念仏者だった道善房
太郎 「日本第一の智者となし給へ」という日蓮大聖人の大願は成就する。二郎 いつ、どこでなのだろうか。
太郎 その手がかりとなる御書が二つある。
二郎 二つの御書とは?
太郎 「善無畏三蔵抄」と「清澄寺大衆中」だ。
二郎 そこにはどのように書かれているのだろう。
太郎 まず「善無畏三蔵抄」について述べよう。この御書で日蓮大聖人は先に真言批判をされ、その後の文で次のように述べられている。
「日蓮は安房の国・東条の郷・清澄山の住人なり、幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てて云く日本第一の智者となし給へと云云、虚空蔵菩薩眼前に高僧とならせ給いて明星の如くなる智慧の宝珠を授けさせ給いき、其のしるしにや日本国の八宗並びに禅宗・念仏宗等の大綱・粗伺ひ侍りぬ」
さらに日蓮大聖人は、
「此の諸経・諸論・諸宗の失を弁うる事は虚空蔵菩薩の御利生・本師道善御房の御恩なるべし」
とも述べられている。
二郎 「虚空蔵菩薩眼前に高僧とならせ給いて」とあるが、後ろに続けて「虚空蔵菩薩の御利生」「本師道善御房の御恩」と並記されているから、この「高僧」が日蓮大聖人が生涯において師と呼ばれた道善房であると考えていいのだろうか。
太郎 それがどうも、そうは思えないんだ。この「善無畏三蔵抄」の文末には、道善房について、
「而るに此の人愚癡におはする上念仏者なり三悪道を免るべしとも見えず、而も又日蓮が教訓を用ふべき人にあらず」
と断じられている。
二郎 そうなると道善房は、とてもではないけれども日蓮大聖人が「日本第一の智者となし給へ」と願いを立てられた虚空蔵菩薩の力用によって現われた「高僧」とは思えない。また「宝珠」を日蓮大聖人に授けられるような人物とは思えない。
太郎 この「善無畏三蔵抄」を拝すれば、そう結論するしかないね。
二郎 道善房はたしか、日蓮大聖人から、五体の阿弥陀を作ったから五回地獄に堕ちると言われたことがあったよね。
太郎 そうだ。日蓮大聖人は、道善房について次のように仰せになっている。
「故道善房はいたう弟子なれば日蓮をば・にくしとは・をぼせざりけるらめども・きわめて臆病なりし上・清澄を・はなれじと執せし人なり、地頭景信がをそろしさといゐ・提婆・瞿伽利に・ことならぬ円智・実成が上と下とに居てをどせしをあながちにをそれて・いとをしと・をもうとしごろの弟子等をだにも・すてられし人なれば後生はいかんがと疑わし」(報恩抄)
二郎 道善房は地頭の東条景信などを恐れて念仏を捨てなかったんだ。それどころか、清澄寺の円智や実成に代表される大衆の圧迫を恐れて、日蓮大聖人と、その日蓮大聖人に随順する人々をも捨てたんだ。この「善無畏三蔵抄」における自らの悟達に関する記述の中で、どうして日蓮大聖人は、そのような道善房について「本師道善御房の御恩」とまで述べられたのだろうか。
太郎 それは十二歳の日蓮大聖人が大願を抱いて清澄寺に登られたとき、道善房は日蓮大聖人をたいへんに可愛がり、学問に勤しめるように様々な便宜をはかってくれたからだと思う。
二郎 しかし、道善房は念仏者だった。日蓮大聖人の師僧として、日蓮大聖人を育んでくれた人なのに……。
太郎 だが道善房も「弟子」の日蓮大聖人の教えに従った時もあった。この時、日蓮大聖人は道善房が法華経に帰依したことについて、
「今既に日蓮・師の恩を報ず」(善無畏三蔵抄)
とも言われ喜ばれている。
二郎 日蓮大聖人は厳しいけれども本当に優しい方だね。慈悲とはそういうものなんだ。
太郎 だけども、慈悲の「慈」という観点から見れば、次のようになる。
「後にすこし信ぜられてありしは・いさかひの後のちぎりきなり、ひるのともしびなにかせん」
二郎 日蓮大聖人は師・道善房に一日も早く法華最勝の思いに立ってほしかったんだ。日蓮大聖人の無念の思いが伝わってくる。
本尊雑乱の清澄寺
太郎 では、もう一つ、清澄寺における日蓮大聖人の悟りについて述べられた「清澄寺大衆中」を拝読しよう。この御書において日蓮大聖人は、「真言師の蜂起」にふれられた後、次のように述べられている。「生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給わりし事ありき、日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思し食しけん明星の如くなる大宝珠を給いて左の袖にうけとり候いし故に一切経を見候いしかば八宗並びに一切経の勝劣粗是を知りぬ」(傍線、著者直し)
二郎 「生身の虚空蔵菩薩」とは、どういう意味?
