第3章 法 脈 濁 乱


 第101号     1991年4月11日

先師の訓諭、説法、御本尊の裏書き、ことごとくを否定し
己の僻見にあくまでこだわる日顕上人の比類なき妄執

 前号にひきつづき、四月六日の虫払法要における日顕上人の御書講の説法を吟味する。
 前号に掲載した説法の後、日顕上人は次のように述べた。
 「(5)総じて正本堂が、現在において三大秘法抄の御遺命の戒壇そのものであると断定することが間違いならば、未来においてそれが確実に御遺命の戒壇となると言いきることもまた早計であります。
 (6)先師日達上人もしばしば仰せでありましたが、未来のことは未定であるから、その確定を云々することは不毛の論だということなのです。
 (7)そうなりうるという可能性を論ずるならば、それは未定の範囲に属するものであります。
 (8)要するに御仏智による三大秘法抄の戒壇の文意について、いまだその時に至らないにもかかわらず、ただちにこれなりと断定しきったことは、我見、私見であり、誤りでありますから、これについて責任者はみずからはっきり訂正すべきであります。
 (9)私がこう申すのもひとえに仏智、仏勅の御金言を重んじ奉るからであります」
 日顕上人は(5)において、大変な欺瞞をおこなっている。
 「正本堂が、現在において三大秘法抄の御遺命の戒壇そのものであると断定することが間違いならば」という前提に立って、その後の論を展開している。だがこの前提それ自体がおかしなことなのだ。
 日達上人は、「正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」と昭和四十七年四月二十八日の『訓諭』において明言され、しかもこのことを明言するのは「後代の誠証となす」ためであるとされている。
 日顕上人の(5)における前提は、いまだ広宣流布の時が来たっていないが故に、「三大秘法抄の御遺命の戒壇そのものであると断定することが間違い」であるという現状認識から、正本堂について日達上人が未来に向けて確約されたことまで否定している。それは明らかな強弁であり、正本堂建設の歴史的経過を一切無視したものであり、八百万信徒の浄い心を踏みにじるものである。
 いまは断定できないから、未来において「御遺命の戒壇となると言いきることもまた早計」と結論しているが、正本堂を将来、御遺命の戒壇とするという前提で、正本堂の建設、御供養の一切がおこなわれたのだ。それを池田名誉会長を慢心と決めつけたいばかりに、正本堂の意義づけまで変えようとしている。日顕上人は妬みと瞋恚のために、道理すらも見失ってしまった。
 (6)において日顕上人の述べていることは、みずからの根拠なしの妄論に日達上人の名を利用しようとしているにすぎない。日達上人は、正本堂の未来にわたる意義づけを、正本堂建設の前、中、後において何度となくされている。日達上人の片言隻句を己の恣意的な論に利用してはならない。
 また(7)は、日顕上人の教学部長当時の次の記述とも相違する。
 日顕上人は、昭和四十九年十二月の『戒壇論』の再刊後記に、日達上人の講演を解釈して次のように記している。
 「ここに猊下は、きわめて慎重な表現をとられつつも、御遺命の富士山本門寺と改称すべき時と、条件の大綱を、示され給うたのである。この時、現在の正本堂が、本門寺本堂となるであろうことは、昭和四十七年四月二十八日の訓諭と合せ拝するとき、まことに明らかであろう。御遺命の戒壇建立は、この時実現をみるというべきである」
 さらに、
 「猊下の御境地を測(はか)ることは、恐れ多いことであるが、なぜ現時において、広宣流布の暁に本門寺本堂となるべき正本堂を、前もって建立遊ばされることを決定されたかと思うに、一つは日蓮正宗の信徒が、一時に千数百万に達したことによると思われる」
 また次のようにも記している。
 「現時のごとく、正法が俄(にわ)かに興隆して多くの民衆が妙法の功徳に霑(うるお)うとき、まず本門寺の戒壇たるべき建物を建立し、次にまた更に広布が充実し、進展したとき、本門寺の戒壇たる意義名称が確定するという経過があっても御金言において一向に差支(さしつか)えないのである」
 日顕上人のかつて述べたことと今述べていることは明らかな自語相違である。これが同じ人の言葉とはとても思えない。この変節ぶりは、龍年光、福島源次郎などにも共通するものがある。まさに同類である。
 前号で述べたように日顕上人は、日達上人の正本堂に関する御指南をその場しのぎの「慰撫教導」と批判したが、日顕上人ほど「恣意的弁」を展開した人はいない。
