第2章 持 者 能 忍


 第66号  1991年3月7日

日蓮正宗自由通信同盟

親猊下派の僧侶の昂奮は頂点に達し既に狂乱状態となった
だが多くの僧侶は白けて面従腹背を決めこんでいる

 二月二十六日、総本山大石寺でおこなわれた支院長会議が、光久諦顯(東京・妙縁寺)、西澤雅道(栃木・誠諦寺)、河辺慈篤(北海道・日正寺)、秋山日浄(福岡・法霑寺)らと藤本総監によってひきまわされたことに対して、宗内では不満がくすぶりはじめた。
 事前の打ち合わせから除外された親猊下派の者は、「しょせん自分たちは信用されていなかった」ということがわかった。一方、猊下を含めた宗門のやり方が間違っていると思っている者は、「これでは株主総会と同じだ」と、日蓮正宗の良識を殺してしまうようなやり方に憤慨している。
 そのようなことに興味もない完全に日和見を決め込んでいる者のなかにも、「支院長会議の議事進行の内幕まで『地涌』に書かれるようでは、今回は勝てないんじゃないの」と解説調で述べる者までいる。
 支院長会議での決定どおり、各教区において、池田名誉会長に謝罪を要求する署名、捺印が現在おこなわれている。多くの者は、造反者の烙印を押されたくないとの気持から、署名、捺印をしている。なかには断じて署名、捺印を拒む者もいて、逆に支院長や日蓮正宗中枢をあわてさせる場面もあった。
 しかし、教区ごとに池田名誉会長に謝罪を要求していくということを強いられるなかで、一人ひとりが今回の問題についてより身近に考えはじめた。宗門中枢は、この各住職の署名、捺印の作業の中で、運動のさらなる盛り上がりを期待したようだが、意外にも反応が冷たいので逆に先行きに不安を感じつつあるようだ。
 いま日蓮正宗の住職の多くは面従腹背に徹しはじめたとみてよい。宗内の雰囲気はいよいよもって重くなり、流言蜚語が宗内を飛び交っている。
 たとえば、「創価学会が独立する方針を明確にした。関西での話だ」というデマがまたぞろ流されている。しかし、かつてのような真実味をもっては伝わっていないようだ。このテの話はもう何十回となく伝えられたので、少し飽きられてきたことも確かである。
 それよりもむしろ、『聖教新聞』などの論調の変化をみて、創価学会側の相当な決意をヒシヒシと感じている者は多い。法主の権威をもってすれば、簡単に池田名誉会長に謝罪させることができ、後は自分たちのペースで処理すればよいと考えていた親猊下派は、予測もできない状況の中で、緊迫感のみが日々高まり、何ら有効な手を打てないでいることに焦りすら感じている。
 現在、創価学会側は九割のエネルギーを公明党支援に費やしている。この大軍が四月二十一日の後、一挙に襲いかかってきたらどうなるのかと親猊下派の者は不安を感じているのだ。
 猊下側近では選挙前に強硬処置をとり、あとは貝のように固く門を閉ざし、創価学会を脱会してくる者だけを迎え入れようとの算段があるようだが、末寺の住職にしてみれば、「本丸はそれでいいかもしれないが、出城の我々はどうなるのか」との不安を隠しきれない。一万人対一カ寺の争いになるのである。
 おまけに、「創価学会をいきなり切るのは法的に問題が大きいから、包括法人である日蓮正宗から大石寺が離脱し、それに従う末寺だけをつれて、新しく包括法人を作るようだ」などという話まで飛び交っている。
 もはや話は宗教者のレベルではなく、会社乗っ取り屋の世界である。自分たちの日蓮正宗がいまや社会的存在であるという感覚などまったくない。世界に一千万人を超える信者がいるという責任感もない。いまだもって“上野村の大石寺”といった感覚でものを考えているのだ。まして、広宣流布・衆生済度など完全に忘れ去っている。
 さてこの支院長会議における唯一のホンネの話といえば、猊下の人材不足を嘆く言葉であった。
 「なかなか文章を書く人がいない。いれば助かるんだが。あの原島さんはいい文章を書いたけどな」
 どうもこの原島という人物は『継命新聞』の原島嵩のようである。日顕上人の血脈を否定している者でも、創価学会批判をする者ならよいということなのだろうか。
 さすが、このホンネには、支院長会議出席の一同もシラけたようである。先だって作られた時局協議会の文書作成一班、二班、三班、四班、五班の者たちは、猊下より無能であると言われたも同然だからだ。
 それにしても宗門の人材不足は深刻である。それももっともな話である。優秀な僧侶は日顕上人のすることを白々とした気持ちで、模様ながめしているだけである。
 「いまの御前様は気が短いし、クルクルと気持が変わるから信用できない」と学会員の前で言ってはばからない僧が何人もいる。
 今回、教区ごとに、池田名誉会長謝罪要求のための各住職の署名、捺印を必死になって進めている様子を見ると、保育園のお散歩を思い起こす。保母さんは一生懸命なのに、園児は皆、勝手なことをしている。お話をしている者もいればよそ見をしている者もいる。ちょっと目を離せば、列から離れる。
 これで創価学会と戦おうとは、イラクのフセインに劣らぬ暴挙である。最後は責任のなすり合いから内戦となるのがオチだ。そのころには猊座の権威は地に落ち、仏罰の何たるかをまざまざと思い知ることになっているのではあるまいか。
 いったい日蓮正宗中枢はなにをしようとしているのか。本人たちを含めて誰にもわからない。
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