太郎 日蓮大聖人の場合、「生身」はさまざまな意味に使われている。ある時は画像や木像、そして経文の文字、そして他宗の教祖や邪師などを「生身の阿弥陀仏」「生身の如来」などと揶揄される場合もある。
二郎 「生身」をいい意味で日蓮大聖人が使われている御書はないの?
太郎 「生身の仏」として釈迦のことを言われる場合もある。
「仏滅後は木画の二像あり是れ三十一相にして梵音声かけたり故に仏に非ず又心法かけたり、生身の仏と木画の二像を対するに天地雲泥なり」(木画二像開眼之事)
これは木画との比較の上で述べられているもので、釈迦本人を指している。
二郎 この御書以外で日蓮大聖人が「生身」と言われる場合は、いい意味ではないんだ。
太郎 そうなんだよ。「生身の阿弥陀仏」「生身の如来」と言われる場合の「生身」は、今様に言えば生き仏≠ネどといった言い方に相当する。
二郎 いくらなんでも、日蓮大聖人が生き菩薩≠ゥら「大智慧」を授けられたとは思えない。
太郎 ここで「生身の虚空蔵菩薩」と言われているのは、清澄寺に安置されていた虚空蔵菩薩の画像あるいは木像を意味するものと思われる。
二郎 なるほど。「生身の虚空蔵菩薩」についてはわかった。清澄寺のどこかに安置されていた木像か画像なんだね。
太郎 現在は確かに虚空蔵菩薩が清澄寺の本堂に安置されている。しかし虚空蔵菩薩が、当時の清澄寺の本堂に安置された本尊かどうかは断定できない。だが、何らかの形で清澄寺の中に安置されていたことは間違いないことと思われる。
二郎 それはどういうことなの。
太郎 清澄寺はそもそも天台密教の流れにあったとされているが、本尊は雑乱していたと考えられる。そして真言化し、それゆえに念仏がはびこることを許していた。当時の仏教界の有様からは、虚空蔵菩薩が本堂に本尊として安置されていた可能性はまずないと思う。
二郎 虚空蔵菩薩というのは真言の菩薩で、大日如来などの下の下についている、いわば端役のような菩薩じゃないの? その虚空蔵菩薩に日蓮大聖人が誓願されるということに少し抵抗があるんだ。その意味においては、虚空蔵菩薩が本堂に安置されていないということも納得できるんだけどね。
太郎 何を言っているんだ、二郎。虚空蔵菩薩が真言宗の中でどのように扱われていようと、虚空蔵菩薩というのは本来は天台の法門に出てくる、法華経に通じる菩薩なんだ。
二郎 えっ、そうなの。
太郎 真言宗は日蓮大聖人も言われているように「法盗人」なんだ。天台の一念三千の法門を盗み、それに印と真言をつけて天竺より漢土に渡し、真言師たちの方が勝れているかのように装ったとんでもない宗派なんだ。この悪事には何人かの真言宗の頭目が悪知恵を働かせて連携プレーをしている。
二郎 そうなると天台が生きていた頃には、まだ真言宗は天竺から漢土には渡ってないの?
太郎 それはそうだよ。漢土にある天台法門を盗んで、天竺に持って行って加工して、それをもって天台の法門よりすごいものだと粉飾して漢土に入ってきたんだから。この真言宗の悪の根の深さをさぐるのに、日蓮大聖人は修学時代に大変な労力をかけられた。このことについては後に詳しく説明するよ。
二郎 真言師たちは、天台が説いていた虚空蔵菩薩を、自分たちが崇め奉る大日如来の家来にして、大日如来を盛りたてる役を任せたということになるんだね。
太郎 法盗人というのは、そういうことを平気でやるんだ。だから言っておくよ。日蓮大聖人が誓願された虚空蔵菩薩は、法華経の理に則った虚空蔵菩薩なんだ。大日如来の手下なんかじゃないんだ。このことについては後で法義にのっとり、ゆっくり説明するよ。
二郎 わかった。ところで兄さん、日蓮大聖人が誓願をされた頃、清澄寺で一番大事にされていたのは何という仏菩薩だったと考えているの。
太郎 日蓮大聖人は立正安国論において、当時の寺の風潮を批判して次のように述べられている。
「然る間或は釈迦の手指を切つて弥陀の印相に結び或は東方如来の鴈宇を改めて西土教主の鵝王を居え、或は四百余回の如法経を止めて西方浄土の三部経と成し或は天台大師の講を停めて善導講と為す」
このように日蓮大聖人が認められているんだから、阿弥陀である可能性が高いと思われる。
二郎 当時の仏教界は、そんなにひどい有様だったんだ。「釈迦の手指を切つて弥陀の印相に結」んで、釈迦の像を阿弥陀如来の像に変えてしまうようなことが平気で行なわれていたんだ。また、念仏義が主流を占め、天台の講すらなくなってしまった。
