第7章 天 魔 出 来


 第272号  1991年9月29日

日蓮正宗自由通信同盟

日顕上人は禅寺に550万円もする先祖代々の墓を建てた
やはり禅天魔の格言通り天魔となって仏法を破壊している

 日顕上人の所為は、天魔のなすところである。宗開両祖および先師方の業績をないがしろにし、我一人尊しと権威をふりかざしている。日蓮大聖人の御聖訓を引用しても、みずからの慢心を粉飾するためのものにすぎない。
 日顕上人は、己の“心を師”とし、“我仏意を得たり”とばかりに我見をもって、すべてに対処しようとしている。そして遂には、衆知のように、和合僧団を破壊し仏子たちを地獄に導こうとしているのだ。
 日顕上人の慢心たるやとどまるところがなく、いまでは、宗門機関誌『大日蓮』において、“現代における大聖人様”とまで呼ばせている。これ以上の大慢心はないし、これに勝る三宝破壊はない。なにしろ日顕上人、仏宝である宗祖日蓮大聖人と肩を並べようとしているのだ。
 これは本質的に見るならば、日顕上人みずからが日蓮大聖人と一体不二、あるいは同格であるとして、他を欺くことにより、先師方の指南、業績すら一切無視する姿として現れている。繰り返すようだが、この大慢心は日顕上人から、謙虚に先師方の業績に学ぼうとする姿勢すら失わせている。
 これは禅宗の害毒に因る。日蓮大聖人が四箇の格言において、「禅天魔」と破折された禅宗の害毒により、日顕上人はいま狂っているのだ。
 禅宗は、まさに仏法の一切を破壊する天魔の所作である。一切の経典、人師、論師を無視し、みずからが仏法の真髄を得たと大慢心を起こしているのだ。そう見てゆけば日顕上人の狂える姿が、よくよく理解できる。「禅天魔」の姿そのものである。
 では何故に、日顕上人の本質を喝破するのに「禅天魔」という四箇の格言を持ち出すのだろうか。
 宗教専門紙『中外日報』(平成三年九月二十七日付)は、「日顕法主が“邪宗の墓地”に先祖墓」と題する記事を一面全部を割いて大々的に掲載している。報じられている記事の要旨は次のようなものであった。
 平成元年七月十七日、日顕上人は福島市内にある曹洞宗の白山寺を訪れた。目的は阿部家先祖代々の墓へ参るためであった。
 日顕上人は、この墓参に先立ち費用五百五十万円の一切を負担し、新しい墓石をもって墓を新調した。新しい墓は、墓石の中央に「南無妙法蓮華経」と日顕上人の自筆が刻み込まれている。墓の裏側には「平成元年七月十七日 為先祖代々 菩提 建立之 日顯 花押」と刻まれている。
 この墓参にお供をし、墓前で一緒に読経唱題した日蓮正宗僧侶は、「日顕法主の長男・信彰、娘婿の早瀬義純、大村寿顕教学部長、石井信量大石寺理事、広布寺前住職の石井栄純など」であった。
 『中外日報』紙は、日顕上人が曹洞宗寺院内にある先祖の墓を、どうしてまた墓石だけで五百五十万円もの費用を使って、新しく建て直したかについて、「阿部家の当主である賢蔵氏の母・キンさん」の次のような言葉を紹介している。
 「日顕法主がうちの息子(賢蔵氏)に、墓を新しくしたいからやらせてくれと言ってやったことだ。前の墓は骨入れ(納骨室)もなかったから、骨入れのあるものになった。うちでは費用を一切出していない。父親の日開上人ができなかった供養をしたいという気持だろう。白山寺へはうちから酒二升届けただけだ」
 白山寺に届けられたのが、「酒二升」だけというのは、にわかには信じ難い。それにしても日顕上人は、邪宗の墓地内に五百五十万円もかけた最高級の墓を新調することをもって、故郷に錦を飾ろうとしたのだろうか。日蓮正宗の法主のやることではない。五百五十万円もかけるのであれば、日蓮正宗寺院内に建てればよい。
 現に地元・福島市内にある広布寺には、当時も現在も未使用で使用者募集中の墓地用地がある。そこに建てればよいのだ。それが親戚との関係でできぬのであれば、親戚を折伏、あるいは再折伏しなければならない。
 だが本来、日顕上人がしなければならないことは、堂々と禅寺の坊主を折伏し改宗させることだ。『中外日報』紙の報ずるところによれば、日顕上人は禅寺の裏にある墓地に、裏から入り裏から退散したということだ。宗開両祖にこの臆病な所業をどのように弁明するつもりだろうか。日蓮大聖人が生涯を通じて命懸けで邪宗と戦われたことに、弟子たる者しかも法主が後足で砂をかけるような所業に及んだことになる。
 日蓮大聖人はなにをもって故郷に報われようとしたかを考えてみれば、日顕上人のおこなったことが、とり返しのつかない過ちであることがわかるだろう。宗祖は五字七字の「南無妙法蓮華経」を故郷である安房小湊の「清澄寺」で明らかに示された。
 「いかにいわうや仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか」(報恩抄)
【通解】ましてや仏法を学ぶもの、どうして父母、師匠、国家社会の恩を忘れることがあってよいだろうか。しからばこの大恩を報ぜんがために、いかにすればよいのか。それには必ず仏法の奥底を学び修行して、智者とならなければならない。

