第28章 優 者 不 破


 「JAN」第29号  1996年8月24日

『週刊文春』が恐喝犯・山崎正友の「手記」を掲載。山崎は創価学会側の「偽証」で服役させられたと大ウソを書き、いつもながら“正義の士”を装って、創価学会攻撃のデッチ上げスキャンダルをタレ流している。だが裁判で「偽証」をしたのは他ならぬ山崎。無実を装い“お礼参り”とは、山崎は極悪人。その極悪人に紙面を提供する『週刊文春』は、知性なき低俗週刊誌。

 山崎正友が『週刊文春』に(九六年八月二十九日号)に「絶倫遍歴 総集編 池田大作創価学会名誉会長『13人の女』」と題する文を書いている。山崎は創価学会を恐喝したことにより、懲役三年の刑を受け平成三年二月から平成五年四月まで二年二カ月服役した。服役したことにより前非を悔いて更生する者と逆恨みして“お礼参り”する者とがいるが、山崎の場合は後者である。創価学会が告訴したことにより、二年二カ月も臭い飯を食う羽目になったと、山崎は創価学会を逆恨みしているのである。山崎はその創価学会のなかでも、池田大作名誉会長に格別の怨念をいだき今日に至るまで手段を選ばず報復を繰り返している。
 誰がみても、これらの事情は明らかである。それなのに、出獄した恐喝犯・山崎の“お礼参り”に五ページもの紙面を提供し、好き放題のことを言わせている『週刊文春』編集部のあくどい紙面作りには、あきれ果てるばかりである。遡れば山崎が昭和五十六年一月二十四日に恐喝で逮捕される直前まで、『週刊文春』は毎週のごとく紙面を山崎に提供し、この恐喝犯が罪を免れるためについた嘘八百をあたかも真実のごとく報道していた。『週刊文春』は恐喝犯に手を貸し、恐喝の被害者である創価学会に、より一層の害を加えたのである。
 その『週刊文春』で山崎が「手記」を書いたからといって、いまさら特別驚くには足らない。だが、この『週刊文春』の動きが秋に予定される臨時国会において池田名誉会長国会喚問を誘発する目的にあると思われるので、ここに反論を試みておきたい。
 山崎は「手記」に次のように書いている。
 「十年余にわたる裁判の末、私は、池田大作が私の後輩達に仕掛けさせたワナと偽証のカベを破れず、有罪を宣告され下獄、二年二カ月の刑期を送った」(『週刊文春』九六年八月二十九日号)
 自分が書くスキャンダルを世間に信用させ、創価学会と池田名誉会長にダメージを与えるためには、自分が“正義の士”でなければならない。それゆえに、山崎はこのような事実に反することを述べ、デッチ上げたスキャンダルに信憑性を付与しようとしているのである。
 このことは、恐喝犯が告訴人である団体なり、あるいはその団体の指導者のことをあげつらって書く場合は、その動機が不純であることを書き手である山崎も暗に認めていることになる。だからこそ山崎は、恐喝犯の告訴人に対する報復であるとの印象を『週刊文春』の読者に持たれぬために、先に紹介したように無実の罪を着せられ服役したかのごとく書いているのである。
 しかしこの山崎の弁は、事実に反する。山崎は裁判で偽証を重ねてまでして、みずからが犯した罪を免れようとした。だが裁判長により虚偽の主張を見破られ、懲役三年の実刑判決を受けたのである。ところが『週刊文春』の読者が恐喝事件の裁判の経過を知らないことを良いことにして、事実に反することをこのようにシャアシャアと書きスキャンダルをデッチ上げているのである。
 では以下、山崎による『週刊文春』におけるスキャンダル暴露が、告訴人たる創価学会および池田名誉会長に対する悪意に満ちた“お礼参り”であることを証明するため、裁判において数々の偽証工作と虚偽の証言をおこなったのは、山崎当人であることを述べたい。一つひとつ挙げるときりがないので、ここでわかりやすい代表例を一つ紹介しておこう。
 昭和五十五年四月二十二日正午、山崎正友は創価学会側の代表と山崎の借りていたヒルトップ(千代田区三番町)で会った。この会談は山崎の恐喝行為の総仕上げをなすものであった。山崎は恐喝裁判の中で、この会談の存在を否定し、ひいては恐喝事件自体が架空のもので創価学会は“正義の内部告発者”である自分を陥れるために誣告したのであるとの主張をなした。
 そのため山崎は“証人”を出廷させた。“証人”は不動産屋で、
 「四月二十二日の午前十一時に、山崎とともに新一ビルの大家の自宅に行って賃貸契約を締結し、正午ごろ、山崎と一緒に賃貸した同ビルの八〇一号室に行った」
