野心家・藤原行正の子分である池田問題対策事務所の押木二郎が日顕猊下に会ったのは、昨年の十二月二十五日のことであった。場所は総本山内事部の第三談話室で、本応寺住職である高橋公純が仲介をして会わせたもので、そこには反創価学会ライター・段勲も同席した。そのとき押木は、創価学会の組織切り崩しの活動方針を猊下に示した。猊下はそれを喜び、押木らの活動を承認したうえ、予想される創価学会との裁判において協力してくれるよう要請した。
押木らと会ったことについて猊下は、本年一月十日におこなわれた教師指導会において次のように話した。
「それからあと二人に関しては、まあ、ちょっとここじゃ言いません。言いませんが、あのーやはり、このー、今の創価学会のあり方について大変疑問を感じている人だったわけさ。そういうことでその人たちが自分たちの行動について、こういう風なことをしたいという文書まで持って来てるわけ」
名前は隠しているが、この猊下の会った人物こそ押木二郎と連れの者なのである。一宗の法主たる者が大信者に怨嫉しての故か、バカなことをしたものである。
ともかくも法主が直接、学会組織の切り崩しを「御指南」したのだ。藤原行正が暴力団幹部に池田名誉会長の暗殺を依頼して以来、マスコミにもソッポを向かれていた藤原グループは、これによってにわかに活気づきはじめた。
押木らは、これまで総本山を護ろうという言動などまったくなかったのに、急に「総本山外護」を言い出したのである。それまでは「池田打倒」一本槍の、半ばいやがらせ的なものであった。
ともかく池田名誉会長を倒し、藤原行正の息子の範昭を創価学会の会長にしようという単細胞的な運動をしていた者たちが、急に「総本山外護」をスローガンに掲げて動くのだから、やはり日顕猊下の「御指南」は大したものである。
もっとも仲介の労をとった高橋公純を含め、猊下、押木の三者ともに、池田名誉会長に対する病的なまでの瞋恚の思いを抱いているのだ。初対面でありながらも大いに共感しえたものと思える。三毒強盛なるが故の共感である。
この場合、世間的には「野合」といい、ささいなことで分裂し、天下に恥をさらすものだが、それが杞憂に終われば幸いである。
さて猊下の「御指南」をたまわった押木らは「(仮称)外護の会」を発足させることを表明した。その「結成趣意書」には「基本姿勢」として、
「(1)日蓮正宗の教義を遵守し、純粋な信仰を貫く
(2)代々の御法主上人猊下の御指南に従う
(3)第二の池田大作を出さないためにも、この会を担当する指導教師(僧侶)の任命を総本山にお願いし、その指導に従う」
ということを明示している。
この「結成趣意書」とともに、「創価学会脱会運動と新信徒団体結成のお知らせ」という、本年一月十六日作成の書面が配られている。それによると「外護の会」は、「一月二十日正式発足、一月二十四日前後に内外に発表、二月中旬決起大会の開催のスケジュールで進める予定です」ということになっている。
その後、押木らは二月二十四日に決起大会を開くことになった。なかなか場所が決定できなかったようだが、ここへきてようやく決まり、高橋公純の本応寺でおこなうことになったと聞いている。
猊下じきじきの「御指南」をたまわって発足した新団体であるだけに、宗門側のもくろんだ創価学会の組織切り崩しが、どの程度現実のものとなったかを知るうえで恰好の決起大会である。
昨年暮、高橋公純が、宗門人の決起を呼びかけた「所感」と題する自筆の文書を各所に撒いたが、その中に次のようなくだりがある。
「池田氏もいい気になって宗門を批判していると、池田信奉者を還って少なくし、今後、脱会者がどんどん出てくるでしょう。藤原軍団六千・福島グループ三千・大橋グループは数十というとこでしょうか」
本当に高橋公純の分析どおり、「藤原軍団六千」の結集ができるだろうか。
高橋は反学会親猊下の勢力の中核を自認してこれまで進んできた。昨年暮の宗門にとって最も重要なときに、猊下に直接、情報を入れ献策をしてきた。「藤原軍団六千」は、猊下が創価学会との対決を決意する基礎となった数字である。二月二十四日は、日蓮正宗と創価学会の今後を見きわめるうえで、もっとも重要な日となろう。
いや、それだけではない。『週刊文春』編集部にとっても、自分たちの報道の正当性が証明されるか否かの日でもある。本年二月七日付の『週刊文春』は、押木二郎の手記を載せている。見出しには大きく「脱会へ二千人が決起」という文字が踊っている。
高橋―六千、文春―二千のどちらの予想が正しいか、あるいは両者ともにはずれて、高橋は単にパラノイア、文春は虚報も辞さない仕掛人であることが証明されるか、興味のつきないところである。
