第11章 虚 言 羅 列


 第372号  1992年1月31日

日蓮正宗自由通信同盟

導師本尊は「十王信仰」「地獄信仰」に基づくニセ本尊だ
全僧侶は葬儀に導師本尊を掲げることを即刻やめるべきだ
〈導師本尊シリーズ・第1回〉

 いかに法主であっても、迷信に基づいて勝手に本尊を書写してはならない。しかし、わが日蓮正宗において、日蓮大聖人の御図顕されなかったニセの本尊が邪義に基づいて認められてきたという事実がある。
 その背景には、日蓮宗各派が民衆の葬儀を生活の糧としはじめたことがある。民衆が、もっとも不安を感じ、悲しみを禁じることのできない「死」。その「死」を、多くの売僧たちが食い物にしてきたのである。
 エセ出家たちの限りない欲望が、日蓮大聖人の御図顕された御本尊とは縁もゆかりもない、奇怪なニセ本尊を登場させたのだ。
 そのニセ本尊とは、日蓮正宗においては葬儀に際して奉掲する「導師本尊」のことである。いま日蓮正宗の僧の多くは、友人葬を推進する創価学会員に対し、法主の許可なく、導師本尊を掲げないでおこなう葬儀は大謗法である、それでは絶対に成仏しないと脅している。
 平成三年十月二十一日、日顕一派は日蓮正宗総監・藤本日潤名で、秋谷創価学会会長に宛て「通告文」を送付した。その「通告文」は、冒頭、次のように述べている。
 「最近、創価学会では、会員のみの同志葬・友人葬と称する僧侶不在の葬儀(以下、学会葬という)を執行するなど、組織を挙げて、本宗伝統の化儀を改変しております。これは、まさに大聖人の仏法と富士の立義を破壊する謗法行為であり、日蓮正宗として、絶対に認めることはできません」
 問題の、導師本尊については、次のように書いている。
 「葬儀において大切なことは、御本尊と引導師、及び戒名等であります。まず、申すまでもなく、葬儀における御本尊は、古来、御法主上人の特別な御指示による場合以外は、導師御本尊を奉掲するのであります」
 「通告書」は、葬儀用の特別の本尊である導師本尊を奉掲することが肝要であることを強調している。
 「信徒は所属寺院の住職・主管を師匠とする師弟相対の信心に住さなければ、即身成仏の本懐を遂げることはできません」
 「もし、これに反すれば、下種三宝の血脈法水に対する師弟相対の信心が調いませんから、即身成仏どころか必定堕地獄となります」
 僧侶の指示どおりにせず、「導師本尊」「引導師」「戒名」の揃わない葬儀では、成仏できないと決めつけている。
 封建時代以来、民衆が抱く死への不安と恐れを逆手にとって、悪侶らは民衆を隷属させてきたが、ここでまた何百年来使ってきた同様の手口で、創価学会員を脅し従わせようとしたのだ。権威・権力をカサにきた封建時代の遺物ともいえる売僧が、いまの時代にも高僧面して存在し、日蓮大聖人の仏法を改変し、民衆支配の口実に使おうとしているのである。
 日蓮正宗総監の藤本は、同文中、友人葬について、「このように、導師御本尊を奉掲せず、僧侶を不要とし、戒名・位牌等を愚弄する学会葬は、明らかに本宗の血脈師弟義に背いた大謗法であります」と断言している。
 この文が、日顕の意を帯して書かれたことはいうまでもない。
 ところがあにはからんや、日顕一派が「即身成仏之印文也」として、成仏に不可欠とする、この「導師本尊」こそ、これにまさる謗法はないという大謗法の代物だったのだ。これほど、皮肉なこともないだろう。
 水戸黄門よろしく、手にかざした葵の御紋入りの印籠がニセ物だったのである。
 ニセ本尊である導師本尊は、日蓮正宗が「七百年の伝統」に荘厳されているのではなく、「七百年の垢」がたまり汚れに汚れていることを象徴しているのだ。
 日蓮正宗僧俗は、導師本尊に書かれた「閻魔法皇」「五道冥官」の文字に注目すべきだ。しかもそれは「南無妙法蓮華経 日蓮」とある御本尊中央の「日蓮」の左右の肩に大きく書かれている。
 日蓮大聖人御真筆の御本尊のいずれに、そのような名が認められているだろうか。決してありはしない。後世の悪比丘たちが、この二つの名を書き込むことにより、導師本尊が死者の成仏に特別の効能があるかのように装ったのだ。
