第3章 法 脈 濁 乱


 第90号     1991年3月31日

展望のない争いに見える宗門をただす今回の戦いも
仏語に照らせば「筋書きのあるドラマ」だとわかる

 今回の一連の展開を見て、展望のない戦いと思う人もいるかもしれない。しかしそれは違う。この事態を解決する方法は、日蓮大聖人の御一生に示されている。いまこそ、「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし、『諸余怨敵・皆悉摧滅』の金言むなしかるべからず、兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候」(四条金吾殿御返事)を身読するときだ。
 文永八(一二七一)年九月十二日の竜ノ口の頸の座を目前とした九月十日、日蓮大聖人は、不穏の言動により世を乱す者として鎌倉幕府の問注所に召し出された。このとき平左衛門尉に対して日蓮大聖人がどのように仰せられたか、それは次の御聖訓に明記されている。
 「詮ずるところ、上件の事どもは此の国ををもひて申す事なれば世を安穏にたもたんと・をぼさば彼の法師ばらを召し合せて・きこしめせ、さなくして彼等にかわりて理不尽に失に行わるるほどならば国に後悔あるべし、日蓮・御勘気をかほらば仏の御使を用いぬになるべし、梵天・帝釈・日月・四天の御とがめありて遠流・死罪の後・百日・一年・三年・七年が内に自界叛逆難とて此の御一門どしうちはじまるべし、其の後は他国侵逼難とて四方より・ことには西方よりせめられさせ給うべし、其の時後悔あるべしと平左衛門尉に申し付けしかども太政入道のくるひしやうに・すこしもはばかる事なく物にくるう」(種種御振舞御書)
【通解】「詮ずるところ、その件はこの国の前途を思っていったことであるから、世を安穏にたもとうと思われるならば、彼の法師たちを召しあわせて自分と公場対決させてお聞きなさい。そうしないで彼ら法師たちに代わって理不尽に日蓮を罪に落とすようならば、国に後悔する大事が起こるであろう。日蓮が幕府のご勘気を蒙るならば仏のお使いを用いないことになるだろう。その結果、梵天・帝釈・日天・月天・四天王のおとがめがあって、日蓮を遠流か死罪にしたのち、百日・一年・三年・七年のうちに、自界叛逆難といって北条一門に同士討ちがはじまるであろう。そののちは他国侵逼難といって四方から、ことに西方から攻められるであろう。そのとき日蓮を罪に落としたことを後悔するに違いない」と平左衛門尉に申し付けたけれども、太政入道(平清盛)が狂ったように、彼は少しもまわりをはばからず猛り狂った。
 
 この日蓮大聖人の予言は的中した。日蓮大聖人が佐渡流罪中の文永九(一二七二)年二月には「二月騒動」が起こり、北条時宗(執権)は六波羅探題の北条時輔を、謀叛のとがで殺している。自界叛逆難である。他国侵逼難は文永の役、弘安の役としてつとに知られるとおりである。
 では竜ノ口法難、佐渡流罪と、日蓮大聖人に危害を加え、熱原の法難において日蓮大聖人の信徒を殺した平左衛門尉一統の末路はどのようなものであったか。
 永仁元(一二九三)年、反逆罪のかどにより、当の平左衛門尉頼綱と次男の資宗は、執権・北条貞時の命により斬り殺されている。これは長男の宗綱が北条幕府に対して「父の頼綱が次男の資宗を執権にしようとくわだてている」と密告したことによる。最終的には密告した長男の宗綱も佐渡に流罪となり、とうとう一族は滅亡したのであった。
 今回の一連の出来事は、「筋書きのないドラマ」のように見えても、こうした過去の歴史や大聖人の御金言、法華経に照らせば「筋書きのあるドラマ」であることがよくわかる。
 宗門は、創価学会を最終的に解体することを目的として、創価学会の月例登山会を廃止する方針を打ち出した。各末寺の添書がなければ一閻浮提総与の大御本尊様に会わせないというのだ。
 そのうえで、末寺の住職を通して、「大御本尊様をとるのか、池田名誉会長をとるのか」と迫り、創価学会をジワジワと解体していこうという作戦である。
 創価学会員の答えは明瞭である。――「両方とる。なぜならいずれも広宣流布の要だからだ。大聖人の御遺命達成のためには法も人も、なくてはならぬ。『人法ともに尊し』といわれるとおりである。また日興上人の『巧於難問答の行者に於いては先師のごとく賞翫すべき事』との御遺誡を拝する故である」
 登山会に関する宗門の今回の処置は、大御本尊様を口実に創価学会員を「たぼらかし」、創価学会を解体しようというくわだてだが、各末寺がその宗門中枢の期待どおりの動きをするだろうか。
 いずれにしても、今回の登山に関する宗門の処置は、宗門中枢と創価学会本部という相剋の構図を、全国の末寺対地元創価学会組織というふうに広げただけである。
 戦野を広げて不利になるのは手薄な宗門のほうであるという、この自明の理がわからない。いまの日蓮正宗の中枢は、そこまで度を失っているのだ。
 ともかくも今回の措置で、御本尊にお会いするためには、末寺の僧を強折するしかないということがはっきりした。創価学会員が僣聖増上慢の魔城を攻め落とすための方策を、魔城の城主らが、はからずも示したのだ。
 いよいよ法華経の強者たちが総がかりで、三類の強敵の城を攻め落とすときがやってきた。
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