太郎 おそらくは、清澄寺も時流に乗って、阿弥陀を安置していたと考えるのが当然だし、真言の影響を受けて大日如来を安置していたことも考えられる。ともあれ、様々な本尊が雑乱していたと考えて間違いないだろう。
二郎 日蓮大聖人は出家得度されても、どの仏菩薩に祈ればよいのか、困られたんじゃないかな。
太郎 そう思う。清澄寺に念仏がはびこっていれば、なおさらのことだ。なにしろ、先にも紹介したとおり、日蓮大聖人も幼少のときに「皆人の願わせ給う事なれば」という理由で念仏を唱えていたとおっしゃっている。そのような状況の中で日蓮大聖人は、念仏者の死にゆく様と死相を見て大きな疑問を持たれた経過がある。
二郎 清澄寺に十二歳で登られた時には、日蓮大聖人の心は阿弥陀からは離れていたと考えられるね。
太郎 もちろんそうだ。阿弥陀がはびこり、本尊が雑乱し、経の高低浅深もわからない。どの教えをもって人々を救えばいいのかわからない。そのような有様だったからこそ、日蓮大聖人は十二歳の時に清澄寺に登られた際に、「日本第一の智者となし給へ」との一大誓願をなされたんだ。
二郎 仏法が乱れているからこそ、その中で最上のものを知りたいと思われたんだ。
虚空蔵菩薩はたしかにあった
太郎 清澄寺の寺伝によれば、開創当初の清澄寺には「十二僧房」「二十五祠殿」があったそうだ。それなりの寺格と規模を備えた裕福な寺であったと思われる。また清澄寺のある「東条の郷」には源頼朝によって伊勢神宮に寄進された日本第一の「御厨」があり、「領家」が管領していた。二郎 しかし兄さん、先ほどから本尊雑乱した清澄寺に虚空蔵菩薩が安置されていたという前提で話を進めてきたけど、本当にそれでよいのだろうか。
太郎 清澄寺に虚空蔵菩薩はあった。それは日蓮大聖人の御書に次のように書かれていることからも間違いない。
「これは大事の法門なり、こくうざう菩薩にまいりてつねによみ奉らせ給うべし」(聖密房御書)
「このふみはさど殿と・すけあさり御房と虚空蔵の御前にして大衆ごとに・よみきかせ給へ」(清澄寺大衆中)
二郎 そうなると、やはり清澄寺の中に虚空蔵菩薩が何らかの形で安置されていたことは確かなことなんだ。
太郎 ではもう一度、日蓮大聖人の虚空蔵菩薩に対する誓願と悟りについて書かれている御書を拝してみよう。
「予はかつしろしめされて候がごとく幼少の時より学文に心をかけし上・大虚空蔵菩薩の御宝前に願を立て日本第一の智者となし給へ、十二のとしより此の願を立つ其の所願に子細あり今くはしく・のせがたし」(破良観等御書)
「日蓮は安房の国・東条の郷・清澄山の住人なり、幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てて云く日本第一の智者となし給へと云云、虚空蔵菩薩眼前に高僧とならせ給いて明星の如くなる智慧の宝珠を授けさせ給いき、其のしるしにや日本国の八宗並びに禅宗・念仏宗等の大綱・粗伺ひ侍りぬ」(善無畏三蔵抄)
「生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給わりし事ありき、日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思し食しけん明星の如くなる大宝珠を給いて左の袖にうけとり候いし故に一切経を見候いしかば八宗並びに一切経の勝劣粗是を知りぬ」(清澄寺大衆中)(傍線、著者直し)
これらの御書はそれぞれ日蓮大聖人が五十五歳(推定)、四十九歳、五十五歳の時に書かれている。十二歳の時から考えれば歳月も経っているし、御書を書かれた年齢も六歳離れている。それでありながら、ほぼ同じ表現で書かれている。日蓮大聖人が十二歳で出家されるにあたってなされた祈りはそれほど強いものだったんだ。だからこそ、明晰な記憶として残っている。
日蓮大聖人が「日本第一の智者となし給へ」と祈られたということは、みずからが末法の民衆救済をなす智者になりたいということにほかならない。それは当然、日蓮大聖人が心中に期しておられた正法に辿り着くことであり、人々を幸せにし、国を栄えさせることのできる正法をみずからが覚知することにつながる。十二歳でこの思いに立たれた日蓮大聖人に対してただただ感服する。同時に感謝の念が沸々と湧き起こってやまない。
二郎 本当にそうだね。
