日蓮正宗時局協議会が、「日顕上人ご建立の墓石に対する学会の誹謗を破す」(以下「時局文書」と称する)と題する文書を、十月五日に日蓮正宗の全国教師宛に配布した。
この文書は、法義に背き与同罪もわきまえずに日顕が禅寺に墓を建立したことを正当化しようとしたものだ。言うならば、大謗法の文書である。文書の作成者は、「時局協議会文書作成班有志」となっている。「文書作成班」の責任者は、教学部長の大村寿顕(東京・宝浄寺住職)だ。
この大村、平成元年七月十七日に日顕のお供をし、福島県の禅寺・白山寺で、日顕の建てた墓の前で日顕とともに法要をおこなっている。つまり、事件の当事者なのだ。
大村は、自分が日顕とともに犯した明らかな大謗法をごまかすために、地位を利用して誰かに書かせたのだろうか。大謗法を犯したうえに、これ以上、与同罪の者までつくることはなかろうにと思われる。
まず、目につくのが「文書作成班有志」の「有志」の二字である。この二字が泣かせるのだ。誰も表立って名前を出したくないのだろう。たしかに記名で書けば末代までの恥となる。
日顕の犯した明らかな大謗法を糊塗しようとすれば、ウソにウソを重ねるしかない。この文書の書き手は、ずいぶんと損な役割を引き受けたものだ。
だが、「有志」に同情し、追及の手を緩めるわけにはいかない。法主が禅寺に墓を建立し、その墓前で法要をいとなむという大謗法の与同罪など、断じてごめんこうむりたいからだ。
この「時局文書」、故意か過失か一行目からウソを書き、それに基づき論を展開している。「時局文書」は、以下のように書き始められている。事件そのものの概要説明もあるので、それを改めて確認する意味からも、少々長くなるが割愛せず引用する。
「今回、創価学会では、平成三年九月二十九日付の『中外日報』に、『日顕法主が“邪宗の墓地”に先祖墓』などという大見出しを付け、誹謗・中傷記事を掲載するや、これを受け継いで、早速、森田一哉理事長が同二十九日、千駄ヶ谷の創価国際友好会館で行なわれた船橋の本部研修会で、
『次号の創価新報(十月二日付)に掲載されるが、驚くことに日顕猊下は、福島市内の曹洞宗・白山寺にある先祖の墓地に豪華な墓石を新たに建立し、平成元年七月十七日に自ら足を運んで墓参・法要まで行っている。墓石には〈為先祖代々菩提 建立之 日顯 花押〉と刻まれている。(中略)日顕猊下の振る舞いは、そうした信徒の純真な信心を踏みにじるものであり、強い憤(いきどお)りを禁じえない』等と発言している。そして面白いことに、本年初頭より全国の寺院に毎日、無断送信されてくる宗門批判の怪文書『地涌』の九月二十九日号から、このことが連載されている」(「時局文書」)
まず一行目が間違い。九月二十九日付の『中外日報』は九月二十七日付の間違い。
長々と引用した「時局文書」は、「二十九」日の『中外日報』、二十九日の森田理事長発言、二十九日の『地涌』、これらが同時に日顕の「禅寺墓問題」を取り上げたことが「面白い」と言っているのだ。
「時局文書」が言いたいのは、要は『中外日報』、創価学会首脳、本紙『地涌』が、日顕の「禅寺墓問題」を同じ日に扱ったことから、三者が密接に連動していることが明らかになったとして「面白い」と言っているのだろう。だが、実際は「面白くない」のだ。本紙『地涌』は九月二十七日付の『中外日報』に報じられた日顕の「禅寺墓問題」の記事を見て、その事の重大さに驚き、事実確認のうえ、『中外日報』の記事を紹介するかたちでこの問題を報じたのである。本紙『地涌』の九月二十九日号は、
「宗教専門紙『中外日報』(平成三年九月二十七日付)は、『日顕法主が“邪宗の墓地”に先祖墓』と題する記事を一面全部を割いて大々的に掲載している」
と明記して、「禅寺墓問題」を報じている。
この「時局文書」の「有志」および責任者の大村寿顕は、このような重大な事件を扱うのだから、地に足をつけて事実を慎重に確認して書かなければならないのに、一行目の日付の記述を間違ったばかりに、論の構成がメチャクチャになってしまっているではないか。
森田理事長の発言が二十九日にあったとしても、二十七日付の『中外日報』に報じられたのだから、この問題の深刻さからして話題にして当然ではあるまいか。
なお、本紙『地涌』に「禅寺墓問題」を記述したのは二十八日の夜。そして、二十九日の朝にかけて配信した。つまり、「時局文書」の冒頭に、三者の動きを二十九日に符合させて、鬼の首を取ったように書くほどのことではないのである。まして、『中外日報』は二十七日以前に発送されているのだ。
そのうえ、「時局文書」は、戦略的にも失敗している。これまで『地涌』については、宗内の会合ではいつも話題にのぼっているのに、表立っては無視の姿勢を取りつづけてきた。公式的には、『地涌』は「怪文書」だから文章の内容は検討に値しないとの姿勢をとってきた。
それしか対応の方法がなかったのだ。無視することだけが、『地涌』に対して残された宗門中枢の唯一の対応策であった。
にもかかわらず、不用意にも公式文書で『地涌』を取り上げてしまったのである。しかも、『中外日報』が九月二十九日の日付であるとの間違った前提で論を進め、その延長線上に、「そして面白いことに」と前置きして『地涌』を登場させたのだ。
登場させられた本紙『地涌』は、もとより寛容であるから、錯誤に基づき名前を挙げられてもかまわないが、きっと宗内の日顕擁護派からは、作戦ミスとして無能の謗りを受けることになろう。現に教学部長・大村の無能を笑う声が宗内に響きはじめている。
きょうは「有志」の足が地についていないことを笑い、ジャブ程度で終わる。明日は、ワンツーパンチを繰り出すことになる。
