第27章 師 弟 倶 生


 単行本「『地涌』からの通信(33)」おわりに

日蓮正宗自由通信同盟

 オウム真理教が、平成六年にサリン迫撃弾を使用し、池田大作創価学会名誉会長を暗殺しようとしたが、取り扱いを誤り失敗し暗殺者が逆に重症となった。この衝撃的な事件をスクープしたのは、『毎日新聞』(平成七年五月二十日付)であった。オウム真理教による武力をもっての創価学会攻撃に関する記事は、その後もいくつか報じられている。
 『読売新聞』(同年六月五日付夕刊)は、オウム真理教の教団施設を捜査当局が家宅捜索したところ、創価学会の教団施設や幹部自宅を撮影したビデオが多数押収されたという記事を掲載している。
 『東京スポーツ』(同年六月三日付)は、渋谷区千駄ヶ谷の創価国際友好会館に隣接するマンションをオウム真理教が購入し、そこからサリン迫撃弾を打ち込もうとしたと報道している。
 オウム真理教が、なぜ創価学会に対するテロ活動をしようとしたのか、そのはっきりとした動機は、依然として謎のままである。もし詮索したとしても、たまたま地下鉄に乗車したというだけの人々を無差別に殺し得る狂の論理が、人々を承服させ得るにたるものであるはずもない。
 狂の論理は、所詮、狂の論理にしかすぎず、生命の尊厳という絶対価値を教義の根幹にすえる正統な仏教教団・創価学会に対し、生命無視の狂団が教義的対論を飛び越えて、いきなり武力的抹殺をはかったとしか言いようがない。
 最初に紹介した『毎日新聞』の報ずる池田名誉会長暗殺未遂の記事を読み、釈迦の横難である“提婆が大石をもってなした難”“阿闍世王が酔象を放ってなした難”を連想した人、あるいは時の権力者が御本仏日蓮大聖人の首を刎ねようとして果たせなかった竜ノ口の法難や松葉ケ谷の法難、小松原の法難を想起した人も多いのではあるまいか。
 仏の法をもって、人々を幸せにしようとする法華経の行者が、アンチ仏の人や組織により生命を狙われることは、仏の生涯と教説を拝せば歴然とする。
 今回の創価学会に対するテロリズムも、仏教者の難として本質的に捉えるべきである。葬式仏教としての本質を露にした日顕宗から創価学会が“破門”され、いよいよ創価学会が末法の御本仏日蓮大聖人のお教えどおり経を弘めるなかで、今回の創価学会に対するテロリズムは惹起されたと見るべきであろう。
 だが、そのテロリズムは創価学会なかんずく池田名誉会長に対しての害意を全うしえなかった。まことにもって、不幸中の幸いであった。とはいえ、かかる狂人たちが師と和合僧団を卑劣なるテロリズムをもって襲おうとしていることを、事前に探知しえなかったことは、甚しく残念なことである。師と和合僧団を守らなければならない弟子の立場からすれば、慙愧に耐えないことといえる。
 ここまでオウム真理教のことを記したが、正統なる仏教教団を弾圧するのはオウム真理教のような劇画的な擬似国家(筆者注 教団内に諸大臣を任命し、国家を擬していた)ではない。真正なる国家が権力の猛威をもって和合僧団を破壊し、その指導者を死に至らしめることは、戦中の創価教育学会に対する弾圧を見ても明らかである。
 オウム真理教が創価学会にとって災いとなるのは、テロリズム集団としてではなく、国家権力の宗教法人への介入を容易にしたという点においてであるかもしれない。
 政治的情況はきわめて流動的である。権力の亡者が創価学会を迫害し、“屈服かあるいは滅亡か”と強権をもって臨んでくる気配は、いまだに政治の底流にたしかにある。いま日本国の国家権力を手中にしようと企む人々にとって、創価学会は最大の関心事である。
 御義口伝に云く。
 「当品流布の国土とは日本国なり惣じては南閻浮提なり、所化とは日本国の一切衆生なり修行とは無疑曰信の信心の事なり、授与の人とは本化地涌の菩薩なり云云」(御義口伝)
 故なければ創価学会は日本に出現しない、同様に師も弟子も。
 1995年6月
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