「明星の如くなる大宝珠」
太郎 「善無畏三蔵抄」において日蓮大聖人は、「虚空蔵菩薩眼前に高僧とならせ給いて明星の如くなる智慧の宝珠を授けさせ給いき」とみずから仰せになっている。「清澄寺大衆中」でも、「生身の虚空蔵菩薩」より「左の袖」に「明星の如くなる大宝珠」を受けたと書かれている。この「智慧の宝珠」「大宝珠」によって、一切経を見れば、すべての勝劣がほぼわかったとおっしゃってる。これは極めて興味深いね。二郎 「智慧の宝珠」「大宝珠」というのは何のことだろう。これによって一切経の勝劣がわかったとおっしゃっているんだから、非常に気になる。
太郎 それは日蓮大聖人の一期の弘法からすれば、法華経であることは間違いがない。
二郎 聞くまでもなかった。僕もそうだと思っていた。
太郎 法華経法師品第十には次のように書かれているよ。
「我所説経典無量百千万億、已説、今説、当説。而於其中、此法華経最為難信難解(我が説く所の経典は無量百千万億にして、已に説き、今説き、当に説くべし。而も其の中に於いて、此の法華経は最も為れ難信難解なり)」
さらに釈迦は法華経安楽行品第十四において次のように説いている。
「此法華経、諸仏如来秘密之蔵、於諸経中最在其上(此の法華経は、諸仏如来の秘密の蔵にして、諸経の中に於いて最も其の上に在り)」
二郎 法華最勝の立場からすれば、その余の教説が相対化され、その勝劣もたやすく見分けることができるんだ。
太郎 当時、法華経は清澄寺においても大切なお経とされていた。
二郎 だったら他の人たちも、つまらぬ権経に惑わされなくても良さそうなものだが……。
太郎 ところが、それがわからないんだ。今の時代でもありがちなことだが、すべてのお経は釈迦の説いたものであるから、全部がありがたいものだ。どれもが仏になるありがたいお経だと言って、そこに勝劣を考える発想がない。
二郎 たしかにそうだ。お経だったら何でもいいと言いながら、葬儀の時には法華経が一番ありがたいお経だと言って、お金を掠め取っている売僧もいる。法華経を信じない者には、爾前権経の教えを捨てるべきだと言ってもわからない。
太郎 日蓮大聖人御在世当時の清澄寺においても、法華経は大切な経とされていた。法華経を懸命に書写していた坊主が、法華最勝を主張する日蓮大聖人とその弟子を迫害していた事実もあるんだ。「種種御振舞御書」に次のように書かれている。
「円智房は清澄の大堂にして三箇年が間一字三礼の法華経を我とかきたてまつりて十巻をそらにをぼへ、五十年が間一日一夜に二部づつよまれしぞかし、かれをば皆人は仏になるべしと云云、日蓮こそ念仏者よりも道義房と円智房とは無間地獄の底にをつべしと申したりしが此の人人の御臨終はよく候いけるか・いかに、日蓮なくば此の人人をば仏になりぬらんとこそおぼすべけれ」
二郎 この円智房という坊主は、「大堂」という清澄寺の本堂のような場所で法華経を書写していたが、末法の御本仏である日蓮大聖人を誹謗したために良からぬ臨終の有様であった。堕獄だね。
太郎 このことからすると、清澄寺において日蓮大聖人が法華経を手にされ、読まれることはたやすいことだったと考えられる。そう考えていけば、道善房から「智慧の宝珠」「大宝珠」である法華経をいただいたのだと即断して、「本師道善御房の御恩」という表現と短絡させるべきではない。
二郎 ともあれ「智慧の宝珠」「大宝珠」が法華経であることは間違いがない。
太郎 しかし、その「法華経」というのが難しいんだ。これについては、後でゆっくり話そう。法華経の伝来、像法時代に法華経を弘めた天台や天台、そして法華経を説いた釈迦と人師たちの関係、さらには法華経の文底に秘められた日蓮大聖人のお立場。これらのすべてを考えていかなければ、本当の「智慧の宝珠」「大宝珠」の意味には到達できない。
虚空蔵菩薩所現の相
二郎 それについては後でしっかり教えてよ。ここでは清澄寺時代の十二歳から十六歳に至る間の日蓮大聖人のことを話題にしていきたい。話を戻すけれども、日蓮大聖人が「智慧の宝珠」「大宝珠」を賜ったとされている虚空蔵菩薩とは、正しくはどういう菩薩だろう。太郎 天台は『摩訶止観』巻第五の「第七重 正修」の「巧安止観」(巧みに止観を安んぜよ)において、虚空蔵菩薩について言及している。
二郎 『摩訶止観』巻第五に出てくるんだ。
太郎 天台は虚空蔵菩薩について次のように述べている。
