第3章 法 脈 濁 乱


 第123号  1991年5月3日

日蓮正宗自由通信同盟

「有師物語聴聞抄佳跡 上」という日蓮正宗の古文書に
日有上人が大石寺を銭20貫で買い戻したと書かれている

 日有上人の時代に大石寺が売られていたことは事実である。だが、その事件の内容は今日では断片的にしかわからない。
 『富士宗学要集第一巻』に「有師物語聴聞抄佳跡 上」が収録されているが、その中に次のような文がある。
 「日有上人の仰ニ云ク天竺ニハ祇園精舎ヲ寺の元とす、唐土にては白馬寺を寺の始とす、吾朝にては難波の四天王寺を初として候、其ノ上釈尊出世の本懐たる末法修行の寺に於ては未だ三国に立ち候はざる処に此の冨士大石寺は上行所伝の題目弘通寺の元にて候、柳袋の彦次郎地頭方より得銭をかけられて候間、此大石が原と申スは上代地頭奥津方より永代を限り十八貫に買得にて候処を、公事迄かけられて候事、末代大切なる子細にて候間此の沙汰を成ぜんが為メニ三人の留主居を定メて候えば如何様の思案候ひけるや、留主居此の寺を捨て除き候間六年まで謗法の処に成リ候間、老僧立帰り高祖聖人の御命を継ぎ奉り候、さ候間一度謗法の処と成り候間、又地頭奥津方より廿貫ニ此の大石を買得申し高祖聖人の御命を継キ(ぎ)たてまつり候と仰セ給ヒ候已上」
 この聞書についての後の総本山第三十一世日因上人は、「恐クハ是南条日住ノ聞書なるべし或ハ亦日有上人ノ御直記なるか」と注をつけられている。すなわち書かれたのは、南条日住か日有上人本人だろうということである。したがって「有師物語聴聞抄佳跡 上」の内容は充分に信用できる。
 大石寺のある「大石が原」はもともと「十八貫」で買ったものであったが、留守居の三人が日有上人の留守の間に売り払ってしまい、「六年」もの長いあいだ、「謗法の処」になってしまっていた。「老僧」すなわち日有上人は大石寺に戻られ、それを「二十貫」で買い戻されたのであった。
 堀日亨上人は「堀上人に富士宗門史を聞く」(『大白蓮華』昭和三十一年十一月号収録)の中で、「大石寺を売ったこと」についての質問に答え、次のように述べられている。
 「ええ賣つたということね。それは日有上人の條目をおいて書いてあるのもですね、大石寺を賣つたという事件は書いてある」
 と日有上人の名前を出して、この文書にもこの事件が記されていることを述べられ、さらに、
 「賣つたから自分が歸つて、三十何貫文を出して、そして又もとに返してしまつた。何でも二十貫文かそこらかで賣つたと書いてある。それはですね、あの時分は何でもないです。中央政府があやふやですね。ですから、あの邊のすべての政治上の関係は鎌倉管領でしよう。それは鎌倉管領なるものはあつてもですね、地方の豪族に左右され、今川の盛んな時分はですね、むしろ、この鎌倉の支配を待たないで、今川家でもつて支配した。その今川家なるものもですね、どつちかというと今川家の主人公が支配しないでですね、下等の代官である興津なんていう家でもつて富士郡あたりのことをしていた」
 と時代背景にまで言及しておられる。
 「日有上人のときは、買つたのは誰だかわからないでしよう」
との質問には、
 「買つたのは誰の名義にしたかわからない」
 と答えられている。その後、次のように続けられている。
 「自分の名義にしたんでしよう。代官の奴が。それがですね、根據のある、ほかの者がやつたのならば、仲々あけ渡ししないんです。あけ渡しは容易じやない。叱りつけたくらいではあけ渡ししない。ですから、寺にいる人がですね、自分の勝手な名義にしたんでしよう。三十貫文で買い戻したということはですね、日有上人の例の聞き書きの中にありますから。これはほかの房州家あたりの聞き書きでなくて、日有上人自身の聞き書きだ。それが聞き書きの上の卷の始めの方にのつている」
 ここに出ている「聞き書き」とは、冒頭に紹介した「有師物語聴聞抄佳跡 上」のことである。したがって日亨上人の述べられている買い戻し金額「三十貫文」は、正しくは「二十貫文」であると思われる。また「下等の代官である興津」と「地頭奥津」とは、「有師物語聴聞抄佳跡 上」に日亨上人が「奥興古書同一ナリ」と注釈を入れられているのでおそらく同一人物である。
 第九世日有上人は江戸時代の第二十六世日寛上人とともに、日蓮正宗の中興の二祖と仰がれている。
 日有上人御登座当時の富士大石寺は、大変に疲弊していた。それは、第四世日道上人の時代に、蓮蔵坊の日郷と地所をめぐって争いが発生したためである。日郷に塔中寺院のいくつかが味方したことが、事態をいっそう複雑なものとした。この本山内の土地争いは七十数年間にわたり、富士門流の中に深刻な対立を生んだのである。
 このために富士大石寺は荒れ寺となってしまっていたが、日有上人は山内の修理、堂塔の修復をし学僧も育てられた。またご自身も東北地方、北陸地方にまで足を運ばれ布教につとめられたということである。(聖教新聞社刊『新版仏教哲学大辞典』参照)
 日有上人の御指南である『有師化儀抄』は、今日にあっても日蓮正宗の重要な規範となっている。
 その日有上人が留守の間に、留守居役たちが富士大石寺を売り払ってしまい、六年もの長きにわたって大石寺は謗法の山と化してしまっていたのだ。帰山された日有上人の驚きはどのようなものであったろうか。
 この史実を見るとき、日蓮正宗の僧に従順であれということばかりをことさらに強調する、いまの日蓮正宗の僧のあり方は明らかにおかしい。従うべきか従わざるべきかは、事の正邪によらなければならない。
 先述したように、第三祖日目上人の次の第四世日道上人の時代に、深刻な土地争いが総本山内で起きたり、第九世日有上人の時代に、いまでいう宗務総監と各部長クラスの高僧が大石寺を丸ごと地頭に売り払ったなどという史実は、日蓮正宗の僧も決して末法濁世の埒外でないことを示している。
 今回の日顕上人らの創価学会つぶしの策動は、この大石寺を売り払った悪僧らにまさるとも劣らない、きわめて悪質なものだ。これを摧かなければ、日蓮大聖人の御慈悲をもって末法の闇を照らしゆくことはできない。僧侶の姑息な思惑を断ち、日蓮大聖人の仏意に従うことが地涌の菩薩の選ぶ道である。
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