第1章 謀 計 発 覚


 第46号  1991年2月15日

日蓮正宗自由通信同盟

仏恩広大にして逆縁の輩、日蓮正宗の僧と顕われ
唯一人の大信者をそねみ恨む、習性恐るべし
 〈逢難シリーズ・第6回〉

 戸田城聖会長に対する、
 「一、所属寺院住職を経て謝罪文を出すこと
 一、大講頭を罷免す
 一、戸田城聖氏の登山を停止す」
 との三つの処分を要請した日蓮正宗宗会(昭和二十七年六月二十六日〜二十九日)の最終日の二人の議員の発言は、僧侶のずるさを証明して余りあるものがある。
 一人は柿沼廣澄宗会議員である。戦時中、戦争協力の旗ふり役の一人であった。
 「単なる法議法論の理の法門を弄することをやめよう。納得のゆく人柄、所謂僧侶としての品位の欠如が実はこの不祥事件の原因であると、吾と吾が身を鞭うつものである」
 神本仏迹論の正否の吟味から、戦中の種々の問題に宗内の関心が進まぬように先手を打っているのである。実にうまい言いまわしで保身を図っている。
 また閉会の間際にも、秋田慈舟宗会議員が同様の発言をしている。秋田議員は二年前の昭和二十五年、大石寺の観光地化計画を積極的に進めていたが、戸田会長に登山会を実行され、自分の計画が中止されたことを内心では恨んでいたと推測される。
 しかし秋田議員の話は、
 「今回の事件は、全く僧侶の教化指導力の不足によるものと思う。これを機会として宗内信徒の正しい指導育成に努力することを誓つて円満和合の宗風を確立し、その実現を誓い、法主上人を通じて宗会議員一同、戒壇の大御本尊様に懺悔を致したく懺悔文を作成した」
 などときれいごとに終始している。
 ところが、である。秋田議員は陰険な策謀をなしていたのだった。
 先述した『読売新聞』(昭和二十七年六月一日付静岡版)の「会長の入山禁止 大石寺前管長暴行事件 創価学会に断 元日共党員が指導? 本山と対立・会員二万の学会」の見出しで報じられた捏造記事のネタ提供者は、この秋田宗会議員であったのだ。
 この僧侶は、公の場ではきれいごとを言いながら、裏にまわっては、操作情報をマスコミに提供していたのだ。
 宗会後の七月十三日、秋田宗会議員は学会青年部に追及され、『読売新聞』にネタを提供した事実を認め陳謝した。
 さて、宗会の戸田会長処分要求決議を知らされた創価学会青年部は、宗会議員一人ひとりに対し、徹底した説得を開始した。それに対して直ちにその非を認める者もいれば、開き直る者もいた。そこで明らかになったのは、予期していたことではあったが、日蓮正宗宗会議員が出家の権威をふりかざすのみで、なんら大法弘通を考えていないということであった。
 なかでも市川真道宗会議長の場合は、象徴的であった。学会青年部の追及に対して、市川宗会議長は話し合いを放棄し、自寺の信者の中の不良たちに因縁をつけさせている。
 「市川氏は急に座をはずして本堂へ行つてしまい学会員が『先生逃げるとは卑怯ですよ、おもどり下さい』と言いかけると『この野郎』と一人がとびかかり、皆総立ちとなつて学会員を取りまいた。それと同時に入口からドヤドヤと『ケンカか、おれらが仕末してやろう』『何をいつてやがるんだ外へ出ろ、外へ出ろ』とどなりながら数名の者が入つて来たので、みるとアロハシヤツ、土足、入墨一見して暴力団の不良連中である事がわかる(中略)丁度警察官がこの場にかけつけて来たので、暴力団の不良は取り静める事が出来たが、中にはハンマーを面談中の我々に投げつけようとした者もいたしこん棒を束にして持つて来ていたのである」(昭和二十七年七月二十日付『聖教新聞』)
 日蓮正宗の僧侶の中にもずいぶんと程度の悪い者がいたことに唖然とさせられる。それも宗会議長となれば、なにをかいわんやである。
 この市川宗会議長は、戸田会長処分を要請した宗会の閉会式において、宗会を代表して次のような「懺悔文」を奉読していた。
 「顧るに斯くの如き問題の起因は吾等僧侶の教化指導力の不足に因る事と思ひますから、将来宗内信徒の正しき指導育成に一層努力して真の円満和合の宗風を確立し、その実現をお誓ひして、茲に、御法主上人猊下を通じ戒旦の大御本尊様へ衷心より懺悔申上げます」
 大御本尊様に「懺悔」しているはずの者が、純粋な信仰心からの信徒の行動に対して、ヨタ者の暴力をもって応えようというのだ。
 戸田会長がみずから筆を執っていた『聖教新聞』(昭和二十七年七月二十日付)のコラム「寸鉄」は、その舌鋒を堕落した僧に向けている。
 「一、折伏を命とし本山を護る事を名誉としている学会に何で宗会議員はケンカを売つてくるんだ
 二、若い者が怒り出しているだけならまだよいが、おぢいちやん連まで鉢巻きをし出したでは、一荒れ荒れるかな
 三、無調査の論告、野蛮時代の政治よりもなお悪い、さては宗会議員諸公七百年前を想い出したな
 四、七百年前を想い出してもよい大聖人様の折伏の姿なら良いが平左衛門の真似ぢや困つたもんだ
 五、宗会議員諸公は平左衛門の後身か、事情も調べず義理もたださず論告するとは
 六、平左衛門の後身宗会議員と現る。仏恩広大にして逆縁の輩、今大聖人様の仏法の中に生まれて、唯一人の大信者をそねみ恨む、習性恐るべし」
 まことにもって今の日蓮正宗の状況を言い得ているようで妙である。かつての仏敵も今生に勢ぞろいか、頃やよし。
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