「唯此心は但是れ法性なりと信ず。起は是れ法性の起、滅は是れ法性の滅、其を體すれば實に起滅せざるに、妄りに起滅すと謂ふ。秖妄想を指すに悉く是れ法性、法性を以て法性に繫け、法性を以て法性を念ず、常に是れ法性なり、法性ならざるの時なし。體達既に成ずれば妄想を得ず、亦法性を得す、源に還り本に返り、法界倶に寂なり、是を名けて止と為す、此の如く止する時、上来の一切の流動皆止む。観とは、無明の心は上は法性に等しく本来皆空、下は一切の妄想善悪に等しくして皆虚空の如く、二無く別なしと観察するなり。譬へば劫の盡るときは、地従りして上は初禅に至り、炎炎として是れ火に非ざること無きが如く、又虚空蔵菩薩の所現の相は一切皆空なるが如く、海慧の初めて来つて現ずる所は一切皆水なるが如し。介爾の念起るに、初念の念は即空ならずといふこと無く、空も亦不可得なり」
二郎 ちょっと意味がわからないんだけれども。
太郎 じゃあ、通解してみるよ。
「心(生命)は法性であると信じる。起とは法性の起であり、滅とは法性の滅である。しかるに法性が起滅していないのに、人はみだりに起滅するという。まさに妄想をさすに悉くこれは法性であり、法性をもって法性につなげ、法性をもって法性を念じる。常にこれ、法性なのである。法性でないということはない。法の本有に住すれば、妄想も得ることなく、法性も得ることがない。源に還り、元に返り、法界ともに寂然としたものとなる。これを名づけて『止』とする」
ここでいう「止」とは、「止観」の「止」ということになる。
「このように『止』する時、上来の一切の流動はみな止む。
『観』とは無明の心はみな法性に等しく本来皆空。下は一切の妄想善悪に等しくして、皆虚空のようなものだ。無明も法性も二つの別々のものではないと観察しなければならない」
この「観」は「止観」の「観」だ。
二郎 迷いである無明の心も、法性に等しいんだ。そしてそれは無明の心を上に見ていけば法性に等しくて、それは「空」ということになる。下に見ていけば妄想善悪に等しくなり、それは皆、「虚空」ということになるんだね。「無明」も「法性」も、そして「空」も「虚空」も二つのものではなく、一体のものとして観察することを述べているんだ。
太郎 「たとえば劫の尽きるときは、地より天に至るまで炎炎として火でないものはない」
一切は火となり、一となるが如し。
「虚空蔵菩薩が現すところの相は、一切皆空であるように、海に譬えられるような大きな智慧も、初めて現われる時には、ただ一水であるようなものである。一瞬の心が起こるのに初念の心は空でないことはなく、その空もまた感得することができないのである」
二郎 結論として、どういうことが言いたいんだろう。
太郎 先ほど述べたように、上は法性に等しくて本来「空」であり、下は「虚空」のようなものであるという一文があった。このことを踏まえれば、「空」「虚空」ともに法性に由来すれば一にして二ではなく、「空」「虚空」ともに同じであるということになる。
そこで天台は「空」「虚空」が一つであるとの観点、すなわちそれはすべて法性の起滅に由来するという考えによるのだが、その「空」「虚空」が一であるとの考えから、「虚空蔵菩薩の所現の相は一切皆空なるが如く、海慧の初めて来つて現ずる所は一切皆水なるが如し」と述べているんだ。
二郎 兄さん、もう一度話して。
太郎 虚空蔵菩薩が現ずる相は、一切のものがよって来るところが空であることを示していると言うんだ。海の水、ここではそのような大きな智慧を示しているが、海の水も現れる時は、ことごとく一水にしかすぎない。大慧もまたはじめて来って現れる時は、一切が皆、海に流れ込む水のようなものだと言っている。
天台はこの『摩訶止観』において、虚空蔵菩薩の「所現の相」については、「空」であるとしている。智慧は「不可得」な「空」から現れる。
二郎 ことごとくは、その「空」から始まるという考えなんだ。
太郎 そういうことになる。天台は『摩訶止観』のこの箇所において、「無明」「法性」ともに「空」だと述べている。天台によれば「空」は、一切の念のよって来るべき所だと、この箇所では定義づけしている。虚空蔵菩薩は一切の「念」が来るところの「空」を現じている菩薩といえる。「空」も「虚空」も等しく、如如として一瞬一瞬、生滅しながらも絶えることのない生命の本質を説明する概念として用いられている。
