第1章 謀 計 発 覚


 第21号     1991年1月21日

12月25日の創価学会攻撃の御指南は間違っている
それを認め謝罪しなければ人心は離れるばかりだ

 昨年の宗会前日の十二月二十五日に、日顕上人猊下が本山大坊対面所で会見したのは、反創価学会ライター・段勲、池田問題対策事務所事務局長・押木二郎、本応寺住職・高橋公純であった。
 そこでおこなわれたことは、「創価学会分離作戦」(「C作戦」)の具体的実行方法に関する打ち合わせである。日顕上人は、「C作戦」に基づく戦略的依頼をし、組織の切り崩しを指示した。
 日顕上人みずから一月十日の教師指導会で述べた言い訳は、高橋、段勲らと打ち合わせた事実隠蔽の共同防衛ラインにそったもので、見苦しいまでの責任逃れに終始している。
 「しかし、だいたい、あのー、なんです、うーん、そうゆうことで私の知らないまんまに目通りされちゃったらこうなんだよね。それでまあ、あとで公純君、あとで、公純、私、申し訳ない申し訳ない、もうあとの祭だ。第一、内事部がよくないんだ。私、高橋公純房が、目通りだといって入ってたら、ほかの者、三人もいるんだもの、ああいうケジメは、もうちょっと、きちっとしなきゃいかんなあ、宗務院、ええ、内事部、おい。それでお陰でこっちが迷惑する場合がある。……迷惑する。入っていってみて三人いてだね、いれば、やっぱり、おまえら出ていけなんてこと言えないじゃないか、そんなに。なあ、そういう経過だったんだよ」
 宗務院、内事部、高橋公純を悪者にし、自分は高橋一人だと思っていたら、勝手に段、押木らがいたというわけだ。
 しかしそれならば、段、押木らに創価学会の攻撃と組織の切り崩しを指示し、果ては、きたるべき創価学会との裁判での協力まで頼むことはあるまい。
 もし猊下の教師指導会での弁が正しければ、「お目通り」を取り次いだ者が処分されるべきだ。また変な男を勝手に同道した高橋も処分されるべきだ。ところが、そのようなことはおこなわれていない。猊下が好んでなされたことだから処分など当然ありえないのである。
 猊下が信徒組織の破壊を、マスコミの記者や、組織破壊のみをおこない生活の糧を得ている者に頼んだ。この事実から、宗門の方々は目をそむけてはならない。
 猊下は「金口嫡々唯授一人相承」を建前とされる御方である。しかしそうであるからといって宗政の上での過ちはあるのだ。総本山第十七世日精上人は、釈迦像の造立を行い、それを第二十二世日俊上人が改められた。
 近くは第五十八世日柱上人が阿部法運総務(後の第六十世日開上人、現・日顕上人の父)の筆禍を問うて総務職(現在の総監にあたる)を解任処分し、能化から降格した。それにたいして宗会が非を唱え、大正十四年十一月の宗会において「管長不信任決議案」が採択された。
 最終的に「管長選挙」が大正十五年二月十六日大石寺において行われ、日柱上人は一八六票中三票(当然本人を含む)しか取れず、これが猊座を降りる要因となった。日柱上人の退座により、日顕上人の父である日開上人の登座の下地ができたのであった。
 また創価学会に関わることでいえば、昭和十八年六月総本山において、総本山第六十二世日恭上人、堀御隠尊猊下立ち会いの下で、渡辺慈海庶務部長が、牧口常三郎創価教育学会会長以下、主な幹部に、「神札」を受けるよう会員に命ずるよう申し渡している。これらの事例を記述するのは、ことさらに宗門に不利なことをあげつらおうとしているのではない。
 猊下も重大な間違いを犯すのだということ、ごく当り前のことであるけれども、そのことに気づいて欲しいということだ。猊下の宗政の上での誤りを指摘することは、なにも御本尊様を否定することにはならない。
 こだわるようだが、この十二月二十五日の会談に象徴される過ちの根源は、どこにあるのかということに、今、宗門の方々は意識を研ぎ澄まさなければならない。「信徒の分際で……」あるいは「たかだか六十年の歴史で……」といった言葉で、大法弘通の実績から目を逸らそうというのであれば、傲慢のそしりをまぬかれない。まして話し合うこともなく、権威をもって処断するのは、大罪を犯すことになる。
 「他人に謗法の行為あることを見聞して、直に本条の御示し(化儀抄五十七条)に依らず・再三再四は愚ろか一回の面談すら為さずして・濫に江湖(世間のこと)に悪声を放ち朋党(仲間のこと)に私語を為すの類は異体同心にあらず」(総本山第五十九世日亨上人「有師化儀抄註解」)
 「御前様に従う」という一言で、善悪正邪を判断するための思考を一切やめることは決して許されない。
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