 「閻魔法皇」「五道冥官」の二つの名の思想的背景にあるのは、淵源を中国の道教に発するとされ、日本で室町期以降、仏教が急速に葬式仏教化するなかではびこってきた「十王信仰」「地獄信仰」という迷信である。
 「十王信仰」「地獄信仰」は、当初、浄土宗において使われるようになり、その後、日本仏教の各派で用いられるようになった。「十王信仰」「地獄信仰」とは、死後七日ごとに死者に対し冥土の王が裁定を下すというものである。
 七日ごとの裁定にあたり、遺族が死者の追善を僧に依頼すれば、死者は浄土に向かう(成仏)とする、この「十王信仰」「地獄信仰」は、「死」を食い物にする売僧たちにとって、はなはだ都合のよいものであった。
 というのも、民衆に追善供養の必然を説き、七日ごとの法要のたびに布施をせしめることができたからだ。
 「閻魔法皇」「五道冥官」は、地獄を代表する者として導師本尊に書き込まれた。「閻魔法皇」については、民衆のあいだでは地獄を司るものとして伝えられている。「五道冥官」は、五道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人)の衆生の善悪を裁定する地獄の役人とされている。
 導師本尊には、この地獄を象徴する二つの名が、本来、認められている「天照大神」「八幡大菩薩」に替わり書かれており、御本尊の脇書きとして、御本尊の右上にもっともらしく「即身成仏之印文也」と印されている。
 そして、「若悩乱者頭破七分」に替えて「毎自作是念以何令衆生」、「有供養者福過十号」に替えて「得入無上道速成就仏身」を書き込んである。
 なお、同様の本尊は安土桃山期以降の日蓮宗各派に見られるが、このニセ本尊を見るとき、日本の仏教各派が民衆の「死」を食い物にすることに、いかに腐心してきたかが伝わってくる。
 御本尊は、末法の御本仏たる宗祖日蓮大聖人が、末法の民衆を救済するために「日蓮がたましひをすみにそめながして」顕されたものである。日蓮大聖人が魂魄をとどめられ御図顕された御本尊を、末世の悪比丘たちが民衆の「死」を食い物とするなかで、改変したのである。
 そのニセ本尊が、いつの頃からか日蓮正宗においても使われはじめた。邪宗の本尊が法脈のなかに入り込んだのである。それ以降、当然のように葬儀において奉掲され今日まできた。
 日蓮正宗のすべての僧侶は、今後、邪義に基づいてつくられたニセ本尊である導師本尊を、葬儀において奉掲してはならない。ニセ本尊をみずから拝み、人々にも拝ませる――これ以上の大謗法はない。宗祖日蓮大聖人のお怒りを恐れるべきである。と同時に、七百年のあいだに日蓮正宗の法脈に忍び込んだ邪義を洗い流す作業をしなければならない。
 御本尊にすらニセ物が入り込んでしまっているのだ。そのほかに、どれだけの邪義が入り込んでいるのかわかったものではない。封建思想や邪宗の影響を排し、御書を根本とし、日蓮大聖人の仏法の原点に還るべきである。
 創価学会員は、日蓮大聖人の仏法をもって世界民衆を救っていくために、英邁なる判断をもって時代相応の化儀化法について真剣に考えていく必要がある。
 本来、大折伏戦の先頭に立ち、時代相応の化儀化法を示さなければならない法主が、いまやみずからの権威・権力を守るだけのために、封建思想の中に日蓮大聖人の仏法を葬ろうとしている。
 日蓮大聖人の仏法を現代社会に蘇らせ、御遺命である世界広布を実現するためには、仏法史上稀有の指導者である池田創価学会名誉会長の指導性に、すべてが委ねられるべき時がきている。
 それなくしては、閻浮提広宣流布は夢のまた夢となってしまう。仏子らは、勇んで新たなる宗教運動を推進しなければならない。世界広布の未来は、仏子らの眼前に洋々と開けている。
 一方、日顕一派は、いつまでもニセ本尊たる導師本尊に代表される、改変された化儀化法に執着し、本来の日蓮大聖人の仏法とは大きくかけはなれた恥ずべき葬式仏教の枠から一歩も出ることはできないだろう。
 (導師本尊シリーズ執筆にあたっての参考文献は、後日、まとめて紹介いたします)
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