天台、伝教も妙法を恋慕
太郎 日蓮大聖人はみずからを天台、伝教に勝れていると仰せになっている。「四菩薩造立抄」は御本尊の建立について述べられている御書だが、そこには次のような文言を拝することができる。「日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富る者なり、是れ時の然らしむる故なりと思へば喜び身にあまり感涙押へ難く教主釈尊の御恩報じ奉り難し、恐らくは付法蔵の人人も日蓮には果報は劣らせ給いたり天台智者大師・伝教大師等も及び給うべからず最も四菩薩を建立すべき時なり云云」
二郎 日蓮大聖人は御本尊を顕されたがゆえに、「一閻浮提第一の富る者なり」とおっしゃって、天台、伝教より勝れていると断言されているんだね。
太郎 日蓮大聖人は、みずからの説く法の高きがゆえに、天台、伝教に勝れているとされ、次のようにも仰せになっている。
「天台・伝教もしろしめさざるにはあらず・時も来らず・機もなかりしかば・かききわめずして・をわらせ給へり、日蓮が弟子とならむ人人は・やすくしりぬべし」(宝軽法重事)
加えて日蓮大聖人は、御自身の教法が高いことを示され、天台、伝教が日蓮大聖人の法を恋慕している様子を述べられている。
「伝教大師は御本意の円宗を日本に弘めんとす、但し定慧は存生に之を弘め円戒は死後に之を顕す事法為る故に一重大難之れ有るか、仏滅後二千二百二十余年今に寿量品の仏と肝要の五字とは流布せず、当時果報を論ずれば恐らくは伝教・天台にも超え竜樹・天親にも勝れたるか文理無くんば大慢豈之に過んや、章安大師天台を褒めて云く『天竺の大論尚其の類に非ず真旦の人師何ぞ労しく語るに及ばん此れ誇耀に非ず法相の然らしむるのみ』等云云、日蓮又復是くの如し竜樹天親等尚其の類に非ず等云云、此れ誇耀に非ず法相の然らしむるのみ、故に天台大師日蓮を指して云く『後の五百歳遠く妙道に沾わん』等云云、伝教大師当世を恋いて云く『末法太はだ近きに有り』等云云、幸いなるかな我が身『数数見擯出』の文に当ること悦ばしいかな悦ばしいかな」(土木殿御返事)
「天台大師云く『後の五百歳遠く妙道に沾おわん』等云云広宣流布の時を指すか、伝教大師云く『正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り』等云云末法の始を願楽するの言なり、時代を以て果報を論ずれば竜樹・天親に超過し天台・伝教にも勝るるなり」(顕仏未来記)
如説修行の行者としての自負
二郎 ありがたいことだ。天台、伝教ですら恋慕渇仰した日蓮大聖人の仏法に、僕たちは会うことができたんだ。太郎 日蓮大聖人は、天台、伝教よりも御自身が勝れている根拠として、天台、伝教よりも法華経を深く強く重く身読したことを述べられている。
「法華経の第四に云く『如来の現在にすら猶怨嫉多し』等云云、第五に云く『一切世間怨多くして信じ難し』等云云、天台大師も恐らくはいまだ此の経文をばよみ給はず、一切世間皆信受せし故なり、伝教大師も及び給うべからず況滅度後の経文に符合せざるが故に、日蓮・日本国に出現せずば如来の金言も虚くなり・多宝の証明も・なにかせん・十方の諸仏の御語も妄語となりなん、仏滅後二千二百二十余年・月氏・漢土・日本に一切世間多怨難信の人なし、日蓮なくば仏語既に絶えなん」(単衣抄)
二郎 この御書に書かれている「法華経の第四」と「第五」の巻の文は、それぞれ法華経の何品に書かれてあるんだろう。
太郎 「如来の現在にすら猶怨嫉多し」は法師品第十に、また「一切世間怨多くして信じ難し」は安楽行品第十四に、それぞれ書かれてある。
二郎 その法華経を日蓮大聖人は身をもって読み、法華経が実語であることを証明されたんだ。
太郎 日蓮大聖人は、勧持品第十三に予見された、滅後末法における法華経の行者が受ける難をみずから身読されたとして、次のように仰せになっている。
