第18章 現 証 歴 然


 第669号  1993年6月15日

日蓮正宗自由通信同盟

創価教育学会幹部が大量逮捕されたことに恐怖した宗門は
教師錬成講習会を開催し庫裡に神札を祀るよう徹底した

 昭和十八年六月、創価教育学会の牧口常三郎会長、戸田城外理事長(当時)ら幹部十数名は、宗門に命じられ急遽、登山した。
 登山した牧口会長らに対し、宗門は総本山第六十二世日恭上人、御隠尊の第五十九世日亨上人立ち会いの下、庶務部長・渡辺慈海より「神札」をいちおう受けるようにと申し渡された。その申し渡しに対し、牧口会長は、日蓮大聖人の法義に違背することとして、明確にそれを拒否した。
 直後、国家権力による創価教育学会への弾圧が始まる。
 このときの様子については、会長就任間もない昭和二十六年七月十日に戸田会長が著された論文「創価学会の歴史と確信」にくわしく書かれている。そのなかに、次のような記述がある。
 「まことに大聖人の御金言は恐るべく、権力は恐るべきものではない。牧口会長の烈々たるこの気迫ありといえども、狂人の軍部は、ついに罪なくして罪人として、ただ天照大神をまつらぬという“とが”で、学会の幹部二十一名が投獄されたのである。このとき、信者一同のおどろき、あわてかた、御本山一統のあわてぶり、あとで聞くもおかしく、みるも恥ずかしき次第であった。牧口、戸田の一門は登山を禁ぜられ、世をあげて国賊の家とののしられたのは、時とはいえ、こっけいなのもである」(『戸田城聖全集』第三巻所収)
 この戸田会長の文のうち、「御本山一統のあわてぶり、あとで聞くもおかしく、みるも恥ずかしき次第であった」に着目し、以下に宗門が弾圧にあたり露呈した日蓮大聖人の弟子にあるまじき姿につき詳述したい。
 『聖教新聞』(昭和二十七年五月十日付)には、次のような戸田会長の談話が掲載されている。
 「政府が宗教界統一をくわだてゝ大規模な各宗教統一に乘り出したころの事、小笠原慈聞が神*本佛迹論を数度にわたつて鈴木日恭猊下へ文書で提出して居るという、又眞僞の確証はないが慈聞の活躍した水魚会を通じ日恭猊下のもとへ身延と合同せよと数度電報(?)を出したという事で、私が出獄後この話を聞いて眞僞をたしかめるため若しこれが本当ならあの当時の宗務院の文書を見せて下さるわけに行かぬでしょうか、と当局者に御うかゞいした事がある、その時は記録拝見は許されなかつたが、事件の有無については否定も肯定もなされず話をぼかして居られたのでそれ以上押しておたずねはしなかつた。又身延派と小笠原慈聞との間に、『この身延との合同が実現すれば小笠原を清澄寺の管長にする』という内約さえ出來て居てそれでしつこく水魚会方面から合同勧告があつたのだと水魚会関係者からうわさを聞いたし、当時このうわさは宗務院と交渉の深いだん信徒の間に公然と流布されていたものである。
 この合同騒ぎ、神*本佛迹問題は堀米御尊*能師等の御苦労で宗門の大事にはならずにすんだが、この事件にからんで宗義を守つて一番強硬な学会へ政府筋の弾圧の手がのびたものであつた」
 この文中にある「話をぼかして居られた」が気になる。それだけに宗門の隠している真実の一端を垣間見ようとの衝動にかられるのである。
 では、その作業の手初めとして、創価教育学会に対する治安維持法違反、不敬罪を理由としての弾圧の規模と経過を見ておこう。
 まず宗門が創価教育学会に「神札」を受けるよう命じた昭和十八年六月、その月に最初の逮捕者を出した。
 逮捕されたのは、創価教育学会理事の有村勝次と中野支部長の陣野忠夫であった。二人が逮捕されたのは六月二十九日、淀橋警察に留置された。
 つづいて七月六日には牧口常三郎会長が、折伏で訪れた伊豆の下田で逮捕され、下田警察に留置された。牧口会長は、翌七日警視庁に押送された。牧口会長の逮捕された六日には戸田城外理事長(当時)も逮捕され、高輪警察に留置された。戸田理事長も、のち警視庁に留置される。
 七月六日は、ほかに理事・稲葉伊之助、理事・矢島周平などが東京で逮捕された。
 牧口会長が布教先の伊豆・下田で逮捕されていること、中枢幹部を一斉検挙していることからして、警察による長期間にわたる内偵がおこなわれ、逮捕にあたっては綿密な準備がなされていたと結論される。
 それは六月二十九日の理事・有村や中野支部長・陣野らの逮捕により弾圧が始まったのでなく、それは水面下で長期間つづけられてきた捜査が、顕在化するきっかけとなったと見るべきである。有村、陣野らを一週間、調べただけで、創価教育学会中枢に対する組織的な一斉検挙がなされることなどあり得ない。
 創価教育学会幹部の逮捕はその後も相次ぎ、七月二十日には、副理事長・野島辰次、理事・寺坂陽三、理事・神尾武雄、理事・木下鹿次、幹事・片山尊が警察に逮捕された。この昭和十八年七月以降も逮捕が相次ぎ、昭和十九年三月までに総計二十一名が逮捕された。
 国家権力による弾圧は、日蓮正宗の信徒団体である創価教育学会に対するものだけではなかった。日蓮正宗僧侶である藤本蓮城(本名=秀之助)も、創価教育学会の有村・陣野らが逮捕される少し前の六月十六日に、不敬罪等の容疑により逮捕されている。
 藤本は昭和二年ごろ、日蓮正宗に入信し、昭和十六年に出家し僧侶となった経歴の持ち主。この藤本と同時に、藤本にしたがう高塩行雄も逮捕されたが、高塩は逮捕直後より「改悛の情顕著」ということで起訴猶予となり、藤本のみが、九月二十二日に起訴となった。
 さて、この昭和十八年六月、七月の日蓮正宗僧俗に対する国家権力による嵐のような連続検挙に対し、宗門はどのような対処をしたのであろうか。
 戸田会長の書いた「御本山一統のあわてぶり、あとで聞くもおかしく、みるも恥ずかしき次第」(「創価学会の歴史と確信」より)とは、いかなる「次第」か。
 まず宗門は、あわただしく七月に何回も長老会議、参議会を開き、局面の打開を協議した。それを受け日蓮正宗宗務院は七月三十日付をもって日蓮正宗宗務院より「院達」を、全国の「教師住職教会主管者」宛に出す。
 「院達」は、来る八月二十一日と二十二日に第一回目の、八月二十五日と二十六日に第二回目の「教師錬成講習会」を、総本山の富士学林で開催することを伝えるものであった。
 「院達」には、「尚本講習會に於て特に重要事項の指示可有之に付理由無くして受講に應ぜざる者は宗制に照し處斷することあるべく爲念申添へ候」と、厳しく参加を義務づけていた。そして、第一回目と第二回目の「教師錬成講習会」の参加者を、それぞれ次のように指名した。

