第3章 法 脈 濁 乱


 第122号  1991年5月2日

日蓮正宗自由通信同盟

総本山第9世である日有上人の時(室町時代)に
留守居役の3人の高僧が大石寺を売り払ってしまった

 日蓮正宗の僧の多くは、日蓮正宗の歴史を事実に目をそむけてことさらに美化し、作られた宗史の威厳をもって、創価学会員が御法主上人に信伏随従すること、あるいは僧侶たちに従順であることを強調する。
 だが、日蓮正宗の歴史はそれほど立派なものではなかった。実に愚かな法主が出たこともあれば、貪瞋癡の三毒強盛な高僧も出るなど、スッタモンダしながら、やっと今日まで戒壇の大御本尊様を伝えてきたというのが実情である。
 だが仏意仏勅の団体である創価学会が出現し、日蓮大聖人の教えを弘通しようとしたとき、総本山大石寺に集うほとんどの僧たちは積年の垢がこびりつき、とてもではないが、日蓮大聖人の末弟とは言い難い姿となり果てていた。
 いま日蓮正宗の僧の多くは、自分たちの力で戒壇の大御本尊様を今日まで護り抜いてきたと強調する。だが日蓮正宗の歴史をさかのぼると、ほかならぬ日蓮大聖人の大慈悲のままに、戒壇の大御本尊様が無事伝えられてきたことがわかる。
 仏意仏勅である大法弘通の大使命を担った創価学会出現の日まで、御本仏の大慈悲のままに伝えられてきたのだ。七百年という時を超えた仏法の不思議に、身の引き締まるものを感じる。
 さて、日蓮大聖人の仏法を命がけで護らなければならない日蓮正宗の僧たちが、今日までどのように無慚無愧なことをしてきたか。
 その史実を知ることは、いまの日蓮正宗の日顕上人に連なる僧たちの狂いを理解するのに恰好の材料である。それとともに、日蓮大聖人の仏法を弘通する地涌の菩薩の集まりである創価学会が、なぜ日蓮正宗の中枢から弾圧されるのかが納得できる。
 本来、聖僧でなければならない日蓮正宗の僧たちも、末法濁悪の世のままに、悪比丘の姿を現ずるときもあるのだ。
 日蓮正宗の歴史において、悪僧は数多く出現しているが、そのはなはだしい事例は大石寺を丸ごと売ってしまった高僧たちがいたことだ。
 日興上人のしたためられた「富士一跡門徒存知の事」には、次のように記されている。
 「日興が云く、此の御筆の御本尊は是れ一閻浮提に未だ流布せず正像末に未だ弘通せざる本尊なり、然れば則ち日興門徒の所持の輩に於ては左右無く子孫にも譲り弟子等にも付嘱すべからず、同一所に安置し奉り六人一同に守護し奉る可し、是れ偏に広宣流布の時・本化国主御尋有らん期まで深く敬重し奉る可し」
 ところが日興上人が亡くなられておよそ百年後、総本山第九世・日有上人の時代に大石寺は売られてしまったことがあるのだ。総本山第五十九世・堀日亨上人は、『大白蓮華』(昭和三十一年十一月号)の「堀上人に富士宗門史を聞く」の中でインタビューに答え次のように語っておられる。
 「しよつ中、日有上人は全國を行脚してござつたんだから、寺には相當の代官がおいてあつた。その名前がですね、五、六人のつているんですが、一人も過去帳なんかにのつている人はないです。(中略)
 慶舜という人と日有上人が懇意で、ときどき行かれたらしいです。
 慶舜に會うたびに、日有上人は、大石寺の跡のことを次のように話されたという。つまり三人の代官をおいた、しかるに、三人の代官がグルになつて、大石寺を賣つちまつたということが書いてある。それで日有上人が歸つて、三人を追拂つて、そして、ほかの代官をおいたなんていうことが書いてある。その三人、四人という人がですね、相當の身分の人ですつて、みな阿闍梨號をもつていますからね。あの時分の阿闍梨號をもつているのは、相當の者でなくちや阿闍梨號はつけないです」
 日有上人に留守を頼まれていた三人の高僧が、こともあろうに大石寺を売ってしまったのである。ここにおいて日興上人の「富士一跡門徒存知の事」は、日有上人の高僧たちによって踏みにじられたのだ。
 日興上人は断腸の思いで身延を離山され、大石寺を開創されたが、末弟たちが欲得にかられその大石寺を売ってしまうなどということを予想されただろうか。日蓮正宗の僧侶の中にも、とんでもないならず者が実在していたのだ。
 日有上人は、『日蓮正宗富士年表』(日蓮正宗富士学林発行)によれば、一四一九(応永二十六)年に猊座につかれたということである。室町時代のことであった。
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