第4章 邪 智 蠢 動


 第145号  1991年5月25日

日蓮正宗自由通信同盟

日亨上人は日蓮正宗の僧侶の妻帯の現実を異常と嘆かれ
宗祖開山時代のような聖僧であることを望まれている

 日蓮正宗の僧侶が生涯を通して遵守しなければならない掟は、御開山日興上人の「二十六箇条御遺誡」である。それを守ることは日興上人の厳命である。
 日興上人みずから、この御遺誡の最後に、「此の内一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有る可からず」と念を押されている。日蓮正宗の僧侶は一箇条たりとも絶対に破ってはいけないのだ。
 この御遺誡の中に、僧の妻帯と女犯について触れられた条目がある。
 「先師の如く予が化儀も聖僧為る可し、但し時の貫首或は習学の仁に於ては設い一旦のよう*犯有りと雖も衆徒に差置く可き事」
 この条目について総本山第五十九世日亨上人(畑毛の猊下と呼ばれた碩学)は、自著『富士日興上人詳伝』の中で次のように述べられている。
 少々長くなるが、この条目に触れられている箇所の全文を以下に紹介する。
 「この条の見とおしは、凡僧の自分にはつきかぬる。なるべくは、一時的の現今の僧分の弊風とみて、その内自然に振粛して、宗祖開山時代の常態に帰るべきを祈るものである。大聖人は戒の相用を排斥せられたが、全然解放せられた無戒主義でない。五・八・十具の小乗戒を捨て、また十重四十八軽の大乗梵網戒を捨てられたが、無作の本円戒は残されてあり、そのための本門戒壇であり、その戒相の内容は明示せられてないが、小乗・大乗・迹門の戒相によらぬのみであり、それを無作と名づけてみても、けっして放縦不羈なものでない」
 まず日亨上人は、冒頭で「この条の見とおしは、凡僧の自分にはつきかぬる」と述べられている。宗内ことごとく妻帯の様相を呈している今日、にわかに非妻帯の聖僧の出現があるとも思えず、暗澹たる思いで嘆かれたのではあるまいか。
 日亨上人は宗内の現実を直視されたうえで、将来において「宗祖開山時代の常態に帰るべきを祈るものである」と述べられている。裏を返せば、今の宗内の妻帯の状況は「常態」ではない、つまり異常な事態であるということだ。
 「宗祖開山時代」のように、独身の聖僧たちによって日蓮正宗の僧が占められることを「祈るものである」とされている。この日亨上人の「祈る」の言葉に、本宗の未来を思う切実な願いが込められているように思えるのである。
 「開山上人がこの法度に『先師の如く聖僧たるべし』と定められ、先師大聖人が無戒であるが、放埒破戒でないことを、証明せられており、日順・日尊にもまた放埒を誡めた文もあるが、この淑行聖僧というのは、現今の在家同然の僧行を認めたものでない。ややもすれば、多少の反省心より汚行を恥づる有羞僧を見て、かえって身心相応せぬ虚偽漢と罵り、全分の生活まったく在家同然で、心意またこれに相応し、たんに袈裟衣を着てるだけの違いを、かえって偽らざる正直の僧侶と自負する者があるやに聞く。このていの放埒ぶりを標準とせば、この条目はいまは死んでおる。自分はいまの状態は一時の変体と見ておる」
 日亨上人は、御開山日興上人が「先師の如く聖僧たるべし」と述べられていることを強調されている。日蓮大聖人が、無戒でありながら「聖僧」であったことを、弟子の日興上人が証明されていると述べられているのだ。
 日亨上人は妻帯している僧を「在家同然」と決めつけられ、それを否定されている。
 また日蓮正宗の僧侶の中に、妻帯の現実を開き直って現状追認してしまう様子のあることも厳しく批判されている。
 妻帯している僧がその自分の偽りの姿を羞じるのを見て、身と心の一致しない偽りの者と罵る傾向が宗内にあることに、憤りを隠されていない。
 日亨上人は、日興上人の御遺誡の件の条目について、「この条目はいまは死んでおる」と結論され、いまの僧侶の妻帯の状態は「一時の変体」であるとされているのだ。
 「次に『時の貫首或は習学の仁』等の文は、難解である。『貫首』の二字は、明らかであるも『習学の仁』は、一応はとくに学窓に入っておる人で、そのために天台等の談所に遊学しておる人と見るべきで、それが悪縁に引かれて、女犯しても、還俗破門せしめずして衆徒のままとし、学僧としての当然の昇進を止め、また貫主の高位を貶して下位に沈まするということと解釈する外はない。こういうひじょうの事態が、かならず起こるべきとしてその用意に作られた法度では恐くあるまい」
 「一旦のよう*犯」すなわち女犯の罪を犯した者をどうするか。「貫首或は習学の仁」においては、女犯しても還俗破門に処さず、「衆徒」として僧社会の下位に位置させよと述べられている。今でいえば、女犯した法主あるいは優秀な僧についての特例である。
 いずれにしても、日興上人が御遺誡を定められたとき、よもや貫首(猊下)以下の僧ことごとくが妻帯するなどという奇怪なことが、みずからの末流に生ずるなどとは、予想だにされなかっただろう。「一旦のよう*犯」とは、あくまで妻帯していない僧が女犯をした場合の戒めである。もとより僧の妻帯など、論外である。
 ということは、一般的に女犯した僧は、本来であれば還俗破門になって当然と理解される。
 日亨上人はこの条目について、紹介した引用文のように解釈されたうえで、日興上人がこの条目を書かれた背景にある史実にも注目されている。
 「これをまた、その現在の史実に照らしてみるに、重須の後董は日代上人でこの問題にはいる仁でなく、また同山に習学の若徒は見当たらぬ。大石の後董は、日目上人で七十四歳であり、信行具足の聖僧でその憂は全然ない。目師の後を受くべき日道上人も、若徒でなく習学の仁でもない。大学日乗の実児であり、ともに出家した民部日盛は、長く鎌倉遊学で興目両師の器許するところで、あるいはこの仁が目師の跡を継ぐべきであるに、親父の流れを悪しく汲んで女犯の疑いがあったのかも知れぬ。そうでなければ、開山上人の立法があまりにも将来の夢に過ぎぬことになる。
 以上、この御置文を見る方々、願くはこの三様の意図であらんことをねがうのである」
 日蓮正宗の全僧侶は、血族支配の悪弊が顕著になってきている現在、いま一度、妻帯について考えてみる必要がある。
 またなによりも、日興上人の御遺誡を厳守しなければならない。その範があれば、僧俗和合の道はおのずから開かれる。
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