二郎 そうなると、虚空蔵菩薩は生命の本質を表す「空」を象徴するものなんだ。
法性の妙理に染浄の二法
太郎 日蓮大聖人は最蓮房に与えられた重要法門の書である「当体義抄」において、次のように説かれている。「問う一切衆生の当体即妙法の全体ならば地獄乃至九界の業因業果も皆是れ妙法の体なるや、答う法性の妙理に染浄の二法有り染法は熏じて迷となり浄法は熏じて悟となる悟は即ち仏界なり迷は即ち衆生なり、此の迷悟の二法二なりと雖も然も法性真如の一理なり、譬えば水精の玉の日輪に向えば火を取り月輪に向えば水を取る玉の体一なれども縁に随て其の功同じからざるが如し、真如の妙理も亦復是の如し一妙真如の理なりと雖も悪縁に遇えば迷となり善縁に遇えば悟となる悟は即ち法性なり迷は即ち無明なり、譬えば人夢に種種の善悪の業を見・夢覚めて後に之を思えば我が一心に見る所の夢なるが如し、一心は法性真如の一理なり夢の善悪は迷悟の無明法性なり、是くの如く意得れば悪迷の無明を捨て善悟の法性を本と為す可きなり」
二郎 それでは日蓮大聖人は、無明や法性、迷いや悟りといえども、それは法性の染浄によると言われているんだね。「善悟の法性」こそ大事なんだ。
太郎 この法性の説明は、一切衆生の当体も又妙法であるのだろうか、との問いに答えて述べられたものだ。「当体義抄」の冒頭は次のように始まっている。
「問う妙法蓮華経とは其の体何物ぞや、答う十界の依正即ち妙法蓮華の当体なり」
その上で一切の衆生が妙法の当体であることを説かれている。
二郎 すると僕自身も妙法の当体であり、「法性の妙理」にある「染浄の二法」の故に迷悟の心が現われてくるんだ。
太郎 先ほど、虚空蔵菩薩所現の相が示す「空」は無明・法性の一切の念が発するところであるとされ、その無明・法性ともに法性の起滅に過ぎないと述べられていた。そうなると天台がいうところの「法性の起滅」は、日蓮大聖人が説かれるところの法性の妙なる理である「染浄の二法」に通じることになる。二郎がいうように「染浄の二法」すなわち「法性の起滅」により、法性はある時は悟と現われ、ある時は迷となる。
二郎 法性に存ずる「染浄の二法」ゆえに迷悟があるということならば、そのあり様によっては僕たちも悟りを開くことができるということになるね。
太郎 そういうことになる。天台の説く「起は是れ法性の起、滅は是れ法性の滅」云々の論は、我々衆生が成仏することができる妙法の当体であることを理論的に示そうとしたものなんだ。
二郎 なるほど、そうだったんだ。
太郎 虚空蔵菩薩の所現の相が「一切皆空」であることを示しており、天台は『摩訶止観』巻第五において、
「介爾の念起るに、初念の念は即空ならずといふこと無く、空も亦不可得なり」
と説いているが、ここで天台が述べている「空」は、一心三観の空観として説かれる「空」ではなく、「当体義抄」で述べられている「法性の妙理」が指し示すところの妙法を示していると結論づけることができる。
日蓮大聖人曰く。
「妙法の名字を替えて止観と号し一念三千・一心三観を修し給いしなり」(当体義抄)
二郎 日蓮大聖人が十二歳の時に悟達を祈られた虚空蔵菩薩は「空」を所現したものだが、その「空」は妙法を指し示すものだった。日蓮大聖人はその虚空蔵菩薩に「日本第一の智者となし給へ」と十二歳の時に祈られ、その虚空蔵菩薩より「宝珠」を賜ったことになるんだ。
法華経に説かれた「虚空」
太郎 ここで、法華経において「虚空」がどのように説かれているかを見ていきたい。法華経従地涌出品第十五には、地涌の菩薩が住んでいる処を示して、次のように説かれている。「此諸菩薩、皆於是娑婆世界之下、此界虚空中住(此の諸の菩薩は、皆な是の娑婆世界の下、此の界の虚空の中に於いて住せり)」
二郎 この諸々の菩薩が地涌の菩薩だったよね。
太郎 もちろんそうだ。その地涌の菩薩の住処が「娑婆世界」の下の「虚空」なんだ。
二郎 なるほど。
太郎 地涌の菩薩の住処が、地の下の「虚空」であり、その「虚空」から地涌の菩薩が陸続と現われることによって、法華経における荘厳な虚空会の儀式が行なわれた。
二郎 それにしても「娑婆世界」の下に「虚空」があったとは知らなかった。
太郎 釈尊己心の儀式である法華経には、本当に不思議なことが書かれている。天台は『法華文句』巻第九において、この法華経従地涌出品第十五について釈している。ここでも天台は地涌の菩薩の住処である「虚空」について、次のように釈している。
