく全真言宗の戒なし、されば天台宗の円頓戒にをちたる真言宗なり等申すべし、而るに座主等の高僧名を天台宗にかりて一向真言宗によて法華宗をさぐるゆへに・叡山皆謗法になりて御いのりにしるしなきか」
二郎 日蓮大聖人は、比叡山の天台座主などを「一向真言宗」だと批判されているんだね。
太郎 日蓮大聖人は「報恩抄」でも、天台宗の延暦寺第三代座主の慈覚が、真言の邪義を取り入れたことを述べられている。
「慈覚大師は大日如来を叡山に立て釈迦仏をすて真言の三部経をあがめて法華経の三部の敵となせしゆへに此の夢出現せり」
 日蓮大聖人は、法華最勝の天台宗が法華経と釈迦仏を捨て、真言の三部経と大日如来に帰依してしまったことを厳しく弾呵されている。
二郎 ところで「此の夢」とは、なに?
太郎 慈覚が日輪を射たという夢のことだ。それを吉夢としている。日輪を射て吉夢ということはないね。顚倒の輩だよ、慈覚は。
二郎 比叡山延暦寺は、日本の正法の拠点たるべき寺だったのにね。それを真言密教化するなんて、慈覚は考えられないことをしてくれた。
太郎 だから日蓮大聖人は、真言密教化した天台宗がすべての災いの元であると、先に紹介した「法門申さるべき様の事」でおっしゃっている。そして、この「法門申さるべき様の事」の中で日蓮大聖人は、さらに次のようにおっしゃっているんだ。これは注目に値する。
「此等の大事を内内は存すべし、此法門はいまだをしえざりき・よくよく存知すべし」
二郎 文永六年の時点で、弟子に対して内々の法門だとされているんだから、文永三年の「戒體即身成佛義」で、善無畏が頓死して譬喩品の偈を唱えて生き返ったなどという真言宗の相伝を書かれるはずがないよね。
太郎 そうなんだよ。日蓮大聖人は、混淆一体化した真言宗と天台宗の批判をするタイミングを、実に慎重に計られていた。「戒體即身成佛義」が書かれた頃には、「一向真言宗」と化した天台宗への批判は、ほんのひと握りの身近な者に話されただけだったのかもしれない。
二郎 真言宗への批判は、天台宗への批判と不可分だった。
太郎 ここで、この当時、日蓮大聖人の置かれていた立場を考えておかなければならない。文応元(一二六〇)年、日蓮大聖人三十九歳の時、時の最高権力者である北条時頼に「立正安国論」を上呈された。その後、弘長元(一二六一)年、四十歳の時、伊豆の伊東に流罪され、同三(一二六三)年、四十二歳の時に赦免されたという時代背景があるということだ。日蓮大聖人は、この伊豆伊東の流罪の契機となった「立正安国論」で、自界叛逆、他国侵逼の二難を予言されていることを忘れてはいけないよ。
二郎 日蓮大聖人は仏法に照らして、日本国にこの二難が起こることを予見され、大変に心を痛められていたんだ。
太郎 そうなんだ。
二郎 そのような状況下で「戒體即身成佛義」や「善無畏三蔵抄」などの真言批判が始まっていくんだね。
太郎 なんといっても、日本において正法たる法華経が失われた根本的な原因は、迹門の戒壇である根本中堂を擁する比叡山の天台座主らが、第三代の慈覚より「一向真言宗」に傾いてしまったことにあったんだ。
二郎 だから日蓮大聖人は、日本宗教界の根本の過ちを正し、自界叛逆・他国侵逼の二難が起きることを阻もうとされたんだ。
太郎 そういうことだ。日蓮大聖人は、救国のために真言批判、すなわち天台宗、天台座主批判を展開せざるを得なかった。
二郎 そういう時だったんだね。
太郎 そう。日蓮大聖人は諸宗を批判する布教戦略の上で、真言批判を最後に据えられていた。法華最勝を述べていけば、とどのつまり真言を批判し、最後は真言密教化し、日本仏教界を大混乱させてしまった歴代の天台座主を批判することになることはわかっておられた。それをしなければ日本の国、そして民を救えないと思われていた。
二郎 「戒體即身成佛義」が書かれた背景には、このような日蓮大聖人の切迫した時代状況に対する認識があったんだね。ああ、これですっきりした。「戒體即身成佛義」を、日蓮大聖人が真言に親近感を持っていたことによって書かれた、と位置づけた学者≠ノ責任を取ってもらいたいよ。日蓮宗の『昭和定本』も訂正してもらいたい。
太郎 じゃあ、この「戒體即身成佛義」の最初の部分の「標章」、今の言葉でいうならば「章立て」のことかな、その標章の部分をもう一度、よく見てみよう。
