第1章 謀 計 発 覚


 第7号     1991年1月7日

猊下が創価学会の切り崩しを直接指示された
本当に大丈夫なのか、宗門中枢の危機管理能力が問われる

 一月六日、総本山大石寺においておこなわれた教師指導会において、日顕上人猊下は自宗の信徒団体である創価学会組織の切り崩しを指示した。主な指示内容は以下のとおり。
 ◇学会側の誤っている点について、御講などの席でどんどん発言していく。ただし個人的な発言は止め、宗務院からの書面に基づいておこなう。
 ◇葬式、法事、結婚式では、創価学会・名誉会長等についての批判はおこなわない。ただし質問があった場合は遠慮なくやる。
 ◇創価学会は、宗門に対して讒謗してきている。徹底的にやるべき時が来た。各寺院は全力で法華講づくりをしていく。
 ◇末端の創価学会員に対しては、これ以上ないというぐらいに親切にする。学会をやめて寺院に来たいという者は即座に受け入れる。
 本山では午前中は大客殿、午後からは大講堂で昼食会が持たれ、その後、質疑応答が行われた。
 この日の日顕上人猊下は、かなりの興奮状態であった。話の途中、激して泣く場面もあった。
 信徒団体の組織の切り崩しを行うことを指示する御法主上人が、日蓮正宗の歴史の中で出てくるとは思ってもみなかった。
 猊下は創価学会員を、寺に直接所属させ、檀家にしようとしている。それが広宣流布に何のプラスになるというのか。
 まして今回の猊下の話の中で、「末端の学会員に対しては、これ以上ないというぐらい親切にする」ということはどういうことか。これまではほとんどの僧侶が威張っていた。また常識を疑うような発言、目に余るような行動があった。学会員はそれに対しても耐え、最大級の礼をもって接した。
 それがいまになって、「これ以上ないというぐらい親切」にされても、今さら、僧侶観が変わるわけではない。そう思う学会員がほとんどではあるまいか。
 大衆を愚弄して、その場しのぎの対応で、信者を得ようというのは甘い考えだ。大衆は皆、社会で汗を流して働き、生活している。こんなことになって、急に猫なで声を出されてゾロゾロとついていくほど愚かではない。
 逆に、このような宗門側の豹変する態度こそ、大衆蔑視に裏打ちされていると見えるのだ。いま宗門は、在家の側から見れば、名誉会長と創価学会に対し妬みと瞋恚の思いを抱き、閉鎖された価値観と集団の中でヒステリックになっているだけに見える。
 いったい宗門に人材はいないのか。危機管理能力を持つ者はいないのか。また真実を示し、御法主上人の心を安らかにできる者はいないのかと思う。
 いま宗門にとって重要なことは、日蓮大聖人の御遺命である広宣流布をなし遂げ、あまねく衆生を済度して行く上で、制度として、また布教活動の中で、どのように出家と在家の関係を作り得るかということなのである。
 それが信徒団体を、自分の思うようにコントロールできないというイライラがつのるあまり、言葉尻をとらえて謗法だ、罷免だ、破門だということになれば、ほの見えてきた世界広布の展望もぶちこわしになる。
 在家の者に主従の関係を望み、それがとれなければ日蓮正宗の信者ではない、といったことでは大聖人の仏法にも反する。
 出家の人々が、在家の人々の幸福のために奉仕するという自分たちの役割に気づかなければならない時に来ている。
 「カノッサの屈辱の再現しか今回の問題の解決はない」などといっている出家の人もいるが、三権(司法、行政、立法)を統帥した絶対権力者である国王と、信徒団体のトップを同一視しているのも笑止である。
 時代錯誤もはなはだしい。そのおろかさに早く気づいてほしい。
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