七月一日からの添書による登山の実施を前にして、創価学会員に対する牽制が早くも始まっている。先の宗務支院長会議(四月十九日)の議事内容からも分かるように、添書登山に関する宗門側の実施方針がまだ具体的に決まってもいないのに、末寺の住職のなかには、添書登山を檀徒づくりの道具に使いはじめた者がいるのだ。
茨城の法正院(住職・佐藤融道)もその中の一つである。同寺は「『信徒名簿』作成についてのお知らせ」との書面を創価学会員宛に送っている。信徒としての登録をせよということである。これまで日蓮正宗と創価学会との間で長年築き上げてきた関係を、日蓮正宗側が一方的に断ち切ったことによって生じた事態である。
信徒としての登録などということは、これまでの日蓮正宗と創価学会との関係のうえではありえなかったことだ。それをいまの時期になって、創価学会側の責任者との打ち合わせもなく、創価学会員に信徒として登録せよとの文書を直接郵送してくるのは、檀徒作りの下心があるからにほかならない。
法正院の文書の中に次のような箇所がある。
「なお、登録をなさらない方は所属信徒としての処遇をうけられませんので、登山等の大切な信心活動ができなくなります。ご注意下さい」
添書登山を口実にした檀徒づくりである。
これは、一月六日の全国教師指導会で徹底された、「現に、学会員である者に対して、脱会を勧誘することは固く禁じます」という項目にも逆らうものだ。
日蓮正宗の僧侶たる者は、すべからく外に向かって折伏をすべきである。創価学会の組織を切り崩し、その信徒に支えられて生活の安定を求めようとするのであれば、それは日蓮大聖人の仏法とは無縁のことである。このような恥ずべき行為をおこなっている限りは、創価学会員の信頼を得ることはできない。
末寺の僧の中で、本年に入って創価学会の組織を切り崩そうと考えた人はあまたいるだろう。だが、外に向かっての折伏をした人はいるのだろうか。創価学会員が末寺の僧に従わないのは、僧侶の一部の者がしきりに喧伝しているような「池田教」の虜になっているからではない。
創価学会員の敬愛する池田名誉会長を宗門中枢がないがしろにしていることに反発していることはもちろんだが、一方で、末寺の僧の行躰に感動するべきものがないことも大きな理由の一つである。
添書登山を理由に「信伏随従をせよ」と高圧的に言っても、末寺の僧を尊敬できなければ従うはずがない。それを省みることなく、威圧的な態度に終始するのは、己の信仰心のうつろなることを宣伝しているに等しい。
仙台の妙遍寺(住職・本多遠道)の場合はその典型である。同寺が三月に創価学会員のもとに郵送してきた『急告』という文書の一部を紹介する。添書による登山を口実に、ただ威圧によってのみ信徒を獲得しようとする実に卑しい心がミエミエの内容である。
「〈略〉添書の性格上、寺院が日蓮正宗の信徒として認めた者にかぎり発行するのでありますから、御法主上人を誹謗し、寺院の参詣を拒んでいる現在の創価学会員の信心状態を考えますと七月一日よりの学会員の登山は出来ないということになります。
しかれば七月一日以降、登山・御開扉を受けられたい方々は、寺院に誓約書を提出し信徒名簿に記載し、日蓮正宗の寺院直属信徒とならなければなりませんのでなるべく早く寺院直属信徒の手続きをお取り下さい。
学会幹部の云う『学会と宗門との和解』は現時においては全くあり得ません。御開扉を受けられないということは自称日蓮正宗を名乗る、正信会や顕正会(妙信講)と同じ立場になるということであります。
皆さんも今のままですと、知らず知らずの内に自称『日蓮正宗』となってしまい戒壇の御本尊様との絆を、自ら断ち切る事になってしまいます。
くれぐれも邪宗の徒となって後悔することのないように今一度、書面をお送りいたします。
尚、創価学会の人権を無視したいやがらせや圧力に対して怯えている方々は寺院として社会的立場より皆様をお護り致します。
仮にいやがらせ等を受けた場合、テープ等に録音するなどして証拠として寺院に御持参下さい。
皆様方の純真な信心を道具の如く利用する創価学会首脳に屈することなく、また今迄の信心を無にすることなく、自らの信心を見つめ直し、正しい信仰に目覚められんことをこころより祈るものであります。 住職」
「くれぐれも邪宗の徒となって後悔することのないように」とはどういうことか。悪態以外のなにものでもない。
この本文の後に続く「追伸」も、権威的な言葉に終始している。
「追伸
当文書を受取り拒否された方、又返送された方にあっては、自ら日蓮正宗の信徒たることを拒否したものと見なしその時点で退転として、手続きを取らせていただきます。
尚、当文書が郵送されない方々にあっては、素より当寺に名簿も御座居ませんので、速やかに手続きを、取られんことを、お進めいたします」
退転の「手続き」とはどのような手続きなのだろうか。創価学会員は、退転した者にも懇切丁寧に信心指導をし、題目をあげて再び奮起してくれることを祈る。妙遍寺の本多住職にはそのような慈悲心のかけらもないのだろうか。まるで平左衛門尉の手下の「お代官さま」のような権威的、権力的な言辞である。このような根性で広宣流布を進めることができると思ったら大間違いである。
