日顕上人が平成元年七月に福島県福島市の曹洞宗白山寺に、五百五十万円をかけて新しく先祖代々の墓を建立していた。この考えられないような大謗法事件は、全国の日蓮正宗僧俗に津波のような衝撃を与えた。
純真な僧俗はことごとく、「日顕上人はやはり狂っている」との感を深くしている。もしかりに、創価学会の副会長が邪宗の寺に五百五十万円も出して先祖代々の墓を建立したなら、創価学会員はその副会長をボイコットするだろうし、役職も解任されるだろう。
日蓮正宗の法主が邪宗の寺に先祖代々の墓を建立したという事件は、日蓮正宗僧俗にとって絶対に看過でき得ないことである。これほど屈辱的な事件はないだろう。
日顕上人は、昭和六十年一月二十九日におこなわれた妙苑寺(神奈川県津久井郡)の落慶入仏式において次のように話している。
「人間として自分自身が幸せになるということはまた、他を幸せに導いていく努力と信念のなかに存するのでありまして、特に大恩のある祖先あるいは父母等を自分の力で本当に正しく幸せにしてあげるために努力しようという、その心がそのまま信心の心であり、仏道の修行の心であるわけでございます。
その上から、先祖を供養するということにおいて、様々な方法がありますけれども、やはり墓地をきちっと日蓮正宗の寺院に建て、安心して祖先を正しく埋葬する場所をおつくり申し上げ、さらにまた、自分自身もその精神に則って信心修行に励んで自行化他の功徳を先祖に回向し、その功徳をもって御先祖を追善申し上げるということが最も理想的な在り方でございます」
宗内僧俗の前で、みずから「墓地をきちっと日蓮正宗の寺院に建て」と話していた法主が、自分の先祖代々の墓を邪宗の寺に建立したのだ。
日顕上人が、この話をしたのが昭和六十年一月、そして、日顕上人が邪宗の寺に墓を建てたのが平成元年七月、たった四年六カ月のへだたりしかない。自語相違や言行不一致ばかりおこなっている日顕上人だが、ここでも平気で綺語をなしていたのである。
日顕上人は、口では立派なことを言っているが、おこなっているところは破仏法である。日顕上人はこの落慶入仏法要のとき、さらに次のように話している。
「この世の中には様々な悪縁があるために、せっかく正法に入っても、もしその墓地が間違ったところにいつまでもありますと色々な悪縁にひかれて、その子供、さらに孫というような形のなかで、だんだんと正法の信心が崩れていくというようなことも、まま見受けられるところでございます。
要は、信心を根本として正しく御先祖を追善回向し、そしてまた正しいところに、できればこの寺院開設の意義の如く正法寺院に墓をとって信仰に励んでいくことが大事でございます」
まったく日顕上人の話のとおり、日顕上人は悪縁にひかれて、正法の信法が崩れてしまったのである。仏法から見た因果を述べている本人が、悪因縁に搦めとられてしまったのだ。そして、いまや「禅天魔」の四箇の格言どおり、悪鬼入其身の姿を現じ、仏意仏勅の創価学会の解体を策し、破仏法をおこなっている。
法主でありながら仏法を破壊している日顕上人は、宗史に前例のない、“法滅の妖怪”である。日蓮正宗僧侶たる者は、謗法を犯していた法主に対して、明確なる姿勢をとるべきだ。明確なる姿勢をどのようにとるかは、日蓮大聖人の御聖訓に依るべきである。
それとも、これまで同様、日顕上人におもねり、日蓮大聖人の教法に背くのだろうか。日顕上人の犯した過ちは、この墓の一件のみをもってしても、情実をもってナアナアで済ますには、その限度をこえている。禅寺の坊主と「詐親」するなど、もってのほかだ。
宗内大衆の中には、法主であるから少々の誤りがあっても、護り抜くことが信心であると考えている者もいるかもしれない。しかし、日蓮大聖人の嫡流である日蓮正宗の法主であるだけに、誰よりも謗法を厳戒しなければならないのである。
日蓮正宗僧俗は、もう日顕上人を見限るべきだ。へたに同情し、悔悟の念のない日顕上人を助けることは、与同罪まぬかれがたいことである。
この日蓮大聖人の教法にそむく、宗義にかかわる本質的な事件を、対創価学会といった視点でとらえ、謗法者の日顕上人を弁護するようなことがあってはならない。それは己の仏種を断ずることになる。
いま日顕上人および日蓮正宗中枢のなしうることは、ただ一つ、御本仏に対し奉りひたすら懺悔することである。しかし、いまの日顕上人らに素直に懺悔滅罪を求めることは、邪師に正法への帰伏を求めるのと同じくらいむずかしいことである。おそらくは、愚にもつかない言い訳をもってつくろおうとすることだろう。
