山崎正友の部下・梅沢十四夫が『新雑誌21』(一九九一年八月号)の中で、インタビューに答えて語っている。その中から注目に値する箇所を、検証してみたい。
梅沢は次のように話している。
「梅沢 (前略)福田毅道師に限りませんけども、高橋公純先生もそうですけど、池田大作氏が総講頭を解任され、ともかく一月末にはカタがつく、二月には温泉でもって祝賀会をやろうとおっしゃってたんですから。
大木 それは誰が言ったんですか。
梅沢 それは高橋公純先生が『梅沢さん、温泉でゆっくりみんなでやろうや』なんて、言われましたよね」
これは、福田毅道(当時・宗務院海外部書記)、高橋公純(本応寺住職)ら、「C作戦」を中心になって煽った者たちが、本年(平成三年)一月、自分たちのたくらんだ「C作戦」の成功を予想して仲間うちで話していたことである。
高橋らは山崎正友の部下である梅沢に、「C作戦」の遂行によって創価学会の解体が一月末には完了するから、「温泉でゆっくりやろうや」と述べていたのだ。
高橋は、日顕上人が創価学会総体を破門にすれば、学会員のうち三分の一が本山につき、三分の一が退転し、三分の一が創価学会に残ると考えていた。だから、日顕上人が「C作戦」決行を前にした十二月二十五日、創価学会切り崩しの目標として「二百万のうち二十万くればいい」と述べたことで、「C作戦」の成功に甘い見通しを持っていたのではあるまいか。
高橋、福田らは昨年(平成二年)の夏頃、日顕上人ら宗門中枢を「C作戦」決行に踏み切らせようと腐心していた。彼らにとって「C作戦」は、日顕上人が決断すれば必ず成功するものとして心に映っていたことだろう。
だが、昨年夏の時点では、日顕上人はギリギリのところで「C作戦」の断行を回避してしまった。しかし必勝の電撃作戦を断行し、目論見のままに緒戦を遂行しつつあると信じていた本年一月の段階では、一カ月も経てば温泉で「祝賀パーティー」ができると高橋らは見込んでいたのだ。
創価学会を逃れられぬ罠にはめおおせたと思い、あとは何分の一かの信徒を切り取るだけと考えていたのである。
日顕上人や高橋、福田らは、信徒をみずからの生活を支える田畑くらいにしか考えていない。日蓮正宗の僧たちは、創価学会の献身的な供養によって繁栄してきながら、それに感謝し法を施すどころか、創価学会を乗っ取ろうとさえしている。
『新雑誌21』の中で、梅沢が福田毅道の本心について語っている箇所も着目される。
福田は梅沢に次のように語ったという。
「『正信会の約二百名の僧侶を破門した』『この日顕のクソ坊主』『頭をひっぱたいて、いつオレは本山からおりようかと、そのことばっかりしか考えなかった』」
福田の本心が「正信会」に同調したものであったことがわかる。ところが福田は、途中から日顕上人に随従しようと考えが変わる。
梅沢の暴露するところによれば、「池田を切った後は宗務院を切るというのが福田さんの構想です」ということだ。福田は、日顕上人に創価学会を切らせた後、早瀬一族、藤本日潤ら宗務院の主な者の首を飛ばし、阿部ファミリーで宗門を牛耳ることを考えていた、と梅沢は暴露している。
日顕上人をかつぎ、「C作戦」を遂行しようとした福田らの脳裏を支配していたのは、信徒を抜きにした覇権意識のみである。
梅沢は、取材記者などとの電話での会話をテープにとり、さまざまな人に聞かせていたことも暴露している。録音したテープを聞かせていたのは、長年の上司である山崎正友や、創価学会攻撃のために野合していた福田毅道であった。
「むしろ福田先生が、誰それの会話を、それを梅沢さんテープにとってくれと、それを聞かしてくれっておっしゃって……。抵抗感じたんだけれども福田先生のために、また山崎さんの希望によって留守番電話、これは簡単にテープ録音できますから、それを買って『新雑誌X』の大木というのはスパイではないか、大木との会話をテープにとれと、そういったことを言われて大木さんとの会話もテープに入れて聞かせたこともあります」
梅沢は、山崎正友の指示によって会話を録音できる留守番電話を購入、大木という取材記者との会話を録音、山崎や福田に聞かせ、大木記者の取材意図を分析していたのだ。
山崎正友の長年の部下である梅沢十四夫は、主人である山崎が懲役三年の刑に服したことによって、後ろ盾を失い、反創価学会の人脈の中において孤立してしまったようだ。そのうえ、高橋や福田と熾烈な内輪もめをしている。思わぬところで、高橋、福田らの悪業が表に出てきたものである。