「住處とは常寂光土なり、常は即ち常徳、寂は即ち楽徳、光は即ち浄我なり、是れを四徳秘密の蔵と為す、是其住處なり。不住の法を以て秘蔵の中に住す。下方とは法性の淵底、玄宗の極地なり、故に下方と言ふ。此を出ずれば上に在らず、下に在らず、上ならず、下ならずして空中に住在す、亦是れ中道なり」
二郎 地涌の菩薩は常寂光土に住んでいるんだ。すごいね。
太郎 常寂光土とは、常楽我浄の四徳に照らされている玄妙の地なんだ。法華経の会座に集った仏菩薩にとっても、まことにもって不思議な処といえる。
二郎 「不住の法を以て秘蔵の中に住す」とは、どう解釈すればよいのだろう。
太郎 地涌の菩薩が娑婆世界に「不住」だということだ。突然、法華経の会座に涌出して来たんだ。だから、法華経文上の文脈からして、「不住の法を以て」云々としか言えない。
二郎 法華経の会座に集った仏菩薩にしてみれば、娑婆世界とは縁もゆかりもないような秘密の蔵に住んでいる菩薩と思えたんだろうね。
太郎 この従地涌出品で地涌の菩薩が突然、地より涌くが如く陸続と現われた。法華経文上から見れば、地涌の菩薩はこの娑婆世界に住んでいない者と思われただろう。また、『法華文句』をもって法華経を釈した天台にしてみても、地涌の菩薩がこの娑婆世界に常住するということを知っていても、それを言葉に出して言うわけにはいかなかっただろう。天台には地涌の菩薩の本質を述べる資格はなかった。このことは後で詳しく話すよ。
二郎 ともあれ地涌の菩薩が「虚空」より現われ「秘密の蔵」に住したという表現は、それこそ「虚空蔵」に通じるね。
太郎 この地涌の菩薩の住処を示した『法華文句』の「下方とは法性の淵底、玄宗の極地なり」という天台の釈を日蓮大聖人は「三世諸仏総勘文教相廃立」に引用されている。
『法華文句』で釈された地涌の菩薩の所居は「法性の淵底 玄宗の極地」で、法性の起滅を相対化する境界にあると言える。天台の『摩訶止観』巻第五は法性の起滅を論じた後に虚空蔵菩薩を引き合いに出し、この虚空蔵菩薩所現の相が「空」であるとし、「空」よりすべてが現われるとし、その「空」は「不可得」であるとした。
釈迦が地涌の菩薩の所居とした「虚空」、天台がその法華経に書かれたことについて述べた『法華文句』や『摩訶止観』の示すところは、日蓮大聖人が説かれた「法性の妙理に染浄の二法有り」という教法に通じている。
二郎 そうなると虚空蔵菩薩が示している相というのは「空」だったけれども、より突き詰めていけば、地涌の菩薩や妙法につながる道筋があったんだね。なるほど。その虚空蔵菩薩に日蓮大聖人が「日本第一の智者となし給へ」と誓願され、「宝珠」を賜った。納得できる話だね。
虚空蔵菩薩は悟りの仮託
太郎 だからここで、またわからなくなるんだ。二郎 なにが?
太郎 日蓮大聖人は「破良観等御書」「善無畏三蔵抄」などで清澄寺の虚空蔵菩薩について述べられている。それは、これらの御書をいただいたのが清澄寺に由縁のある人々だから、そのような表現をしていらっしゃるだけだとしか思えないんだ。
二郎 だけど、先ほどの兄さんの話だと、木画の虚空蔵菩薩が清澄寺に何らかの形で安置されていたということでしょう。
太郎 それはそうなんだけれども、日蓮大聖人の御内証において虚空蔵菩薩に祈ったという表現それ自体がすでに比喩的なもので、単に木画の虚空蔵菩薩に祈ったということではなく、ご自身の清澄寺における悟達を、清澄寺にゆかりのある人々に対して、「虚空蔵菩薩」や「高僧」「大宝珠」に仮託して述べられたものとしか思えない。
二郎 たしかに。日蓮大聖人に法華最勝について教える「高僧」など、いるはずもない。師である道善房も念仏者だし、清澄寺で法華最勝を主張して迫害された「高僧」の話など、御書のどこにも出てこない。
太郎 悟達の域に達せられた日蓮大聖人からしてみれば、清澄寺の関係者にご自身の開かれた境界を示されるにあたり、もっともわかりやすく、かつ自らの法門にも矛盾しない内容で悟達の経緯を述べられるとすれば、虚空蔵菩薩への誓願、そして「宝珠」を賜ってすべてがわかったという表現しかなかったのではないかと思われる。
二郎 そうか。もしも日蓮大聖人が虚空蔵菩薩に祈られて悟達を得られたのなら、日蓮大聖人は御本尊を顕わされることもなく、虚空蔵菩薩に祈ることをみんなに勧めればいいことになる。しかし、現に日蓮大聖人は御本尊を顕わされている。日蓮大聖人はあくまで自解仏乗を虚空蔵菩薩に仮託されたにすぎない。
