四月六日、七日と総本山大石寺において「御霊宝虫払大法会」がおこなわれた。
六日は午後一時半から正本堂での御開扉、本門戒壇大御本尊御煤払いの儀などがおこなわれ、午後六時半からは御影堂において日顕上人の読経・唱題、御書講がおこなわれた。この後ひきつづき、午後七時半からは布教講演会が開催された。ただし恒例の「御練り」は雨を理由に中止された。
明けて七日は午前七時から、勤行衆会、御開山日興上人御講が御影堂でおこなわれ、午前九時過ぎから大客殿において御霊宝虫払いの儀、午前十一時前から御真翰巻返しの儀が営まれた。
日顕上人の説法は二度おこなわれた。一回目は四月六日の午後六時半よりの御影堂における御書講。これはおよそ三十分ほどだった。二回目は四月七日の御真翰巻返しの前に、およそ十分ほどの短いもの。内容は相も変わらず、正本堂に関する自説をくり返すだけであった。
すでに日顕上人の正本堂に関する説は、その根幹から崩れている。その詳細は、四月一日より八日まで『聖教新聞』に掲載された「猊下の『正本堂ご回答』を拝して」と題する大論によって明々白々となったとおりである。
この日顕上人の正本堂についての説は、事実と道理をもってすでに破れているもので、この説にいつまでも拘泥することは妄執のそしりをまぬかれない。
日顕上人の正本堂に関する自説は、平易な表現をすれば次のようなものであった。
日達上人が正本堂の意義づけについて話す前に、池田会長(当時)が「一番の元」となって正本堂の意義づけを断定して話した。池田会長が最初に話したのは、昭和四十三年十月の正本堂着工大法要の際で、これ以前には日達上人は一切このようなことは言っていなかった。にもかかわらず、三大秘法という重大事について、信徒でありながら「一番の元」となって話した。これは慢心である。さらに日達上人は、本心では正本堂が広宣流布の暁において日蓮大聖人の御遺命の本門寺の戒壇になることは確定されていないし、『訓諭』(昭和四十七年四月二十八日)においても同様になんら断定されていない……。
この日顕上人の自説は、池田名誉会長が正本堂の意義について「一番の元」となって話したとする昭和四十三年十月以前に、日達上人がすでに何度か御指南されていた事実があったことによって破綻した。
代表的な例としては、昭和四十年二月十六日の第一回正本堂建設委員会における、日達上人の次のような御指南がある。
「いよいよ、きょうこの委員会が開かれるにあたって、初めて私の考えを申し上げておきたいのであります。
大聖人より日興上人への二箇の相承に『国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり』とおおせでありますが、これはその根源において、戒壇建立が目的であることを示されたもので、広宣流布達成のための偉大なるご遺訓であります。
これについて一般の見解では、本門寺のなかに戒壇堂を設けることであると思っているが、これは間違いであります。
堂宇(どうう)のなかのひとつに戒壇堂を設けるとか、あるいは大きな寺院のなかのひとつに戒壇堂を設けるというのは、小乗教等の戒律です。
小乗や迹門の戒壇では、そうでありましたが、末法の戒律は題目の信仰が、すなわち戒を受持することであります。よって大御本尊のおわします堂が、そのまま戒壇であります。したがって、大本門寺建立の戒も、戒壇の御本尊は特別な戒壇堂ではなく、本堂にご安置申し上げるべきであります。それゆえ、百六箇抄には『三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり』と大聖人のお言葉が、はっきりご相伝あそばされております。
また同じ百六箇抄の付文に『日興嫡嫡(ちゃくちゃく)相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為す可きなり』と、こう明らかにされておるのでございます。
したがって、その曼荼羅を現在では大石寺の本堂にご安置することが、もっともふさわしいと思うのであります。戒壇の大御本尊は大聖人ご在世当時、また日興上人がいらした当時、身延山で本堂に安置されていたものであります。
また当時は大聖人のおいでになるところが本堂であり、ご入滅後は御本尊のおわしますところが本堂となってきたものであります。そして本堂で御本尊に信者が参拝したのであり、大聖人ご在世当時、身延へ参拝しにきたのは、信者だけですから、だれでも直接に御本尊を拝めたのです。したがって今日では、戒壇の御本尊を正本堂に安置申し上げ、これを参拝することが正しいことになります。
ただし末法の今日、まだ謗法の人が多いので、広宣流布の暁をもって公開申し上げるのであります。ゆえに正本堂とはいっても、おしまいしてある意義から、御開扉等の仕方はいままでと同じであります。したがって形式のうえからいっても、正本堂の中でも須弥壇は、蔵の中に安置申し上げる形になると思うのでございます。(後略)」
同趣旨の発言や記述は、日達上人をはじめ宗内の主なものでも、昭和四十三年十月以前になんと二十五回もあったことが創価学会側によって指摘された。日顕上人のいう「池田名誉会長が『一番の元』となって」という説は、日顕上人の事実誤認に基づくものであった。
あまりにもひどい事実誤認に、一部僧侶からの指摘もあって、日顕上人はまずいと思ったのか、「一番の元」という表現を「(その)ような経過の中で大事なこと」と『大日蓮』(二月号)で「訂正」した。なお『大日蓮』では「訂正」となっているが、正確には日顕上人が前言をひるがえしたものだ。その『大日蓮』の「訂正」をとらえて創価学会側がするどく切り込んだのである。
