第5章 綺 語 誑 惑


 第203号     1991年7月22日

添書登山最終日に現れた福島源次郎は総勢4名であった
日顕上人の添書登山に繋いだ一縷の望みは切れてしまった

 七月二十日、添書登山の最終日に、福島源次郎が登山をした。日蓮正宗中枢では、元創価学会の副会長である福島の登山には、大いに期待をかけていた。
 福島が登山するとなれば、数千人規模の脱会者を引き連れての登山になると、幻想を抱いていたのだ。
 反創価学会で動くように宗門側を煽りたてた高橋公純(本応寺住職)は、昨年(平成二年)十一月末頃、「所感」という文の中で、「藤原軍団六千、福島グループ三千」と、それぞれの手勢の見込みを書いている。
 藤原行正や福島源次郎が、数千名規模の脱会者を率いるだけの力があると読んでいたのである。この高橋の夢想とも思える分析は、そのまま日蓮正宗中枢の思惑でもあった。
 「藤原軍団六千、福島グループ三千」――中核がこれだけいれば、創価学会を瓦解させ、日蓮正宗の僧侶が、充分、食っていけるだけの檀徒を確保できると思ったのである。
 ところで現実はどうであったろう。
 藤原行正は七月十四日に登山したが、その一行は約十名程度であった。六千名とは比べるべくもない。それでは、福島源次郎は何名を引き連れて登山したのか。数千名か、数百名か、あるいは数十名か。いずれも違う。
 福島の一行は総勢四名であった。福島のほかに男性二名、女性一名が登山した。計算高い福島は、動員をかけても二十名あるいは三十名程度の登山者しか同行できないので、代表者のみを同行したような体裁をとったのだ。そのほうが宗門の自分に対する幻想を保てるし、ぶざまな醜態をさらすことがないと判断したのであろう。
 それにしても、福島が同行者三名のみで登山したという事実は、日蓮正宗中枢にとっては相当にショックであった。
 日蓮正宗中枢としては、福島が最終日に登山することによって、添書登山全体を覆っていた敗北感を吹き飛ばすことができると思っていたからだ。
 福島がみずから登山する日として添書登山の最終日を選んだのは、それだけの自負心のあらわれと見、当然のことながらそれを裏づける陣容が福島にありと期待していたようである。
 紅白歌合戦でいうならば大トリ、野球でいうならば、九回裏二死満塁の逆転サヨナラのチャンスに主砲がバッターボックスに入るようなものだなどと、とんでもなく現実離れした期待感を、日蓮正宗中枢は福島に抱いていたのだ。
 しかし、二死満塁の逆転サヨナラのチャンスどころか、20対0程度のワンサイドゲームの九回裏二死といった状態で、最後のバッターとして福島が登場したといったところだろう。
 応援する観客はすでに怒って帰ってしまい、観客席には日顕上人ほか五名程度の熱烈なファンしか残っていない。観客席に目立つのはゴミだけ。
 熱烈なファンたちは、そこで福島にヒットでも打ってもらい、「このヒットは貴重なヒットだ。次の添書登山につながる」と解説して、ワンサイドゲームの溜飲を多少なりとも下げようとした。
 添書登山最終日に福島を迎える日蓮正宗中枢のこのような期待感を、福島は見事に裏切った。いうならば見逃しの三球三振。
 添書登山最終日に総勢四名で登山した福島には、この程度の働きしかできなかった。日蓮正宗中枢の福島に対する幻想は吹き飛んでしまった。福島への期待感が大きかった分だけ、落胆の思いも相当に大きく、添書登山の先行き、日顕上人の前途にも不安をよぎらせるものとなった。
 昨年暮れ、日顕上人らは「C作戦」を実行に移した。
 「C作戦」には破門、絶縁などの強硬手段が盛り込まれていたが、池田名誉会長の総講頭の実質罷免をおこない得たのみで、その後の強硬手段は実行されていない。日蓮正宗中枢の意に反し、状況は日を追うごとに不利になっていく。日顕上人らは手をこまねいているだけである。
 この閉塞状況の中で、日顕上人らが唯一の望みを託していたのが添書登山である。一閻浮提総与の大御本尊様を渇仰する創価学会員の純真な信仰心を利用して、仏意仏勅の創価学会を切り崩そうとしたのだ。日顕上人らにとって最後に残された唯一有効な策であった。
 添書登山にかける日顕上人らの思いは悲愴なものがあった。ところが添書登山最終日、真打ち登場とばかりに格好をつけて現れた総勢四名の福島が、日顕上人らの一縷の望みを断ち切ったのである。
 福島は御開扉終了後、内事部に入ったが、その福島の姿を見て、「浪人者が栄達を望み、猟官運動をしているだけだ」と、期待を裏切られた高僧の一人が、苦虫を噛みつぶしたような顔で吐き捨てるように述べていたことが伝えられている。
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