第1章 謀 計 発 覚


 第45号  1991年2月14日

日蓮正宗自由通信同盟

宗会は証人の尋問も本人の弁疏もさせず
秘密会をもつて一方的に重大処分を決定した
 〈逢難シリーズ・第5回〉

 狸祭事件(四月二十七日)後の昭和二十七年六月といえば、日蓮正宗の宗内世論は創価学会に対して厳しくなる一方であった。この宗内世論に、戸田城聖創価学会会長は真っ向から対峙した。
 六月十日には会長名で「宣言」を出している。「宣言」は、日蓮大聖人の仏法に照らして学会青年部は小笠原を「徹底的に責めた」ことを述べ、「吾人は小笠原慈聞は僧侶とは思はず、天魔の眷属と信ずる」と断じている。そして末尾を次のように結んでいる。
 「吾人は清純なる日蓮正宗守護の為に御本尊の御本意及び御開山日興上人御遺戒を遵守して、仏法破壊の天魔小笠原慈聞に対し、彼の魔力を破り去る日迄勝負決定の大闘争を行うものである。
 右、仏法守護の為これを宣言す」
 宗内世論の圧力に対して、仏法守護のために一歩も引かないとの闘争宣言であった。しかしその決意をあざ笑うかのように、宗門の僧侶は戸田処分へと動く。
 六月二十六日から二十九日までの四日間、日蓮正宗宗会が開催された。
 この宗会においては「宗制の修正」「宗規の原案」が検討されるとともに、もう一つの重要案件である「大法会不祥事件」が審議された。
 宗会二日目の二十七日、細井庶務部長より戸田会長の提出した「始末書」が紹介された。「始末書」はまず小笠原が僧籍にあるとは思っていなかったこと、戦中の神本仏迹を立てての策謀は許すことができないこと、事件当日においてもまったくもってその邪義を立てたことを素直に認めなかったことなどが述べてあった。
 また、戸田会長ほかの学会側の者が暴行を加えていないことについては、
 「此の事実万一将来物議をかもした時、証人が無くては真実とならないと思いましたので、最初から御立会を願つた小樽教会の阿部尊師、名古屋の妙道寺様、寂日坊の所化さん、三人にお聞取り願います」
 と述べ、小笠原への法論が非暴力的におこなわれたことを主張している。また小笠原が僧侶として存籍していることは「了解に苦しむ」と述べたうえで、文末を、
 「その故に私共と小笠原慈聞氏との関係は未だ『末』は決して居りませんので全体の始末書とは申しかねますが当日の始末をあらあら御命によつて始末書にしたためました」
 と結んでいる。
 宗会は、この戸田会長の「始末書」が紹介されたあと、秘密会に入った。会議は夜遅くまで続けられた。
 明けて二十八日は早朝より宗規の審議がなされ、ようやく夜の七時半過ぎになって、宗会議員一同によって作られた狸祭事件についての決議文が提出され、全員が賛成の意志表示をした。
 決議文の結論をいえば、小笠原については「宗制宗規に照し適切な処置を望む」といったもので、宗会としての処分の意志表示はいわば保留となっている。ところが、一方の当事者である戸田会長には厳しかった。
 「一、大講頭戸田城聖氏は本宗々制第三十條を無視し、本年四月廿七日本宗僧侶小笠原慈聞師に対し計画的と見做される加害暴行をし、記念法要中の御法主上人を悩まし奉るのみならず、全国より登山せる旦信徒に信仰的動揺を與えたる事件は開山以来未曾有の不祥事である。依て今後集団、個人を問はず、かかる事件を絶対に起こさざる事を條件として左の如き処分を望む。
 一、所属寺院住職を経て謝罪文を出すこと
 一、大講頭を罷免す
 一、戸田城聖氏の登山を停止す」
 以上のように、一方の戸田会長についてのみ具体的に処分を指定したのであった。
 また、戸田会長が証人を出してまでして暴行の事実を否定していたのに、証人三人の証言を聞くこともなければ、処分される戸田会長本人の言い分も聞くことなく、秘密会の審議のみで、一方的に「計画的と見做される加害暴行をし」と断定したのであった。
 信徒の人権も人格も無視した、出家の思い上がりに依拠した裁きであった。
 また宗会議員のなかに、戦時中、小笠原と同様に、日蓮大聖人の仏法の本義を忘れ、大政翼賛的な活動に血道を上げていた者が多数いたことも笑止なことであった。昭和十八年六月に牧口会長、戸田理事長(当時)ら学会幹部に神札を受けるように申し渡した渡辺慈海などが裁く側にいるのだから滑稽でさえある。
 この決議の後、宗務総監以下の三人の役僧が辞意を表明した。その中で一番の創価学会の理解者であり、この事件において猊下の御勘気とみずからの学会庇護の気持ちの板ばさみとなった細井庶務部長は、辞意を表明した際、次のように苦衷を語った。
 「私としては小笠原師にだまされた事を明かにしておる為、学会に味方しておるが如き誤解を受けておるので、たとへ公平なる処置をとつても、宗門人には公平と思はれないと思うから此の際辞職して各位の信任あるお方によつて、公平なる処置を決して頂きたい」
 この宗務役員の辞任は、宗会四日目の二十九日に宗会の決議として慰留がなされたので、それを受けて全員留任となった。細井庶務部長は留任要請が宗会よりなされた際、その発言の機会をはずさず、
 「なるべく寛大な処置をとる様に御願いしたい」
 とわざわざ発言している。宗会の学会に対する厳しい評価を考えるとずいぶん思い切った学会擁護の発言であった。
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