第4章 邪 智 蠢 動


 第152号  1991年6月1日

日蓮正宗自由通信同盟

「添書」による登山は「本来の化儀化法」というけれども
原型は徳川幕府の御用機関であった頃の「寺請証文」にある

 五月三十日、総本山大石寺においておこなわれた寺族同心会において藤本総監は、登山会について次のように述べた。
 「今回の措置は日蓮正宗の本来の化儀、化法による正しい登山運営のやり方に戻るということであります。学会にすべてをまかすというのは、最初はどのような経過で始まったにしても、本宗信徒としての総本山への登山参詣の精神というのはいささかも失われるものではありません。
 本門戒壇の大御本尊様の御開扉を願い御内拝を許していただき、みずからの過去遠々劫からの謗法罪障を消滅し信心倍増、一生成仏をかなえていただくということです」
 注意深く読む必要がある。一見正しいようで、実はゴマかしの論法である。僧侶独特のずるい論法だ。しかもこの発言の根底にあるのは、大御本尊様は自分たちのもので、信徒には我々が特段の慈悲で拝ませてやっているのだという僧侶の特権意識である。
 まずおかしいのは、「日蓮正宗の本来の化儀、化法による正しい登山運営」などという金科玉条らしきものを述べていることだ。末寺の発行する添書による登山が「本来の化儀、化法」であるというが、その根拠はどこにあるのだろうか。
 登山会については、日蓮大聖人を恋慕し、佐渡の地より、はるか身延の沢まで「お目通り」に参った阿仏房の信心が、その模範とされる。
 御開扉にあたっては、信徒の信心のあり方こそ一番問題にされるべきである。また僧の立場でいえば、遠方よりわざわざ訪れた信徒の道中の労苦をねぎらい、大御本尊様を恋慕渇仰してやまない信心を称え、つつがなく大御本尊様への取り次ぎをなさなければならない。
 それを、いつの時代のことを持ち出して、末寺の「添書」を奉じて御開扉を願うことが「本宗の化儀、化法」だなどと言うのだろうか。
 室町時代の総本山第九世日有上人の当時は、留守居役の三人の僧侶が銭二十貫目で大石寺を丸ごと売ってしまっている。この時代は大石寺自体が荒廃し忘れ去られていた。とても信徒の御開扉を制度化するどころではない。
 江戸時代の総本山第十七世日精上人は、戒壇の大御本尊様を御影堂に安置した。内拝の形式をとらず、公の目にふれるところに安置していたのである。それは寛永九(一六三二)年より延宝七(一六七九)年までの四十七年間続いた。この時代もまた、御開扉の模範とすべきものがあるとも思えない。
 ところが、どうやら日蓮正宗中枢のすすめる添書登山の原型は、意外にもこの江戸時代にあるようだ。
 江戸時代、徳川幕府は寺社奉行を設け、各宗派の本山および末寺を支配した。幕府は仏教各派を厳しく統制する一方で、檀家を法的に固定し僧の生活を保護してやることによって、民衆支配の一権力機構として利用したのであった。
 そのため幕府権力は、本寺(本山)と末寺の支配―被支配の秩序を絶対のものとし、本寺を通して日本全国の末寺を統制した。また末寺は、檀家として属する民衆を、宗教思想のみならず社会生活の面に至るまで、幕府権力の代理人として支配したのであった。
 民衆は、定められた寺に身元を保証してもらわなければ、結婚もできなければ奉公に出ることすらできない。また、旅行もできなければ移住することも不可能だった。これが寺請制度である。民衆はなにかにつけて、キリシタンではなく檀家であるとの身元を保証してくれる「寺請証文」を寺院より発行してもらう必要があった。
 江戸時代の寺院は、思想警察であり戸籍や住民票を扱う役所でもあったのだ。当然のことながら、信徒が本山へ参詣するための旅行をするとなれば、「寺請証文」が不可欠であった。
 もちろん、富士大石寺およびその末寺も、徳川幕府の寺社奉行の統治下に置かれ、徳川幕藩体制を支える権力機構の一部と化していた。
 藤本総監は、この徳川幕府の権力機構の一部として民衆支配をおこなっていた頃のことを勘違いして、「本宗の化儀、化法」だなどと思っているのではあるまいか。寺檀制度の発生は荘園制度崩壊の頃までさかのぼることができるが、社会的制度として確立したのは江戸時代である。この江戸時代に完成した宗教による民衆支配の方法を、日蓮正宗中枢はいま再び持ち出そうとしているのだ。
 江戸時代、檀家の人々は「寺請証文」を出してもらうために、決められた法要の日に寺に参り、決められた法事をおこない、決められた「つけ届け」(江戸時代檀家にされた大石寺塔中坊の檀家は、御供養のことをいまでもこのように呼ぶ)をせねばならなかった。
 寺は、「寺請証文」を出す権限を持つことによって、実質的に民衆の生殺与奪の権を握っていた。寺がキリシタンでないことを保証してくれなければ、生命の保障はなかった。そのため僧は、檀家に媚びへつらわれ経済的にも潤ったのである。
 日蓮正宗中枢の動きを見ていると、その体質は江戸時代となんら変わっていない。信徒を隷属させないと気がすまないし、生殺与奪の権も当然のことながら所持していると勘違いしている。
 日蓮正宗中枢は、「添書」という現代の「寺請証文」で信徒を支配しようとしているのだ。時代錯誤もはなはだしい。
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