日顕上人は、日達上人の話す前に「一番の元」となって池田会長が話したので慢心であると述べた。しかし、池田会長の前に日達上人が御指南されていたことがわかったのだから、その時点で、池田名誉会長を慢心と決めつける結論は撤回されてしかるべきである。
日顕上人は、間違いを間違いと認める素直な気持ちと勇気を失っている。だがそれだけではない。持論をゆずりたくないばかりに、日達上人が昭和四十七年四月二十八日に出された『訓諭』まで曲解しはじめた。
これこそまさに「慢心」である。それも拙劣な文法解釈によって日達上人の論旨明快な『訓諭』をネジ曲げようというのだから、狂気の沙汰である。
次に日顕上人がネジ曲げようとしている、日達上人の正本堂に関する『訓諭』を紹介する。
「日達、この時に当って正本堂の意義につき宗の内外にこれを闡明(せんめい)し、もって後代の誠証(じょうしょう)となす。
正本堂は一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。
即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。但し、現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり。
然れども八百万信徒の護惜(ごしゃく)建立は、未来において更に広布への展開を促進し、正本堂はまさにその達成の実現を象徴するものと云うべし」(一部抜粋)
日顕上人は、この『訓諭』に使われている「本門寺の戒壇たるべき」の「べき」は推量であるから確定ではないとしている。
日顕上人は「べき」について、『日本国語大辞典』に「べし」が「推量の助動詞」と記述されていることをもって、「予定は未定にして確定にあらず、しばしば変更することあり」「一往、そうは思っても、将来において変わる場合もある」としている。
だがこれについては、当代の古文の権威が完全に否定している。四月四日付の『聖教新聞』に中田祝夫・筑波大学名誉教授、阪倉篤義・京都大学名誉教授が談話を寄せて、日顕上人の文法解釈を否定している。
中田名誉教授は、「戒壇たるべき」の「べき」について、
「『暁に……べき』の対照呼応を解釈の上で見のがさないこと。しかし、将来といっても不定、不確実のことではなく、確定していることは、劈頭の一文からの続き具合と、『即ち』の語で確定していると見られる。確定している将来形の表現である」
と明確に指摘。
また「正本堂はまさに……ものと云うべし」についても、
「この場合の『べし』も推量形ではあるが、『まさに』の語で『達成の実現を象徴』していることは確定視されていると取意されるべきである」
とまで述べている。さらに、日顕上人の主張するような、
「『べし』を『放任自在な軽い推量』『自由かつ不確実を表す』という説き方をした辞書は一つもなし」
とも付言している。
そして『訓諭』全体の解釈についても、「創価学会の論駁は正当である」と結論づけているのである。中田名誉教授は、日顕上人の古文法に関する基本的な間違いを諭し、
「日顕法主の再反論において、『べし』に関して『日本国語大辞典』等を紹介し、『その微細な表現や意味は、諸説粉々としています』と述べておられるのは、誤解されているやに感じられる」
「『たるべき』を未来の事として、不確定未定放任と取意されるという論を主張されるのは結構なれど、そうした用法の文を用例として示す必要がある。そうした用法の文は日本文にはなしと思う」
と述べている。日顕上人の論は、事例のない珍論・奇論だということになる。
いうなれば日顕上人は、古文法に反したメチャクチャな主張をもって、日達上人の『訓諭』をネジ曲げているのだ。これは日達上人の徳に傷をつけるものであり、師敵対である。
さて、もう一人の阪倉名誉教授は、どのような判断をしたか。日顕上人は『日本国語大辞典』を根拠に、「べき」「べし」を「推量の助動詞」としているが、阪倉名誉教授はこの『日本国語大辞典』の編集委員である。同名誉教授は日顕上人の主張について、
「『べし』の意味が正しく理解されていないと思われる」
と文法上の間違いを結論し、創価学会側の主張は、
「上述した『べし』の基本的意味、文脈から考えても妥当な主張といえる」
としている。
また二箇相承についての日顕上人の主張も、
「しかしながら、これら二つの『べし』を『命令』の用法と解することは甚だ困難であるといえよう」
と日顕上人の誤りを明言している。
日顕上人は古文法をも無視していったいなにをしたいのだろうか。ひとえに池田名誉会長を傷つけたいのだ。慢心であると断定したいのだ。
そればかりか、人にも自分のその思いを納得してもらうために、正本堂について、愚にもつかない論を展開しはじめたのである。日顕上人の心底にあるのは、池田名誉会長に対する妬みと憤りだけである。理屈は、その情念を隠す手だてとして後からつけられたにすぎない。
事実の誤認は明らかになり、そのうえ文意の解釈でも文法上の過ちをなし、日顕上人の正本堂に関する持論は、ズタズタに破られてしまった。
それでもこの四月六日、七日の虫払法要の説法において、正本堂に関する持論を以前と同様に展開しているのである。道理が道理として耳に入らない、我慢偏執の最たるものである。
日蓮大聖人の仏法が七百年を経て、今もその光彩を世界に輝かせているのは、御本仏の大慈大悲のしからしむところである。同時に、大聖人の御書の一文一文が、七百年ものあいだ、世間の批判にさらされながらも、その道理の正しさによって価値を失わなかったからである。
日顕上人の説法の中身は世間の道理に反するもので、これでは社会の誰びとも納得しない。また、日蓮大聖人の仏法を、世の人々に、我慢偏執の教えだと誤解させることにすらなりかねない。
ここまで日本宗教界に恥をさらしている法主の姿を見て、日蓮正宗の中枢に誰も諫言をするものがいないというのも不思議なことだ。