 と証言した。山崎は、したがってヒルトップにはおらず創価学会側証人の証言は「偽証」であると、法廷で主張したのである。
 ところが、のち検察側が裁判所に提出した証拠によると、山崎と不動産屋が訪ねた「新一ビルの大家」は、同日午前九時四分から午後二時四分まで半蔵門病院で人工透析を受けていたのである。
 不動産屋は、その後、再び法廷に立った。その時、不動産屋は、
 「前回の証言のときは、あまり記憶がなかったが、山崎からこうだと言われたのでそのように証言した」
 と、山崎の偽証工作を匂わせた。
 山崎は、恐喝裁判の中で、このようなことばかりやり、罪から逃れようと悪あがきを重ねたのであった。
 山崎の恐喝裁判は、昭和五十六年から昭和六十年まで約四年間にわたりおこなわれ、七十五回公判が開かれた。その公判も原則として午前十時から午後五時まで開廷されるという念の入ったものであった。
 この徹底した審理を冷徹な眼で見つづけた吉丸真裁判長は、その「判決文」の中で、以下列記するような言葉を連ね山崎を糾弾している。
 「被告人の供述は、信用することができない」
 「それと相反する被告人及び証人坂本の前記各供述は信用できない」
 「被告人自身の捜査段階における供述と対比しても、被告人の前記公判供述は信用できない」
 「被告人の供述は、他の証拠と対比すると信用することができない」
 「この点に関する被告人の供述は、信用できない」
 「はなはだしく不自然であると考えざるを得ない」
 「事実と明らかに矛盾するため、これを糊塗すべく、虚構の事実を述べているものと認められる」
 「被告人の供述は、今井及び中西の各証言並びに北條調書と全く相反するものである上、当時の客観的状況にも符合しない」
 「根本的に当時の客観的状況とそごしており、信用し難い」
 「被告人の前記公判供述は、これら検面調書等と対比しても、信用し難い」
 「これに反する被告人の供述は、信用できない」
 「虚偽の弁解を作出したものと認められる」
 「この点に関する被告人の供述は、はなはだ不自然であってとうてい信用できない」
 「強引に自分の主張に結びつけて、事実を虚構したものと認められる」
 「多大の疑問を抱かざるを得ず、この点においても、被告人の主張は不自然と言わざるを得ない」
 「たまたま手許にあった証拠物を利用して虚構の弁解を作出している上、被告人の供述には全く虚構と認められるところが多い」
 「被告人の供述は容易に信用することができない」
 「被告人の供述は、不自然というほかはなく、前記証拠と対比すると信用できない」
 「被告人の供述に右のような矛盾が生ずるのは、その供述が虚構を重ねたものであることに起因すると認められる」
 そして結論として吉丸裁判長は山崎について、
 「公判では幾多の虚構の弁解を作出し、虚偽の証拠を提出するなど、まったく反省の態度が見られない。
 以上のように考えると、本件は犯情が悪く、被告人の罪責は重大であるといわなければならない」
 と弾劾しているのである。
 これら「判決文」の抜粋を読めば、このたび『週刊文春』で山崎が述べていることが、いかに事実に反したものであるか明明白白となる。「判決文」の中で、ここまで夥しい虚偽の主張を指摘される犯罪者は、そう滅多にいるものではない。
 弁護士という法律専門家が、己の有する邪智の一切を傾けて偽証工作を伴う虚偽の主張をしたのである。まことにもって悪質なことであるが、その犯罪者が服役後に“お礼参り”を意図する「手記」を書き、そこでまた事実と真反対のことを言い募る。果ては創価学会側の偽証で自分は無実の罪を着せられたと公言し、事実無根のスキャンダルをタレ流して創価学会攻撃をするのだから始末が悪い。山崎はもしこの「手記」を書いたことにより名誉毀損で訴えられたとしても、それでまた何年にもわたり反創価学会を企図する一部のマスコミあるいは政治家の寵児になれると考えているのだろう。改悛なき犯罪者が、
 「ムショに一回入るのも、二回入るのも同じ」
 と腹をくくり、“お礼参り”しているのである。まったくもってタチの悪い男がいたものである。だが考えてみれば、もっとタチが悪いのは、その犯罪者の“お礼参り”に誌面を提供し、刺激的なタイトルをつけ大量宣伝をおこない、創価学会のイメージダウンを謀る文藝春秋である。
 どうやらウソという毒茸は、驕慢なマスメディアを温床とするらしい。
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