第一回目
 中島廣政 井口琳道 青山諦量 中原顯照 渡邊慈海
 渡邊孝英 小野眞道 細井精道 白石慈宣 野木慈隆
 佐藤慈豊 鈴木義忍 椎名法英 舟橋泰道 猪又法護
 辰野開道 小川慈大 永澤慈典 崎尾正道 秋山教悟
 松岡慈契 太田慈晁 澁田慈旭 柿沼廣澄 高野法玄
 佐野慈廣 前川慈寛 瀬戸恭道 佐野舜道 秋田慈舟
 早瀬道應 木村要學 堀米泰榮 眞弓智廣 佐藤慈英
 佐藤覺仁 佐藤治道 八木直道 磯野寛清 本江廣泰
 本多妙鶴 長岡法頂 福重照平 高瀬養道 藤川徹玄
 重住慈嚴 反橋智道 佐々木隆道

第二回目
 渡邊慈海 大村壽道 青山諦量 東 完道 伊藤達道
 太田泰福 本多慈運 千草法輝 三野徹妙 上原一如
 平山廣生 小野宏憲 佐野廉道 佐野周道 影山惠信
 岡田諦齢 堀米泰榮 高橋信道 西方慈正 關戸慈晃
 林 信隆 淺井廣龍 渡邊智道 秋山圓海 豊田貫道
 奥 法道 能勢安道 川田利道 落合慈仁 鳥山馨道
 野村學道 松本締雄 市川眞道 大石菊壽 手塚寛道
 小松照道 早瀬義顯 渡邊廣順 宮澤慈悳 飯塚慈悌
 佐藤舜道 石井觀境 辰野慈忠 菅野慈俊 崎尾正道
 中島妙宣 岩瀬正山 花枝宏旭 長谷部道海

 この「教師錬成講習会」においては、第一日午前五時に起床し、国旗掲揚、勤行、食事などを済ませたのち、午前八時より同十一時まで堀日亨上人が講義をなし、午前十一時より正午まで教学部長・佐藤舜道より指示がなされた。
 食事をはさんで午後一時より午後二時まで、堀米泰榮教授(のちの堀米日淳上人)の講義、午後二時より午後三時まで教学部長・佐藤舜道が再び指示をした。夜は午後六時五十分より二時間にわたり「協議会」をおこなった。
 第二回目も午前五時起床。国旗掲揚、勤行、食事などの後、午前七時より「英霊墓参」。午前八時より同十一時まで堀日亨上人による講義、その後、正午までの一時間、報国課長・青山諦量より指示がなされた。
 昼食後、午後一時より午後二時まで堀米教授の講義があり、その後、食料増産をめざして農作業をおこない、夕食の後、第一日目と同様、午後六時五十分から二時間にわたり「協議会」をおこなった。
 では、宗門は該当者の厳正なる出席を求めた「教師錬成講習会」で、なにを徹底したのであろうか。哀れなことであるが、国家権力の弾圧に恐怖し、“神宮大麻(神札)を寺院の庫裡、あるいは僧や信徒の住宅に祀ることはやむを得ない”との宗門中枢の決定を徹底したのであった。
 昭和十八年八月、日蓮正宗は一山あげて大謗法に染まったのである。江戸時代、徳川幕府の弾圧を恐れ、謗施を供養として受け取る大変節を宗門はなしたが、それに匹敵する一大教義違背を、時を隔て昭和の時代に再び犯したのである。
 日蓮大聖人曰く。
 「謗法と申す罪をば我もしらず人も失とも思わず・但仏法をならへば貴しとのみ思いて候程に・此の人も又此の人にしたがふ弟子檀那等も無間地獄に堕つる事あり」(妙法比丘尼御返事)
【通解】謗法という罪を、自分も気づかず、また人も悪いとも思わず、ただ仏法を習っているのだから貴いとばかり思っているので、この人も、またこの人に従う弟子、檀那なども無間地獄に堕ちるのです。
●トップページ > 第18章  前へ  次へ