「次に勧持品に八十万億那由佗の菩薩の異口同音の二十行の偈は日蓮一人よめり、誰か出でて日本国・唐土・天竺・三国にして仏の滅後によみたる人やある、又我よみたりと・なのるべき人なし・又あるべしとも覚へず、及加刀杖の刀杖の二字の中に・もし杖の字にあう人はあるべし・刀の字にあひたる人をきかず、不軽菩薩は杖木・瓦石と見えたれば杖の字にあひぬ刀の難はきかず、天台・妙楽・伝教等は刀杖不加と見えたれば是又かけたり、日蓮は刀杖の二字ともに・あひぬ、剰へ刀の難は前に申すがごとく東条の松原と竜口となり、一度も・あう人なきなり日蓮は二度あひぬ、杖の難にはすでにせうばうにつらをうたれしかども第五の巻をもつてうつ、うつ杖も第五の巻うたるべしと云う経文も五の巻・不思議なる未来記の経文なり」(上野殿御返事)
二郎 日蓮大聖人は、法師品第十や安楽行品第十四のみならず、勧持品第十三をも身読されたと言われているんだね。
太郎 日蓮大聖人は、それらの法華経を身読し、法華経の真実を証明した喜びを次のように述べられている。
「夫れ教主釈尊は娑婆世界第一の聖人なり、天台・伝教の二人は聖賢に通ずべし、馬鳴・竜樹・無著・天親等・老子・孔子等は或は小乗・或は権大乗・或は外典の聖賢なり、法華経の聖賢には非ず。
今日蓮は聖にも賢にも非ず持戒にも無戒にも有智にも無智も当らず、然れども法華経の題目の流布すべき後五百歳・二千二百二十余年の時に生れて・近くは日本国・遠くは月氏・漢土の諸宗の人人・唱へ始めざる先に・南無妙法蓮華経と高声によばはりて二十余年をふる間・或は罵られ打たれ或は疵をかうほり或は流罪に二度死罪に一度定められぬ、其の外の大難数をしらず・譬へば大湯に大豆を漬し小水に大魚の有るが如し、経に云く『而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや』又云く『一切世間怨多くして信じ難し』又云く『諸の無智の人有りて悪口罵詈す』或は云く『刀杖瓦石を加え或は数数擯出せらる』等云云、此等の経文は日蓮・日本国に生ぜずんば但仏の御言のみ有りて其の義空しかるべし」(妙密上人御消息)
二郎 日蓮大聖人が命がけで法華経を弘通し、それによって難に逢い、法華経を身でもって読まなければ、釈迦の説いた法華経自体が大嘘の法になってしまった。仏の説いた教えを証明するのは、命をかけなければできないことなんだ。
太郎 そうなんだ。だからこそ日蓮大聖人は、みずからを如説修行の行者であると誇り高く述べられている。
「問うて云く如説修行の行者は現世安穏なるべし何が故ぞ三類の強敵盛んならんや、答えて云く釈尊は法華経の御為に今度・九横の大難に値ひ給ふ、過去の不軽菩薩は法華経の故に杖木瓦石を蒙り・竺の道生は蘇山に流され法道三蔵は面に火印をあてられ師子尊者は頭をはねられ天台大師は南三・北七にあだまれ伝教大師は六宗ににくまれ給へり、此等の仏菩薩・大聖等は法華経の行者として而も大難にあひ給へり、此れ等の人人を如説修行の人と云わずんばいづくにか如説修行の人を尋ねん、然るに今の世は闘諍堅固・白法隠没なる上悪国悪王悪臣悪民のみ有りて正法を背きて邪法・邪師を崇重すれば国土に悪鬼乱れ入りて三災・七難盛に起れり、かかる時刻に日蓮仏勅を蒙りて此の土に生れけるこそ時の不祥なれ」(如説修行抄)
二郎 日蓮大聖人が「今の世は」「かかる時刻に」と述べられていることが注目される。これらの言葉は末法を指している。日蓮大聖人は末法における法華経の行者なんだ。仏法においては時というものが本当に大事だね。定められた時には、定められた仏、菩薩が出ていらっしゃるんだ。
太郎 日蓮大聖人は、末法における法華経の行者の大難が天台、伝教に超えたものだとして、次のように仰せになっている。
「仏記の如くんば末法に入つて法華経の行者有る可し其の時の大難・在世に超過せんと云云、仏に九横の大難有り所謂孫陀利の謗と金鏘と馬麦と琉璃の釈を殺すと乞食空鉢と旃遮女の謗と調達が山を推すと寒風に衣を索むるとなり、其の上一切外道の讒奏上に引くが如し記文の如くんば天台・伝教も仏記に及ばず」(法華行者逢難事)
二郎 「調達」というのは誰のこと?
