第5章 綺 語 誑 惑


 第217号  1991年8月5日

日蓮正宗自由通信同盟

遺族を中傷批判するビラを作って配ったり文書を掲示する
日蓮正宗の一部の僧侶の行っていることは人道にももとる

 先号において、夫を弔い「友人葬」をおこなった喪主に対し、まるで江戸時代の高札のような張り紙を寺院内に掲げ、迫害した日蓮正宗の末寺住職がいたことを記した。
 日蓮正宗の末寺住職たちの卑劣な行為はそれだけにとどまらない。同趣旨の葬儀を発端として、千葉県においても同様な訴訟が起こされている。
 訴え出たのは、やはり夫を亡くした夫人、訴えられたのは、長澤励道(遠霑寺住職)と白井浄道(仏心寺住職)である。
 夫を亡くした夫人は、五月十三日に通夜を、五月十四日には葬儀を「友人葬」として執りおこなった。
 この「友人葬」の模様を、遠霑寺の長澤は報告書にまとめ、日蓮正宗宗務院庶務部宛に送った。だが長澤は、それだけでは気がおさまらなかったと見え、遠霑寺に参詣した人々に対し、その報告書のコピーを大量に配ることまでした。
 さらには、他寺にもその報告書を渡した。仏心寺住職の白井は、遠霑寺の長澤より報告書のコピーをもらい受け、それを多数の仏心寺信徒の自宅宛に郵送した。
 不特定多数を対象にバラまかれたその報告書のコピーには、故人の住所、氏名、死亡年月日、喪主名、葬儀執行場所、執行方法などが書かれていたが、そのうえで、「上記の通り学会員独自による、通夜・告別式を執行したのですが、参列の創価学会員には『寺で断られた』『住職が留守でいない』から学会で執行すると流していた。又、末端の学会員には、『学会独自の葬儀執行を知らせないように』との話しもあった」と、まったく事実に反する記述がされていた。明らかに、「友人葬」をおこなった喪主を文書をもって傷つけようとするものであり、続発する「友人葬」を阻むための見せしめとしたのであった。
 夫を亡くした夫人の気持ちをさらに傷つけようとする、鬼畜にも劣る行為である。このような悪比丘が、聖僧面して日蓮大聖人の弟子を僣称していることに驚きを禁じ得ない。
 同様の事件は、兵庫県明石市でも起きている。訴えたのは、故人の妻と次女および三女である。
 去る四月二十一日、葬儀は「家族葬」としておこなわれ、喪主は故人の妻がつとめた。この葬儀の模様を、感応寺住職の菅原信法は、日蓮正宗宗務院庶務部長である早瀬義寛に二度にわたり報告した。
 これまでの経過でもわかるように、日蓮正宗の末寺は故人の冥福を祈るのではなく、かつて寺社奉行のもとで庶民を監視し、お上に奏上したように、信徒の動向を見張って宗務院にこと細かに報告しているのである。
 それはさておき、感応寺住職の菅原は、二度にわたって報告した報告書を、表と裏にそれぞれ刷ったビラを大量に作成。受付に置いて、寺を訪ねた者に誰かれかまわず配り、同じ文を寺院内の目立つところに掲示した。
 報告書には、故人の氏名、年齢、死亡年月日、住所、喪主名、葬儀日時などが記載されていた。このような文書をビラにしたり、掲示したりするだけでも良識を疑わざるを得ない。しかも、その内容たるや実にひどいものである。
 「葬儀開式10分前、寺井参議到着、導師を勤める旨の連絡が無かったとみえ回りの者に『お寺さんに頼んでないのか』と大声でどなる。何んとなれば今回の葬儀には、明石市市長・市議会議長等、外部より市の名士多数参列あり、在家の身で葬儀を勤める事への抵抗が、カリカリしての葬儀執行、亡き人の成仏は如何? 祭壇には不釣合いな小さな御本尊・位牌無しの状態で導師座に着いた寺井氏の心底は如何なものであったろうか、察しても余りあるものであろう。
 弔辞に至っては地元県議が自ら涙を流しながらの哀音を奏でる始末、この異様な葬儀を目の当たりにした参列者の一人は、……」
 徹底して葬儀にケチをつけている。しかも事実に反する記述までしてである。遺族に対する憐憫の情のかけらもない。それどころか、遺族が次のようなデマを流したとして、これまた事実に反する批判をおこなっているのである。
 「◎感応寺に葬儀を依頼したら断られたから自分たちで勝手にした。◎葬儀をお願いしたら、五〇万円請求されたから断って学会葬でした。上記のような噂が流れているが、何れも事実に非ずウソそのものであります」
 「当日の葬儀は、家族葬に非ず学会葬として行い、そのうえ、上記のような噂を流しお寺側に全責任を被せ、ウソにウソを塗り重ねての卑劣なデマ宣伝で会員を洗脳し、事実を隠蔽し、真実を聞かせまいとする今日の学会の姿は、大幹部が率先してウソをつき弱者を苛めるヤクザ教団と化してしまった感を強く抱くものである」
 「亡き人は成仏できるのであろうか。ウソを平気でつく・曲がれる人達の題目では、到底成仏は不可能であろう」
 あたかも喪主ら家族が、ウソの噂を流したような文面である。もちろんのこと、喪主らはそのようなことを話してはいない。住職・菅原の、「家族葬」をおこなった人たちを徹底して傷つけようとの底意がみえみえである。そのうえで、「到底成仏は不可能であろう」とまで言っているのだから、卑劣きわまりない。
 このような文章をビラにして配ったり、掲示したりするような僧が日蓮正宗にいるのだ。自分が葬儀に招かれないことを恨み、遺族をここまで攻撃する僧侶がいてよいものだろうか。
 日蓮正宗の僧たちの狂えるさまが、手に取るように分かる事件であった。このような心根卑しい無慈悲な僧を、肉親の葬儀に導師として招きたくないと思うのは当然のことである。
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