地涌選集

日蓮正宗自由通信同盟

不破 優

二十八章 優者ゆうしゃ不破ふわ

「JAN」第21号 1996年4月26日

パリ控訴院で「創価学会をセクト(危険な集団)と決めつけるのは過ち」との判決が昨年末に出たのに、『諸君!』はそれに目をつむり、フランス現地からの報告として「フランス議会では創価学会はセクト視されている」と作意的な報道をなした。いつもながらの『諸君!』のやり方だが、出版物で国民をマインドコントロールしようとする文藝春秋は、セクト出版社ということか。同社によれば、ナチスによるユダヤ人の虐殺も南京大虐殺も存在しないということだ。慢ずる者は、恥も罪も自覚せず。

『諸君!』(九六年五月号)に「仏議会が認めた創価学会の危険性」と題する記事が掲載されている。

この記事を書いた「ジャーナリスト」の広岡裕児氏は、フランスの国民議会において「セクト現象の研究と必要な場合には現行法令の改正の提案をする」調査委員会(以下、調査委員会)が提出した報告書のリストに創価学会の名前が挙げられていることをもって、創価学会が「セクト」であり、危険な団体の一つであると印象づけようとしている。

広岡氏の記述によれば、「セクト」とは「マインド・コントロールをする危険な集団全体」のことであり、その「マインド・コントロール」とは、「洗脳と同じく明らかな精神的障害を生む現象のこと」であるという。

調査委員会は、内務省情報局の基準によって「セクト」であるか否かの具体的判断をしたという。その基準とは、(1)精神の不安定化、(2)法外な金銭的要求、(3)住みなれた生活環境からの断絶、(4)肉体的損傷、(5)子供の囲い込み、(6)反社会的な説教、(7)公秩序の攪乱、(8)裁判沙汰の多さ、(9)通常の経済回路からの逸脱、(10)公権力への浸透の試みの十項目である。

広岡氏は、

「このうちの一つに抵触するからといってセクトと即断されるわけではない」(『諸君!』九六年五月号)

と記述している。では、いったい創価学会がこの十項目のどれとどれに抵触しているから、調査委員会が「セクト」として報告書のリストに載せたというのだろうか。広岡氏の記述になんら具体的な指摘はない。

ただ広岡氏は、「創価学会はなぜ『セクト』か」と小見出しをつけた箇所で、

「日蓮正宗破門後の元信者への迫害や信者への締め付けが益々強くなっているために被害通報が相次いでいるからだ」(同)

としているのみである。

しかしながら、ありもしない荒唐無稽のレイプ事件などをデッチ上げ平気でマスコミに登場してウソをつく日本の脱会者たちの言動をみれば、フランスの脱会者の「被害通報」にいかほどの信憑性があるとも思えない。というよりも、創価学会を宗教的権威で踏みにじり、教団乗っ取りをはかった日蓮正宗(阿部日顕管長)という宗派が、脱会者を糾合するために、創価学会攻撃の手段として「被害通報」を操っている日本の事例と同じような謀略が、フランスでもおこなわれているのではと思えるのである。

また広岡氏は、故意なのか勘違いなのか、

「愛の家族は、キリスト教徒であると自称する。しかしその実は教祖モーゼ・ダビットの信者なのである。同じ事は、ヨーロッパの創価学会にもいえ、彼等は『日蓮大聖人の仏教』を標榜するが、会員が学ぶのは池田大作の著作、演説である」(『諸君!』九六年五月号)

などと記述している。

ヨーロッパを含めて全世界の創価学会員は、みなみずからを日蓮大聖人の弟子であると自認している。また、創価学会員は日蓮大聖人が書き遺した「御書」を学んでいる。池田SGI会長の著作、演説を学ぶのは、その日蓮大聖人の教えを、わかりやすく、どのように実践すればよいかを説き明かしてくれているからである。広岡氏は、創価学会の実態を知らないようだ。

さてこの報告書が議会に提出された同じ昨年十二月に、フランスのパリ控訴院は、創価学会およびフランス創価学会を“危険なセクト”などと決めつけた出版社に、名誉毀損の罪ありとの判決を下した。問題にされたのは『セクトの秘密』と題する書籍で、それを出版したフラマリオン出版社を創価学会側が名誉毀損で提訴したのである。創価学会側は地裁の判決につづいてパリ控訴院においても全面勝訴した。

裁判所は、控訴人(出版社)が学会批判の根拠として提出した新聞などの記事や、ヴィヴィアン下院議員らが以前、国会に提出したフランスのセクトに関するリポートを「証拠としての価値はない」としりぞけている。

さらに裁判所は、著者らが日本での調査、フランス創価学会の幹部やメンバーに取材すらしていないことも併せて指摘している。

今回、広岡氏が取り上げた調査委員会の報告書も同レベルのものである。ともあれ同報告書は、排外的にして尊大なフランスの大国意識が、悪いかたちで顕在化したものともいえる。この報告書には、海外布教を積極的に展開する日本の多くの宗教団体も、「セクト」として列挙されている。広岡氏もまた、

「リストには日本の宗教団体も数多く名前を挙げられている」(『諸君!』九六年五月号)

と記述しているとおりである。となれば、「仏議会が認めた創価学会の危険性」とタイトルをつけ、ことさらに創価学会のみイメージダウンをはかる『諸君!』編集部の報道意図は大いに問題にされるべきであり、その編集部の意図にしたがい記事をまとめた広岡氏も同様の咎を負うものである。併せて他国の報告書に、日本に本拠を置く宗教が「セクト」の一つとして名を挙げられたことを囃す心境のなかに、ヨーロッパに在住する日本人がとかく持ちやすい屈曲した優越感を見出す。ヨーロッパ人でもないのに、東洋の小国である日本を“世界の田舎”と見下すそれである。広岡氏が文末で述べている、

「日本の宗教法人法審議で野党は拙速であると批判したが、認識が甘いと言わざるをえない」(同)

「日本はまさに世界中のセクトの吹き溜りになっている」(同)

といった表現に、広岡氏が錯覚している優越感がにじみ出ているようだ。

最後に、広岡氏がフランスに長年住みフランスの事情に明るいなら、パリ控訴院において創価学会が「セクト」ではないと認められた事実になぜ触れなかったのか問いたい。それについてはまったく触れず、さしたる理由もなく創価学会を「セクト」と決めつける他国の不明な動きに同調する広岡氏の文筆意図は、極めて作意的であるといえる。

家族友人葬のパイオニア報恩社