前号につづいて、日顕上人の御書講での説法に、はなはだしい我田引水があるので、これを後世にとどめるため、ここにその一部を紹介するとともに、その矛盾をつき、宗門の人々に、猊下が述べたことの正邪を問うものである。
まず、日顕上人の説法を紹介する前に、昭和四十年二月十六日の第一回正本堂建設委員会における日達上人の御指南を拝したい。
「いよいよ、きょうこの委員会が開かれるにあたって、初めて私の考えを申し上げておきたいのであります。
大聖人より日興上人への二箇の相承に『国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり』とおおせでありますが、これはその根源において、戒壇建立が目的であることを示されたもので、広宣流布達成のための偉大なるご遺訓であります。(中略)
大御本尊のおわします堂が、そのまま戒壇であります。したがって、大本門寺建立の戒も、戒壇の御本尊は特別な戒壇堂ではなく、本堂にご安置申し上げるべきであります。それゆえ、百六箇抄には『三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり』と大聖人のお言葉が、はっきりご相伝あそばされております。
また同じ百六箇抄の付文に『日興嫡嫡(ちゃくちゃく)相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為す可きなり』と、こう明らかにされておるのでございます。
したがって、その曼荼羅を現在では大石寺の本堂にご安置することが、もっともふさわしいと思うのであります。戒壇の大御本尊は大聖人ご在世当時、また日興上人がいらした当時、身延山で本堂に安置されていたものであります。(中略)今日では、戒壇の御本尊を正本堂に安置申し上げ、これを参拝することが正しいことになります。
ただし末法の今日、まだ謗法の人が多いので、広宣流布の暁をもって公開申し上げるのであります。ゆえに正本堂とはいっても、おしまいしてある意義から、御開扉等の仕方はいままでと同じであります。したがって形式のうえからいっても、正本堂の中でも須弥壇は、蔵の中に安置申し上げる形になると思うのでございます(後略)」
さらに、昭和四十年九月十二日の日達上人の『訓諭』を受けての『院達』には、
「このこと(正本堂建立)は、大聖人の御遺命にしてまた我々門下最大の願業である戒壇建立の弥々事実の上に於て成就されることなのであります」
と明記している。
これらの日達上人の御指南、日蓮正宗宗務院の院達を拝したとき、正本堂は日蓮大聖人御遺命の戒壇でないなどと思う人がいるだろうか。正本堂はまさしく広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき殿堂である。
その後、日達上人は折にふれて同趣旨の話をしている(『聖教新聞』四月一日より八日に掲載の「猊下の『正本堂ご回答』を拝して」に詳しい)。この日達上人の正本堂の意義づけに感動して、創価学会員をはじめとする日蓮正宗信徒は、仏教史上に特筆される一大御供養をなしたのであった。
正本堂寄進にあたり、信徒が御供養をなすために味わった苦労は筆舌に尽くしがたいものがある。しかしそれも、日達上人の、正本堂についての先述したような御指南があったればこそ、喜んで忍ぶことができたのである。
正本堂完成の年の昭和四十七年四月二十八日、日達上人は『訓諭』をもって正本堂の意義を述べられている。それも「後代の誠証」となす、とまで念を押してである。
「日達、この時に当って正本堂の意義につき宗の内外にこれを闡明(せんめい)し、もって後代の誠証(じょうしょう)となす。
正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。
即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。但し、現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり。
然れども八百万信徒の護惜(ごしゃく)建立は、未来において更に広布への展開を促進し、正本堂はまさにその達成の実現を象徴するものと云うべし」(一部抜粋)
日達上人の御真意を拝するに、正本堂が、一期弘法付嘱書や三大秘法抄に書かれた、広宣流布の暁に本門寺の戒壇となるべき大殿堂であることは明々白々である。
ところがいま日顕上人は、八百万人の信徒の真心の結晶ともいえる正本堂の意義すら変えようとしている。その理由はただ一つ、池田名誉会長を嫉み恨んでいるが故に、日蓮大聖人御遺命の、広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき建物の発願者を池田名誉会長にしたくない、大功労者として末法万年に名をとどめられたくないということだ。
男の嫉妬である。それを仏教用語を並べて正当化しようとしているにすぎない。だからこそ、「C作戦」実行にあたって、唐突に正本堂の意義を変えようとしているのである。創価学会解体、池田名誉会長破門を正当化したいのだ。
さて、そこで日達上人の正本堂の意義づけを前提に、日顕上人の弁を検証したい。
日顕上人は、虫払法要の御書講における結論部分で次のように述べている。
以下、(1)から(12)までは日顕上人の弁。断るまでもないが、番号は筆者が便宜上つけたものである。ただし今号は(1)〜(4)までとし、(5)以下は次号で言及する。