 現在述べているような論を強弁して通そうというのであれば、この教学部長当時の記述を日顕上人は訂正しなければならない。もしかりにその場しのぎのことを言ったというのであれば、本宗の根幹たる三大秘法についての発言であるだけに、通りいっぺんの謝罪ではすまないことになる。
 (7)の日顕上人の論に至っては、言葉をもてあそんでいるにすぎない。日蓮大聖人の御遺命を達成しようという熱情の片鱗すら感じられない。
 (8)の日顕上人の弁は、「責任者」の責を問うているのだが、創価学会側は、日達上人の御指南に基づき赤誠の限りをつくし御供養をなしてきたのである。「責任者」の責を問うとは、究極的にいずれの人を指しているのだろうか。
 まして日顕上人が一切の歴史的な経過を無視し、正本堂の意義づけを変えるというのであれば、宗内の信徒に納得のいく説明をし、この一大変更を謝罪すべきだろう。
 それでは、ひきつづき御書講での日顕上人の説法を紹介する。
 「(10)ゆえに昭和四十九年九月のはじめ、池田大作氏より正本堂がまさしく三大秘法抄の御遺命の戒壇であることを証明する旨を、建立願主の立場をかさにきた非常識な願い出があったとき、先師日達上人は、仏法の本義に照らしその言い分をそのまま容れることは誤りである故に大変に苦慮あそばされました。しかし、慰撫教導のうえからやむを得ず、一連の文中に『準』の字をお入れになり、もって池田氏等の執着心に対するとともに、厳正なる大聖人の仏法上のけじめをその『準』、すなわちなぞらえてその意義をもって示されたのであります。
 これが日達上人の最後判の御決定であります。もし正本堂が三大秘法抄の戒壇そのものにあたるならば、その文中に『準』の字をお入れになるはずはありません。
 そこに池田氏の御遺命に対する私的見解、すなわち宗祖大聖人の大仏法の本義を私の見をもって断ぜんとする意図は本源的にさえぎられたのであります」
 日顕上人の発言はいったいどういうことを言っているのだろうか。要約すると次のようなことになる。
 日達上人は、池田名誉会長から「建立願主の立場をかさにきた非常識な願い出」があったから、「やむを得ず」賞与御本尊に裏書きした。ただし意に添わないことを書いたので、『準』の字を入れた。
 だが、強請があったからといって、心に反してまで御本尊に裏書きするなどということが許されるはずがない。これでは日達上人の御立場もなにもあったものではない。先師に対するこれ以上の誹謗、中傷もない。
 また「準」という字の意味を「なぞらえる」としているが、「準」の第一義は「のっとる」である。わざわざ偏狭の意を持ち出し、自己の牽強付会の論を正当化することはあるまい。もとより正本堂の意義は、昭和四十七年四月二十八日の『訓諭』において明々白々なのである。
 いまの日蓮正宗の僧侶は、特殊な閉鎖社会の論理と感情をもって、日顕上人の弁に同調しているが、いま一度、冷静になるべきである。
 この日顕上人の論が時の風化に耐え得るものでないことは、誰の眼にも明らかである。
 「(11)本宗信徒一同は、本仏日蓮大聖人の仏子として、正本堂の世界に冠たるすばらしい建物を仰ぎつつ、そのしかるに至った広布の相よりして、日達上人の仰せの如く三大秘法抄の意義を含む大功徳が存すること、かつ本門戒壇の大御本尊ましますがゆえに現時における本門事の戒壇であり、一切衆生即身成仏の大堂として常に参詣し懺悔滅罪すべきであります。
 (12)さらに昭和の時代における創価学会初代会長牧口先生、二代会長戸田先生の正しい仏法守護の行業と折伏の功徳を讃しつつも、その後の三宝護持、正法流布の相が現指導層の逸脱により歪曲し、過去の功徳が次第に消滅するおそれあることを憂慮するものであります。
 その責任者は、大いに本門大戒の戒めの精神を範として自戒すべきであります。故に、正宗の正しい僧俗は、あくまで下種三宝の中心根幹たる総本山血脈伝授の法体による僧俗の真の和合を願い、異体同心に御遺命の達成、事の広宣流布へ向かってゆるぎない前進をすべきであります」(筆者注 日顕は正本堂を解体した今日になって、(11)の発言につき、どのように弁明するのであろうか。日顕は“狂”のままに「世界に冠たるすばらしい建物」を瓦礫に帰してしまったのだ)
 (12)はまさしく僣聖増上慢の弁そのものである。内容はさしたるものはない。己が高座に登るにふさわしい法主の威厳を持った者であることを演出せんがための言である。口では仏教用語を駆使しているが、心の内で渦巻いているのは池田名誉会長憎しの思いであり、創価学会解体の欲望である。憤怒の思いを懸命に糊塗しようとするありさまがうかがえる。