太郎 それが道理だ。二郎、いいこと言うね。だから日蓮大聖人のお立場からすれば、日蓮大聖人の悟達に至る誓願を仮託しても法義において矛盾しないものは、清澄寺には虚空蔵菩薩しかなかったということなんだ。
二郎 たくさんの祠があって、そこに阿弥陀などが安置されている清澄寺の状況を想像すれば、確かにそうなるね。
太郎 そのような観点に立てば、日蓮大聖人が「清澄寺大衆中」において「このふみはさど殿と・すけあさり御房と虚空蔵の御前にして大衆ごとに・よみきかせ給へ」と書かれたり、「聖密房御書」に「こくうざう菩薩にまいりてつねによみ奉らせ給うべし」と記されているのは、いくつもある祠の中で、虚空蔵菩薩の前でしか読んではならないと場所を指定されているというふうに読める。
二郎 そのお気持ちは納得できる。まかり間違って、阿弥陀や大日如来の前で日蓮大聖人の書状が読まれてしまったら大変だ。聞いている人は、阿弥陀や大日如来を日蓮大聖人があたかも許容されているかのように誤解するだろう。日蓮大聖人のお気持ちを察しても、自分の書状がそのような場所で読まれるのは嫌だったと思われる。
太郎 しかし、日蓮大聖人が「日本第一の智者となし給へ」と誓願をなされて「宝珠」を頂いたのが、清澄寺に安置されていた虚空蔵菩薩と不可分な形で「破良観等御書」「善無畏三蔵抄」「清澄寺大衆中」に示されていることは決して看過できない。このことは日蓮大聖人の誓願とその成就が、十二歳から十六歳までの清澄寺時代のことであったことを示している。
悟達即行動
二郎 では、日蓮大聖人が悟達されたのは何歳の時?太郎 それは、十二歳に清澄寺に登られて大願を起こされて、十六歳で修学に出られるまでの間ということになる。
二郎 十二歳から十六歳と言われても、十二歳で大願を起こされてすぐということではないだろう。一体いつなんだろう。
太郎 十六歳しかない。日蓮大聖人は仏にならんがために学問された。民衆を救済し国を安穏ならしめんがために、「日本第一の智者となし給へ」と誓願された。その結果を日蓮大聖人は明確に示されている。
「日蓮となのる事自解仏乗とも云いつべし、かやうに申せば利口げに聞えたれども道理のさすところさもやあらん」(寂日房御書)
二郎 自解仏乗なんだ。虚空蔵菩薩から宝珠を賜ったのではない。虚空蔵菩薩云々は、あくまで仮託なんだ。
太郎 自解仏乗された日蓮大聖人が、漫然と清澄寺での日々を送られるはずがない。諸宗の間違いをより詳らかにするために、修学の旅に早々に出られたと思われる。悟り即行動だ。
二郎 行動を起こされるといっても、諸般の事情があったと思う。日蓮大聖人の思いがすぐに通ずるものだろうか?
太郎 それは日蓮大聖人の置かれた状況、そして仏法からみても間違いない。
二郎 日蓮大聖人の置かれた状況というのはどういうこと?
太郎 先に述べたが、清澄寺は裕福な寺だった。師僧である道善房も清澄寺内において、それなりに立場も力もある人だったと思われる。それは日蓮大聖人が「報恩抄」に、
「力なき人にも・あらざりしがさどの国までゆきしに一度もとぶらはれざりし事は法華経を信じたるにはあらぬぞかし」
と書かれている。道善房は「力なき人にも・あらざりし」と記されているのだから、清澄寺において立場も力もあったと考えるべきだ。その道善房より可愛がられ、清澄寺においてもずば抜けた才を持っていた日蓮大聖人が修学の発心をするならば、清澄寺の多くの出家や檀那がそれを支持したことだろう。
二郎 優秀な僧を畿内に送り経論釈を学ばせれば、清澄寺の評価も高まる。日蓮大聖人がその期待に副う方であったことは間違いない。清澄寺という寺がそれなりの寺格を持ち、金銭的な支援もあれば、日蓮大聖人の修学の思いは、その決意が固ければすぐさま実現することができただろう。
太郎 仏法からみれば、悟りを得た者には障碍はない。そのことは、以下に挙げるいくつかの法華経の文によって明らかだ。したがって修学に出られた十六歳の時が、悟りの時であることは間違いない。
「時に十方世界は、通達無礙にして、一仏土の如し」(如来神力品第二十一)
「仏の滅度の後に 能く是の経を持たんを以ての故に 諸仏は皆な歓喜して 無量の神力を現じたまう」(同)
「能く是の経を持たん者は(中略)風の空中に於いて 一切障礙無きが如くならん」(同)