太郎 それは、釈迦の従弟にあたる提婆達多だよ。「九横の大難」とは、釈迦が在世に受けた九つの大難のことだ。ここでそれぞれを説明する。
「孫陀利の謗」とは、孫陀利という女が釈迦と肉体関係をもったと虚言をはいた謀略。
「金鏘」とは、釈迦が弟子の阿難とともに托鉢行をしているとき、年寄りの下婢から腐った米のとぎ汁を供養されたこと。
「馬麦」とは、阿耆多王が供養するのを忘れたために、釈迦とその弟子が九十日間馬の餌の麦を食べ続けたこと。
「琉璃の釈を殺す」とは、釈迦一族が波瑠璃王によって全滅させられたこと。
「乞食空鉢」とは、人々が釈迦に帰依しないよう、王が供養したり説法を聞いた者に罰金を課したために、托鉢行をしても鉢が空であったこと。
「旃遮女の謗」とは、旃遮女が、釈迦の子を身ごもったと、服に鍋を入れて腹をふくらませ、釈迦を貶めようとした謀略。
「調達が山を推す」とは、提婆達多が釈迦を殺そうと山の上から岩を落とし、未遂に終わった殺人行為。
「寒風に衣を索むる」とは、冬至前後の寒い夜、突風で竹の壁が壊れたときに、釈迦は衣を求めて寒さをしのごうとした。
先ほど引用した「法華行者逢難事」には出てないが、第九番目の難として、阿闍世王が釈迦を殺して提婆達多を教団のトップにしようと謀り、癖の悪い象に酒を飲ませて暴れさせて釈迦を踏み殺させようとした「阿闍世王の酔象」の難がある。
二郎 釈迦も二度ばかり殺されそうになったけど、手段も稚拙で、この釈迦の九横の大難よりも日蓮大聖人の難のほうが凄まじかったことは明らかだね。
太郎 そうだ。日蓮大聖人は、文応元(一二六〇)年、三十九歳の時、鎌倉の松葉ケ谷で起きた「松葉ケ谷の法難」で、大勢の念仏者たちに夜襲され、殺されかけた。
文永元(一二六四)年、四十三歳の時の「小松原の法難」では、地頭の東条景信の軍勢と念仏者の襲撃を受け、日蓮大聖人は眉間に刀傷を負われ、左手を折られた。また弟子の中には殺された者もいる。
文永八(一二七一)年、五十歳の時の「竜の口の法難」では、鎌倉の竜の口で斬首刑に処せられ、首を刎ねられる寸前であった。
流罪は二度におよんだ。四十歳の時、弘長元(一二六一)年から同三(一二六三)年まで、伊豆の伊東に流された。
五十歳の時には、佐渡流罪となった。佐渡流罪は文永八(一二七一)年十月から同十一(一二七四)年二月まで続いた。この佐渡流罪の真相は、そこで日蓮大聖人を餓死、凍死させようと、鎌倉幕府が謀ったものだった。
二郎 日蓮大聖人の難は釈迦の「九横の大難」に比べて雲泥の差があるね。
天台、伝教も説けない教え
太郎 では、話を戻すよ。日蓮大聖人の天台、伝教に対する評価だ。御書には次のような御文もある。「彼の天台大師は迹化の衆なり、此の日蓮は本化の一分なれば盛に本門の事の分を弘むべし」(太田左衛門尉御返事)
二郎 迹化、本化というのはどういうこと。
太郎 迹化というのは正法、像法時代に出現して権大乗経や法華経迹門を弘通した菩薩たちのこと。本化というのは、末法において南無妙法蓮華経を弘通することを誓った地涌の菩薩のことだ。
二郎 そういうことなんだ。
太郎 迹化の菩薩である天台、伝教は、日蓮大聖人を筆頭とする地涌の菩薩が弘める南無妙法蓮華経については知っていた。けれどもそれを口に出すことはなかった。それについては次のような御書がある。
「但漢土の天台・日本の伝教・此の二人計りこそ粗分け給いて候へども本門と迹門との大事に円戒いまだ分明ならず、詮ずる処は天台と伝教とは内には鑒み給うといへども一には時来らず二には機なし三には譲られ給はざる故なり、今末法に入りぬ地涌出現して弘通有るべき事なり」(治病大小権実違目)
二郎 天台と伝教はあらあらわかっていたが、像法時代であったのと、釈迦より付嘱されてないために、説くことはできなかった。
太郎 法華経の会座で、末法において法華経を弘める指導者は定められていた。上行菩薩なんだ。
「又一代聖教を弘むる人多くおはせども是れ程の大事の法門をば伝教天台もいまだ仰せられず、其も道理なり末法の始の五百年に上行菩薩の出世あつて弘め給ふべき法門なるが故なり」(新池御書)