 御本仏日蓮大聖人が広宣流布の途上において必ず競い起こると予言された三類の強敵のうちで最も手強い僣聖増上慢が、尊極無上の姿を装って御影堂の高座に顕れたのである。もし僣聖増上慢が競わないようならば、創価学会の戦いもいまだに日蓮大聖人の御期待のほどではなかったということになる。
 いよいよもって広宣流布の事相は成熟しつつある。釈迦が三千年の時を超えて予言した地涌の菩薩の大難は、いまここに競い起こっている。しかも、日蓮大聖人の御遺命もわれらの眼前において現実のものになろうとしている。この時に生まれ合わせたことを無上の喜びとしたい。
 最後に日蓮大聖人の三類の強敵の第三類、僣聖増上慢についての御聖訓を拝する。
 「『或は阿練若に有り納衣にして空閑に在つて乃至白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるることを為ること六通の羅漢の如くならん』等云云、六巻の般泥おん*経に云く『羅漢に似たる一闡提有つて悪業を行じ一闡提に似たる阿羅漢あつて慈心を作さん、羅漢に似たる一闡提有りとは是諸の衆生の方等を誹謗するなり一闡提に似たる阿羅漢とは声聞を毀呰して広く方等を説き衆生に語つて言く我汝等と倶に是れ菩薩なり所以は何ん一切皆如来の法有るが故に然かも彼の衆生は一闡提と謂わん』等云云、涅槃経に云く『我れ涅槃の後・像法の中に当に比丘有るべし持律に似像して少かに経典を読誦し飲食を貪嗜して其の身を長養せん袈裟を服ると雖も猶猟師の細視徐行するが如く猫の鼠を伺うが如し、常に是の言を唱えん我羅漢を得たりと外には賢善を現し内には貪嫉を懐く唖法を受けたる婆羅門等の如く実には沙門に非ずして沙門の像を現じ邪見熾盛にして正法を誹謗せん』等云云、妙楽云く『第三最も甚し後後の者転識り難きを以つての故に』等云云、東春云く『第三に或有阿練若より下の三偈は即是出家の処に一切の悪人を摂す』等云云、東春に『即是出家の処に一切の悪人を摂する』等とは当世・日本国には何れの処ぞや」(開目抄)
【通解】法華経にいわく「あるいは人里離れた閑静な場所に衣をまとい、静かな所で真の仏道をしていると思い、世事にあくせくする人間を軽賤する者があるであろう。私利私欲を得る目的で在家のために法を説いて、その結果、形の上では六通の羅漢のように尊敬されるであろう」。六巻の般泥おん*経にいわく「形ばかりが羅漢に似ている一闡提があって悪業を行じ、外面は一闡提に似ている阿羅漢があって慈悲心をもって衆生を救うであろう。羅漢に似た一闡提とは、このもろもろの衆生の大乗を誹謗するものである。一闡提に似た阿羅漢とは、声聞をだめだと破って広く大乗を説き、衆生に対して次のように語る。即ち、自分は汝らと共に菩薩である。なぜならば一切衆生はみな如来の法性があるからであると。しかも彼の衆生は、その阿羅漢を一闡提というであろう」と。
 涅槃経にいわく「仏が入滅ののち、正法時代を過ぎて、像法の中において出家の比丘があり、戒律を持つに似て、わずかばかり経文を読誦し、飲食をむさぼり、その身を長養している。袈裟を着ているとはいえ、布施をねらうさまは猟師が獲物を狙って細目に見ながら、静かに近づいていくがごとく、猫が鼠を狙っているようなものである。しかも常に自分は阿羅漢果を得たと言っているだろう。外には賢善の姿をあらわし、内心にはむさぼり、妬みをいだき、法門のことについては、唖法の修行を積んだ婆羅門尊者のごとく黙りこくっている。実際には出家の仏弟子ではないのに、僧侶の姿をして邪見が強盛で正法を誹謗するであろう」と。
 妙楽大師は「第三の僣聖増上慢がもっとも甚だしい害毒を流す。俗衆増上慢よりも道門増上慢、道門増上慢よりも僣聖増上慢の害毒が甚だしいのだが、のちのちの者は、この僣聖増上慢が法華の怨敵であり、大謗法であり、彼らが正しい仏法を知っていないということを知りがたいからである」と言っている。また妙楽の弟子・智度法師は東春に「第三にあるいは阿練若に在りより下の三偈は、すなわち僣聖増上慢という出家の僧侶に一切の悪人が含まれている、つまり僣聖増上慢が一切の悪の代表である」と述べている。この東春への「出家の僧侶に一切の悪人が含まれている」という言葉は、現在の日本国ではどこなのか。
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