『刊本録内』の一番最初を見てごらん。
「法華涅槃之戒體少有不同 分為四門」
 と、まず書かれている。この後に、
「一ニハ小乗戒體二ニハ權大乗戒體三ニハ法華開會ノ戒體四ニハ眞言宗戒體」
 とある。
二郎 「法華経と涅槃経の戒体には同じではないところが少々ある」とまず書かれ、その後に四つに分けて戒体を書かれているんだ。その一番目が「小乗の戒体」、二番目が「権大乗の戒体」、三番目が「法華開会の戒体」、四番目が「真言宗の戒体」ということなんだね。
 そして「真言宗の戒体」については、この章立てに書くにとどめる、と「戒體即身成佛義」の末尾で言われているんだよね。
太郎 そのとおりだよ。
 この標章を、日蓮宗の『昭和定本』では、どのように書いているか見てみよう。
「       一者 小乘ノ戒體。
        二者 權大乘ノ戒體。
分テ四門ト為ス 三者 法華開會ノ戒體。 法華涅槃之戒體ニ
                    小シク不同有リ
        四者 眞言宗ノ戒體           」
二郎 わざわざ一番最初に書かれている「法華涅槃之戒體ニ小シク不同有リ」を、三の「法華開會ノ戒體」の下にもっていかなくてもいいのにね。どうしてこんなことをしたのかな。
太郎 この『昭和定本』は、最初からこのようなズレが出ている。
二郎 本当にそうだね。
太郎 二郎には悪いけれども、本当は、この「戒體即身成佛義」について二郎が聞いてきた答えは、この「標章」の部分に書いてあるんだよ。
二郎 なに、それ!? だったら最初に言ってよ。
太郎 最初から言うもなにも、二人でずっと話していたじゃないか、大事なことを。
二郎 えっ、どういうこと? なにか大事なこと、話していたっけ?
太郎 最初から、答えにつながる言葉を使って話を進めていたんだよ。
二郎 じゃあ、僕もその言葉を聞いていたの?
太郎 そうだよ。この御書の性格をはっきり示す言葉をね。
二郎 どういうこと? 気味が悪いな。
太郎 「法華開會ノ戒體」という言葉だよ。
二郎 それが顕教が密教に勝れるということ、法華経が大日経に勝れるということに通じるの?
太郎 そうだよ、「開会」だ。「開会」とは、法華経の立場から、与えて見ていくということだ。
二郎 なるほど。

破るに破れない戒とは

太郎 「開麤顕妙」という言葉が、天台の『法華玄義』巻二にあるんだ。法華経の絶待妙の立場から、麤法である権経を開会して、法華経の理として用いることをいうんだ。日蓮大聖人も「実相寺御書」において、次のようにおっしゃっているよ。
「夫れ法華経の妙の一字に二義有り一は相待妙・麤を破して妙を顕す二は絶待妙・麤を開して妙を顕す、爾前の諸経並びに法華已後の諸経は破麤顕妙の一分之を説くと雖も・開麤顕妙は全く之無し」
二郎 日蓮大聖人は絶待妙の立場から、五戒などの戒を開会されて述べられていたんだ。なるほど、わかった。末法は無戒だもんね。日蓮大聖人が五戒を述べられているのは、あくまで開会の立場からだったんだ。
太郎 法華経においては、経を持つことが戒になるんだ。見宝塔品第十一には、次のように書かれている。
「此の経は持ち難し 若し暫くも持たば、我れは即ち歓喜す 諸仏も亦た然なり 是の如きの人は 諸仏の歎めたまう所なり 是れは則ち勇猛なり 是れは則ち精進なり 是れを戒を持ち 頭陀を行ずる者と名づく 則ち為れ疾く 無上の仏道を得ん 能く来世に於いて 此の経を読み持たば 是れ真の仏子 淳善の地に住す」
二郎 末法においては、法華経を持つことが大事なんだね。
太郎 末法における戒は、本質的には金剛宝器戒なんだよ。日蓮大聖人は「教行証御書」において、次のように言われている。
「此の法華経の本門の肝心・妙法蓮華経は三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為せり、此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや、但し此の具足の妙戒は一度持つて後・行者破らんとすれど破れず是を金剛宝器戒とや申しけんなんど立つ可し、三世の諸仏は此の戒を持つて法身・報身・応身なんど何れも無始無終の仏に成らせ給ふ」
二郎 僕はこの「金剛宝器戒」を知らないうちに授かっていたんだ。