二郎 薬王菩薩の化身である天台、伝教では、末法の民衆救済はできない。
「弟子どもに内内申す法門あり」
太郎 仏法においては時≠ェ大事だ。日蓮大聖人も末法の民衆救済の大法を開顕されたのは、法華経を完全に身読された佐渡流罪中のことだった。人本尊、法本尊は佐渡流罪に至って、初めて顕示された。「而るに去る文永八年九月十二日の夜たつの口にて頸をはねられんとせし時より・のちふびんなり、我につきたりし者どもにまことの事をいわざりけるとをもうて・さどの国より弟子どもに内内申す法門あり、此れは仏より後迦葉・阿難・竜樹・天親・天台・妙楽・伝教・義真等の大論師・大人師は知りてしかも御心の中に秘せさせ給いし、口より外には出し給はず、其の故は仏制して云く『我が滅後・末法に入らずば此の大法いうべからず』と・ありしゆへなり、日蓮は其の御使にはあらざれども其の時剋にあたる上・存外に此の法門をさとりぬれば・聖人の出でさせ給うまでまづ序分にあらあら申すなり」(三沢抄)
二郎 天台、伝教よりもずっと勝れているとされる日蓮大聖人の教法をいま信じていることに、僕は誇りを持つよ。
それも日蓮大聖人が上行菩薩として統率される地涌の菩薩の流類であることに、かけがえのない誇りを感じる。
太郎 天台、伝教は法華経の文底に説かれた大法を説くことはできなかったんだ。日蓮大聖人は末法の時にあって地涌の菩薩の棟梁として、それを説かれたんだ。
「竜樹・天親は共に千部の論師なり、但権大乗を申べて法華経をば心に存して口に吐きたまわず此に口伝有り、天台伝教は之を宣べて本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字と之を残したもう、所詮一には仏・授与したまわざるが故に、二には時機未熟の故なり、今既に時来れり四菩薩出現したまわんか日蓮此の事先ず之を知りぬ」(法華行者逢難事)
二郎 南無妙法蓮華経を信じ唱えるということは大変なことなんだ。
法華経の肝心が諸仏の眼目
太郎 日蓮大聖人は次のようにも仰せになっている。「天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり」(種種御振舞御書)
二郎 日蓮大聖人の南無妙法蓮華経は「法華経の肝心」であり、「諸仏の眼目」なんだ。
太郎 そうなんだよ。南無妙法蓮華経こそが一大事の秘法なんだ。
「天台・伝教は粗釈し給へども之を弘め残せる一大事の秘法を此国に初めて之を弘む日蓮豈其の人に非ずや」(富木入道殿御返事)
二郎 天台、伝教はあらあら述べたけれども、「一大事の秘法」については、知っていても表に出すことができなかったんだね。
太郎 そうなんだ。法華経における約束としてできなかったんだよ。だけど天台、伝教ともに、自行としては題目を唱えていた。
「南岳大師は観音の化身・天台大師は薬王の化身なり等云云、若し爾らば霊山に於て本門寿量の説を聞きし時は之を証得すと雖も在生の時は妙法流布の時に非ず、故に妙法の名字を替えて止観と号し一念三千・一心三観を修し給いしなり、但し此等の大師等も南無妙法蓮華経と唱うる事を自行真実の内証と思食されしなり、南岳大師の法華懺法に云く『南無妙法蓮華経』文、天台大師の云く『南無平等大慧一乗妙法蓮華経』文、又云く『稽首妙法蓮華経』云云、又『帰命妙法蓮華経』云云、伝教大師の最後臨終の十生願の記に云く『南無妙法蓮華経』云云、問う文証分明なり何ぞ是くの如く弘通したまわざるや、答う此れに於て二意有り一には時の至らざるが故に二には付属に非ざるが故なり、凡そ妙法の五字は末法流布の大白法なり地涌千界の大士の付属なり是の故に南岳・天台・伝教等は内に鑑みて末法の導師に之を譲りて弘通し給わざりしなり」(当体義抄)
二郎 南岳、天台、伝教は、法華経の会座に列なっていたがゆえに自解仏乗して、南無妙法蓮華経こそが「法華経の肝心」「諸仏の眼目」であることを知っていた。しかし「末法の導師」にその弘通を委ねたんだね。