「(1)(広宣流布は)仏の真実無上の本門による防非止悪の戒めが、現実の事相として社会指導層を含む一切に及んだときを示されることが明らかであります。すなわち、事の戒法とは、かかる多くの現実相を伴う戒壇建立の大業をふむことであります。
(2)しかるに、広布を推進した信徒中の一部の指導者が、いまだ三大秘法抄の御指南の事相に到達しないにもかかわらず、分々の広布相をもって広布の実証とし、御遺命の戒壇としての建物を立てたことを執着することは、仏法の道理から見て、深く反省するべきでありましょう。
(3)みずからの業績・功徳を、かくあらしめたいという願望は、人情としてあるいは当然ではあっても、仏智に対するときは、所詮、機情の見に過ぎないものであります。
(4)時いまだ至らざるに御遺命の戒壇を前もって建てておくという考えは、願望としては許されるでありましょうが、しょせんそれは機情の見であり、その機情の見に応じて御指南が先師にあったとしても、それは当分の慰撫教導の御心によるのであります。真義は、厳然たる御本仏大聖人の金文をもって決すべきであります」
日顕上人の述べている(1)の部分は、御法主上人の立場として、いまだ広宣流布成就の段階にないとの判断だが、ここでは異論を展開することを避ける。
だが、(2)は俎上にのせたい。というのも、これは日達上人の御指南を全否定するものだからだ。そればかりか、正本堂は実質的な御遺命の戒壇建立であるとの日達上人の御指南を、深く心に刻み御供養した八百万信徒の真心をも踏みにじるものだからだ。
それは、「信徒中の一部の指導者」が名誉欲に「執着」するといった次元のことではなく、このとき御指南のままに御供養をした者、全員のこだわりなのである。それは「執着」ではなく「道理」である。
四百億円になんなんとする御供養を、広宣流布の暁に御遺命の戒壇になるべき正本堂建設の目的で集めておきながら、いまさらそれは違うなどということがまかりとおるほど世の中は転倒していない。日顕上人はなにを根拠に、「仏法の道理から見て、深く反省するべきでありましょう」などというのだろうか。
法主なのだから、前言をひるがえそうと、信徒の真心を踏みにじろうと自由だなどと考えているのならとんでもない心得違いである。一人ひとりの信徒が、どのような思いで御供養をなしたかを考えれば、自分の言っていることが、いかに無慈悲なことであるかぐらいは簡単に気づきそうなものだ。
もはや日顕上人の心は狂いに狂い、「芋一駄」にも真心の御礼を言われた日蓮大聖人の御慈悲とはまったく相反するものになってしまっている。このような日顕上人の理不尽な言動が、法主の立場にある者の言であるということだけで正義だというのなら、法主は悪虐なる者の代名詞となってしまう。
事の道理や是非を別にして、生殺与奪の権を一切握るのが法主であるというのでは、全能の神として君臨するキリスト教のエホバの神も、あまりの暴虐の故に舌を巻き退散してしまうだろう。日顕上人は、残虐非道で気ままな側面をもつエホバの神よりも、暴虐性においては超越している。この下等なる暴虐の者に随順することが、日蓮大聖人の説かれる「信」になるとでもいうのだろうか。信ずることは人間性を喪失することではない。
日顕上人は(3)において、「信徒の一部の指導者」が「業績」を自分のものにしたいがために、正本堂が御遺命の戒壇であることにこだわっていると述べている。だが、それは違う。
日顕上人が事実を歪曲して、名誉会長を慢心と決めつけるので、創価学会側は、単に歴史的な経緯を問題にしているのだ。なにも正本堂建設を手柄にしたいなどという人情的なレベルでこだわっているのではない。日顕上人の事実歪曲を糾しているにすぎないのだ。
また、「仏智に対するときは所詮機情の見に過ぎない」(筆者注 「機情」とは、教えを受ける側を意味する)とも述べているが、問題なのは日顕上人が一切の経過を無視して己の“貪瞋癡”の三毒に粉動されて、正本堂の意義づけを変えていることなのである。「仏智」などという言葉をもてあそんで、己の珍奇な論を粉飾することはない。
そもそも日顕上人の理不尽な論が、「仏智」とは相反する、僣聖増上慢の「狂」の世界に由来するものであることは、賢明なる地涌の菩薩のよく知るところである。いかに粉飾しようとも、広宣流布の道を閉ざす破仏法の論は、その本質を隠しおおせるものではない。
とりわけ(4)における日顕上人の弁は、人をバカにするにもほどがある。
正本堂が先行き御遺命の戒壇になるとの趣旨をもって、莫大な御供養を募ったのである。まして日達上人は『訓諭』において、「即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」と述べられている。
それを日顕上人は、「機情の見」に対する「慰撫教導」であったとする。筆者は凡愚にして、これらの言葉の深甚の意をつかみかねるが、どうやら、日達上人の表明されていたことは真意ではなかったという意味らしい。
先ほどの「仏智」と同様、「御本仏大聖人の金文をもって決すべき」と述べているが、己の理不尽な弁を粉飾する以外、いったいどんな意味があるのだろうか。それとも当時の日達上人の御指南は、「御本仏大聖人の金文」に反するとでもいいたいのだろうか。三大秘法に関する日達上人の御指南を「機情の見」への「慰撫教導」と断定し、その場しのぎだったとする日顕上人の変幻は、まさに「異常の変」としかいいようがない。
日蓮大聖人曰く。
「此の大妄語は提婆の欺誑罪にも過ぎ瞿伽利の誑言にも超ゆ」(曾谷入道等許御書)