太郎 破るに破れず、三世の諸仏がすべてこの戒を持って成仏した。
二郎 南無妙法蓮華経と唱えることが、最高の持戒なんだ。
太郎 正しくそのとおりだ。戒定慧の三学をおのずから具えることになる。
二郎 「戒體即身成佛義」については、もうこれで終わりにしたいね。だけど、確認しておきたいことが三つあるんだ。
太郎 どういうことだい。
二郎 「戒體即身成佛義」という名前は、誰がつけたのかな。日蓮大聖人じゃないよね。
太郎 そりゃそうだろ。後代の誰かがつけたんだろうね。
二郎 僕は、この「戒體即身成佛義」という名前には、どうも抵抗を感じるんだよね。
太郎 うん、そうだね。空海(弘法)が「即身成仏義」という論を書いているんだ。表題も真言風にきっとかぶれてしまったんじゃないかな。本来だったら、「法華開会戒体抄」とすればいいんだろうね。そうすれば、この御書を読み違う人もいなくなると思うよ。
二郎 『昭和定本』には、「安房國澄山 蓮長撰」と書かれているけど、日蓮大聖人は「蓮長」を名乗られたことがあるのかな。
太郎 怪しいね。この「戒體即身成佛義」の系年を仁治三年に置くものにしか出てこないんだから、信じろというほうが無理だ。

大石寺の立義は身延と同じ

二郎 もう一つ確認しておきたいことは、日蓮正宗総本山大石寺が『平成新編 日蓮大聖人御書』(以下、『平成新編』と記す)を平成六年七月十六日に発行しているんだ。
太郎 監修は、大石寺の第六十七世を自称し「法主」となった阿部日顕だね。
二郎 ここに、その『平成新編』に収録されている「戒体即身成仏義」のコピーを持ってきたんだけれども、一緒に見てくれる?
太郎 どうしてそんなもの持ってきているんだ?
二郎 いや、なにかの役に立つかと思ってね。
太郎 念の入ったことだね。
二郎 やっぱり、日蓮宗の『昭和定本』と同じだよ。「安房国清澄山住人 蓮長撰」になってるよ。標章の配立も『昭和定本』と同じだ。
太郎 目次には「系年」が「仁治3」、「聖寿」が「21」となっているね。
二郎 本文の末尾の「顕教勝密教」のところも、やっぱりダメだ。こんなふうに書いてあるよ。「顕教より密教の勝るゝことを知らしめんが為なり」。
太郎 じゃあ、その前の、さっき問題にした「真言初門也」のところはどうなっている?
二郎 やっぱりダメだね。「法華経を是の体に意得る則んば真言の初門なり」と書いてあるよ。日蓮宗と一緒だよ。法華経が「真言の初門」だって。
太郎 やっぱり、なにもわかってないんだ。「唯授一人血脈相承」の「御方」が監修しても、順逆倒のこのありさまなんだ。
二郎 やはり、大石寺は身延山久遠寺に劣等感をもっているのかな。「法主」が立正大学卒業だったしね。いったい、大石寺の「法主」の血脈ってなんだろうね。「法主」は「現代における大聖人様」だなんて、日蓮正宗の機関誌『大日蓮』が宣揚していたけどね。血脈の内容は日蓮宗身延の立義なんだ。
太郎 念の入ったことに、大石寺の自称「法主」だった阿部日顕は、平成十六(二〇〇四)年八月二十六日に行なわれた「全国教師講習会」で、次のように話した。
「しかし、この中の法本尊・人本尊の意味においては、すでに、ほかに、様々な御書に示されている。ただ、戒壇ということに関しては……。
 しかしまた、一方の御化導から拝しますと、一番最初に二十歳の時に著作された、大聖人様のもっとも初めの著作が『戒体即身成仏義』です。それから、あとは三大秘法の名目として、顕されているところの、法門がありますがね。定・慧の法門が主になっておると思われます。戒壇については『法華取要抄』の中、さらに三大秘法の名目の中で、本門の本尊・戒壇・題目という御指南があります」
二郎 なんだか、論旨不明の話だ。「戒體即身成佛義」を、「大聖人様の最も初めの著作」と言った時点でアウト。
太郎 まだある。阿部日顕が監修した、平成十四年四月二十八日発行の『平成校定日蓮大聖人御書』も問題だ。その第一巻に掲載された「戒体即身成仏義」の書き下しは、「人ヲシテ顕教ヨリ密教ノ勝ルルコトヲ知ラ令ンカ為也」となっている。この邪義の上から日顕は三大秘法である本門戒壇論を述べているのだから、狂乱の極みだ。
二郎 「本門の戒壇」の「正本堂」をぶっ壊した男が、狂義をくだくだと述べている。