 この報恩抄は、日蓮大聖人が仏門に入った時の師・故道善房の供養のために著されたものである。この御文に拝されるように、日蓮大聖人は「国恩」に報いるには、正しい仏法を弁えることが肝要であると述べられている。つまり折伏をもって報いることが最善であると仰せになっているのだ。
 日蓮大聖人は次のようにも仰せになっている。
 「此の諸経・諸論・諸宗の失を弁うる事は虚空蔵菩薩の御利生・本師道善御房の御恩なるべし。亀魚すら恩を報ずる事あり何に況や人倫をや、此の恩を報ぜんが為に清澄山に於て仏法を弘め道善御房を導き奉らんと欲す」(善無畏三蔵抄)
【通解】このように諸経・諸論・諸宗の誤りを弁え理解することができたことは、ひとえに虚空蔵菩薩の御利益であり、旧師・道善御房の御恩なのである。
 亀ですら恩を報ずることがある。まして人間においてはなおさらである。この師恩を報じるために清澄山において仏の正法を弘め、道善御房を導こうと願ったのである。
 まさに恩に報いるに折伏をもってなされているのだ。日蓮大聖人は、その主旨からも出家得道した故郷の寺・清澄寺を立宗宣言の場に選ばれたのである。
 日蓮大聖人はこの立宗宣言により、地頭の東条景信より命を狙われ故郷を追われている。その末流たる一宗の法主が、邪宗の寺の先祖代々の墓に、裏から入り、法要をし、裏から去るとは何事であろうか。
 五百五十万円の墓を建立することが、故郷に報いることになると考えるならば、仏法を学せぬ者といえる。
 日顕上人が曹洞宗の寺域にある先祖の墓を大金をかけて新調したことは、とりもなおさず日顕上人が、禅宗に邪宗教としての違和感をもっていないことを示している。日蓮大聖人の示された邪宗との戦いを、口ではどう言おうとも空理空論と受けとっていることになる。折伏精神が欠如しているのだ。
 信徒であっても強信な者は、先祖代々の墓を、邪宗の寺から日蓮正宗や創価学会の墓地に移そうとする。これは自然な心情である。まして費用の一切を自分が負担するというのであれば、なにも好んで邪宗の寺域に、五百五十万円もかけて墓を新調しようなどとは思いはしない。
 日顕上人は、創価学会の活動家クラスの信心もないのである。日蓮大聖人の信心に徹すれば自然に湧いてくる、邪宗を忌み嫌う当然の気持ちに欠けているのだ。あるいは、いまだに先祖代々の禅宗の害毒が抜けきっていないのかもしれない。
 そういえば、日顕上人の実父・日開上人は、日蓮正宗機関誌『白蓮華』の発行人であった時、『白蓮華』の第八巻第二号(大正二年二月七日発行)より、同年十二号まで、禅宗の開祖・達磨の絵を広告とはいえ臆面もなく掲載していた(本紙第235号詳述)。これも今となればなにやら意味深長なことではある。
 法主の座に在りながら、曹洞宗の寺域に先祖代々の墓を新調し、大村教学部長や石井大石寺理事を伴って法要などをしているから天魔に魅入られるのだ。そして今日の悪鬼入其身の姿がある。まったく「用心」に欠けた行為であった。
 日蓮大聖人の仰せに曰く。
 「予日本の体を見るに第六天の魔王智者の身に入りて正師を邪師となし善師を悪師となす、経に『悪鬼入其身』とは是なり、日蓮智者に非ずと雖も第六天の魔王・我が身に入らんとするに兼ての用心深ければ身によせつけず、故に天魔力及ばずして・王臣を始として良観等の愚癡の法師原に取り付いて日蓮をあだむなり」(最蓮房御返事)
【通解】私が日本の姿を見るに、第六天の魔王が智者の身に入って正師となし、善師を悪師となしている。法華経に「悪鬼其の身に入る」と説かれているのはこれである。
 日蓮は智者ではないけれども、第六天の魔王が我が身に入ろうとしても、かねてからの用心が深いので身に寄せつけない。ゆえに天魔は力及ばずに王や臣下をはじめとして良観等の愚かな法師たちに取りついて、日蓮を怨むのである。
 
 日蓮大聖人ですら、「兼ての用心深ければ」と仰せになっているのだ。日顕上人は、「用心」の心なく日蓮大聖人が「禅天魔」と厳しく破折されているのに、その真意を侮り、天魔に魅入られ、いまや天魔の所為に及んでいる。日顕上人は、昼夜わかたず仏法を破壊することに血眼になっているのだ。
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