第5章 綺 語 誑 惑


 第205号  1991年7月24日

日蓮正宗自由通信同盟

脱会者作りを目的として結成された「外護の会」が解散
反創価学会を策する者たちの敗北が次々と決定的になる

 押木二郎の主催してきた「外護の会」(新宿区四谷二丁目十番地)が解散した。
 押木二郎は、藤原行正、大橋敏雄が表だって造反した昭和六十三年七月に、池田問題対策事務所の事務局長を自称しはじめた。池田問題対策事務所は発足当初、杉並区高円寺駅前にある藤原行正所有のマンションの一室に所在していた。押木が藤原から給料をもらっていたことからして、池田問題対策事務所は藤原の丸がかえで運営されていたと断言してよい。
 池田問題対策事務所の目的は、池田創価学会名誉会長を傷つけること、創価学会を攻撃すること、藤原行正の次男・範昭を創価学会会長にすることであった。目的に挙げた最後の一つはバカバカしいことだが、藤原行正、範昭本人、大橋敏雄、押木などは、まともにそのようなことを考えていたのである。
 藤原の命令を受けた押木は、その目的にそって主にマスコミ操作を実行した。たとえば、創価学会本部のそばにある神宮外苑などで、聖教新聞社の無線、あるいは創価班の警備用無線を傍受して、その通信内容をもとにマスコミに情報を流した。その際、藤原や押木らは、あたかも創価学会の最高幹部に協力者がいるかのように装ったのである。
 藤原行正は、池田名誉会長に的確なダメージを与えることができないとわかると、暴力団を雇い池田名誉会長を暗殺しようとした。藤原は暴力団に、五億円で殺人を依頼するための話し合いまでしていた(本紙第20号詳述)。なお、藤原に暴力団幹部を紹介したのは、いつも創価学会批判記事を書いているルポライターのMと伝えられている。
 藤原が池田名誉会長の暗殺計画を依頼したことによって、押木らはマスコミに相手にされなくなり、押木は藤原グループのスポークスマンとしての動きが充分に果たせなくなった。
 押木は活動拠点を、高円寺駅前にある藤原が所有するマンションから四谷二丁目に移した。新しく移った場所は(株)アドムが借りている事務所で、この(株)アドムも藤原が関連する会社である。
 ところが、藤原父子を表看板にしての動きに限界を感じはじめた押木は、昨年(平成二年)暮れ頃から高橋公純(本応寺住職)と接触しはじめた。この二人を仲介したのは、段勲と思われる。以後、押木は宗門サイドに立って反創価学会の活動をしようとしている。その結果、押木と藤原との仲は現在、決裂状態にある。
 昨年(平成二年)十二月二十五日、高橋公純は段勲、押木二郎をつれて日顕上人に会った。そこでの話題は創価学会解体についてである。そのとき日顕上人は、創価学会との間で将来裁判が起きた際は、証人として出廷してくれるよう、押木に依頼した。
 押木は「外護の会」の活動方針を日顕上人に示し、創価学会切り崩しの抱負を述べた。日顕上人は、押木が池田問題対策事務所の事務局長としてマスコミにもひんぱんに登場しているので、押木のもとに相当数の脱会者が組織化されているものと錯覚していたようだ。
 押木は藤原の単なる走狗にすぎず、数名の者しか従っていないなどとは思いもしなかっただろう。日顕上人はすっかり騙されてしまったのである。
 「外護の会」などといっても、その実態は子供の遊び程度のものである。藤原に教え込まれたマスコミ操作が、いわば習い性となってしまった男の、夢想の産物である。だが、なかには押木に騙されるマスコミもある。
 『週刊文春』(平成三年二月七日号)など、その好例である。押木の手記をわざわざ掲載し、見出しに「脱会へ二千人が決起」とまで謳っている。押木という、マスコミ操作を性癖とする愉快犯にすっかり乗せられてしまったのだ。
 この手記の発表以外に、押木が主催する「外護の会」の目立った活動はない。「外護の会」は脱会者を募ることもできず、目立った活動の実効をあげることもできなかった。しかたなく押木は、「外護の会」を終息させるタイミングを計っていた。
 そして、七月六日、「外護の会」は、解散宣言ともいえる「お知らせ」なる文書を関係者に配った。「お知らせ」は次のように始まっている。
 「前略 すでに御存知のように、いよいよ七月二日から添書登山が開始されました。池田教から覚醒し、本来の日蓮正宗信徒の自覚に立ち帰る学会員の流れが、より一層拡大するものと思われます。早速ですが、過日発起人会を開催し、今後の方針を以下のように決定しましたので、経過とあわせてお知らせ致します」
 添書登山によって日顕上人の孤立化が明確になったのに、逆に脱会者が「より一層拡大する」としているのは面白い。
 この冒頭の文に続いて「経過」が述べられているが、「たくさんの方々から脱会届が寄せられ」と、これまた事実と真反対のことを述べている。あげくのはては、「外護の会」解散の理由を宗門側の方針にかこつけ、臆面もなく次のように書いている。
 「戦いの進展と状況の変化に伴い、過日、宗務院より『法華講支部結成の推進』と『法華講以外に別な組織を認めていく方針はとらない』ことが発表されました。これは宗門、御僧侶、法華講の総力をあげて池田教との戦いを展開する決意の現れであると拝察します」
 「拝察します」などと体裁のいいことを言っているが、戦うこともできず敵前逃亡したに過ぎない。創価学会攻撃の電撃作戦の決行を翌日に控えた昨年十二月二十五日、かりそめにも、押木のような軽佻浮薄な男に、作戦の全貌を得意げに漏らした日顕上人は将として失格と言える。
 それはさておき、口先だけのマスコミ操作男・押木は「今後の方針」として、「発起人会としては、この宗門の方針に従って、各末寺を中心とする活動を基本として大きな流れを推進すべきであると判断し、信徒団体『外護の会』を解散することに致しました」と述べている。
 ものも言いようである。旧日本軍大本営ではあるまいし、「退却」を「転進」とするような、デタラメな文書ばかりを配り歩いている男を、『週刊文春』などはいつまで信用しているのだろうか。
 押木という男は、マスコミを騒がせて喜んでいるだけの愉快犯にすぎない。
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