第27章 師 弟 倶 生


 単行本「『地涌』からの通信(25)」おわりに

日蓮正宗自由通信同盟

 日顕が我慢に執し己義を構え、日蓮大聖人の仏法を私物化しようと策して久しい。
 戸田城聖創価学会第二代会長は、「提婆は男のヤキモチ、竜女は女のヤキモチ」と、実に簡潔に本質論を語っている。釈迦の時代に、釈迦教団を破壊しようと狂暴な牙を剥き出し、権謀の爪を研いだ提婆達多も、生命の奥底では“男のヤキモチ”がどす黒くくすぶっていた。従弟である釈迦に対するヤキモチである。
 日顕もまた“男のヤキモチ”を焦がしており、いまではモチは真っ黒け、手のつけようがない。その日顕が創価学会を破壊する目的で、御本尊を策謀の道具として使っている。まずは、大御本尊を渇仰する創価学会員に対し、末寺よりの添書をもらわなければ御開扉を受けさせないとした。大御本尊への信仰心を利用して、創価学会の結束を乱そうとしたのだ。それでも創価学会を切り崩せないとみた日顕は、創価学会を破門し、創価学会員に対する御本尊の下附を停止した。
 このように日顕は、絶えず御本尊を破和合僧の道具に使っている。このことは裏を返せば、創価学会員の御本尊に対する信仰心は揺るぎないものであると日顕が認識していることになり、破門が不当な処分であることを逆に証明している。
 すなわち、日顕らは創価学会員が御本尊を恋慕渇仰している強信者であると知りながら、いじめて困らせて師弟を離間し、その和合僧団を破壊しようと企んでいるのだ。日顕のヤキモチは、池田名誉会長に対するものであり、池田名誉会長を中心に広宣流布の大道を歩む創価学会の団結に対するものである。
 だが、末法に四菩薩が出現し、本尊流布をおこなうことは仏法上定められたことであり、誰も地涌の菩薩たちが本尊流布を進めるその行く手を阻むことはできない。まして“瞬間湯沸器”の異名をとる日顕ごときの感情で、日蓮大聖人の御遺命である御本尊の閻浮提流布が絵空事に終わるようなことはあり得ない。
 創価学会は順縁広布の時代にあたり、御本尊を世界に弘め、仏語を実語とするために出現した仏意仏勅の和合僧団である。その創価学会が、悪比丘の主張する形式仏教の呪縛から解き放たれ、日蓮大聖人の望まれる“本門の本尊”“妙法蓮華経の五字”を世界に弘めていこうとすれば、諸天善神はかならずや法華経の行者の集う創価学会を守護し、流布は現実のものとなる。
 師を中心に団結し、創価学会の発迹顕本をなし、御本尊を道具に使っての日顕の策謀を粉砕するとき、世界広布は実現する。順縁広布を担う創価学会が御本尊を下附することは、仏意に適ったことである。逆に、堕落し、広宣流布も考えず、折伏もせず、姿形だけ僧形をなしたものが、これまで御本尊下附を恣意的におこなってきたこと自体が不可解なことであった。
 「仏教に依つて悪道に堕する者は大地微塵よりも多く正法を行じて仏道を得る者は爪上の土よりも少きなり、此の時に当つて諸天善神其の国を捨離し但邪天・邪鬼等有つて王臣・比丘・比丘尼等の身心に入住し法華経の行者を罵詈・毀辱せしむべき時なり、爾りと雖も仏の滅後に於て四味・三教等の邪執を捨て実大乗の法華経に帰せば諸天善神並びに地涌千界等の菩薩・法華の行者を守護せん此の人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか」(顕仏未来記)
 地涌の菩薩の師弟を御本尊から離すことなど誰もできはしない。来世もまたしかり。
 1993年9月
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